「天界航路」と「わが囚われの記」

ありがたい一冊
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本日のメモは天野芳太郎さん。動機は野内与吉。もちろん読む前からアンデス研究第一人者であることは知っていたし、以前にメモした島袋盛徳の本にも登場したものの、それ以上の興味はありませんでした。

ある沖縄移民のアマゾン旅行記「アマゾン讃歌」
相変わらず似たような本を読み漁っていますが、以前読んだ「明治海外ニッポン人」で目にした名前に「島袋盛徳(しまぶくろせいとく)、ペルーで移民史研究家」みたいなことが書かれており、本を読みながらスマホ検索していたら出てきた本が「アマゾン讃歌」なる本。

普通は「インカ帝国展」とか「古代メキシコ展」などのアンデス文明から天野芳太郎を経由して野内与吉にたどり着くのが普通ですが、私は真逆。

(『あちら・こちら物語 中南米随筆』も読みたかったけど高くて断念)

さて、当時のマチュピチュは道も整備されていないうえに石造文化という場所にポツンと一軒家の木造(ポンコツ)ホテルが現れ、ましてやそこの主人が日本人!?となれば、私だったら「これは絶対に何かの縁かも」とか思わざるを得ない展開です。

そこにいた野内与吉も「なんで?こんなところに日本人?」だし、そこへたどり着く天野芳太郎も「お前こそココでなにしてんの?」ですよね。すべてあり得ない展開。

いや、ほんと、これ、マジですごい話です。

相当肝がすわってないとこんな行動は取れません。お金があればなんでも出来るといっても、知らない場所へガンガン突き進むにはそれなりの胆力が必要で、この2人だけで2-30名規模の探検隊と同等の八面六臂な活躍だったろうと妄想を楽しんでいました。

さて、天野の武勇伝はネットに山ほどあるので割愛します

連載エッセイ193:小林志郎「天野芳太郎とパナマ」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会
連載エッセイ 189 天野芳太郎とパナマ 執筆者:小林志郎(パナマ運河研究家) 「初めに」 天野芳太郎は、中南

気になった部分を少しだけピックアップ。

今回下の2つの動画をじくりと見ましたが…

確かに素晴らしいチャンカイ文化遺産に違いないですが、日本人だと自然に日本の焼き物や着物を想像して比較しますし、それが出来る歴史を持った国ということも改めて思い知らされます。

美しく感じるかは人それぞれですが繊細であることは日本が際立っており、伝統文化が途絶えるとその民族の感性も低下することを感じます。

 

わが囚われの記 : シーチキンの名で全米に販売され好評を博した

どんなことが書かれているかというと…

中米コスタ・リカのプンタレナスを基地として東太平洋漁業会社を設立し、清水市で造られた漁船天野丸他一隻でマグロ漁業を開始した。漁獲物はアメリカのバンキャンプ社によりシーチキンの名で全米中に販売され、好評を博した。

天野さん、そこらじゅうに会社を作りまくって…すごいお方です。このストーリーは以前にも紹介した奥様の会話にも残されています。

でね、気になったワードは「シーチキン」。シーチキン?ん?当時で?シーチキン?

ふつうはスルーする話ですが、気になったのですよ。

シーチキンといえば…? そうです。清水市のはごろもフーズ。上場企業ですよ。サイトにもしっかりと書かれております。

1958(昭和33)年 11月 シーチキンの商標を登録

気になるじゃないの。Wikipediaにも…

シーチキンの生みの親は、二代目社長の後藤磯吉(二代目)である。

もっと気になるじゃないの。

バンキャンプのシーチキン広告

これが1936年の話で、翌年は盧溝橋事件から日中戦争という時代。日本国内はそんな状態でも天野さんは中米でマグロを釣って稼いでいた話です。

実際に当時の広告を見ると、「Chicken of the Sea FUNCY TUNA」と書かれていますね。「Sea Chicken」ではなく、「Chicken of the Sea」ですね。そうですよね。シーチキンとなるとBBCニュースのような、ニワトリが鍋に乗って海を漂うようなことになりますよね。(思わずBBC記事に笑ってしまいました)

真偽は不明ですが、ツナを中米や北米で売り捌いて一儲けしたことは間違いなさそうですね。

いまではシーチキンといえばはごろもフーズですが、その当時は商標もない時代ですし、天野さんのアイデアをパクったのか、譲ったのか、というと下品ですが、そういった見えない部分を想像して楽しみました。

ちなみにバンキャンプ(Van Camp’s)という会社は今もあり、そもそもは缶詰のポークビーンズを兵隊が携行し、その味で飼い慣らされた人が帰国後もリピートしたことで大きくなった会社らしいです。私はあの甘さが好みではありませんが…。

天界航路 : 天野丸の切手

天野丸というのは先に触れたマグロ漁船のことで、その功績を称えた切手の話ですが…

天野丸の切手?ってなに?って思いますよね?

下のページで紹介されていまして、パッと見た印象はカツオの一本釣りのように見えますが、なんでこんなデザインなの?と思います。

のちに天野さんの肖像切手も発売されますが、この切手は1940年ごろのお話。

戦前コスタリカ政府は天野丸の切手を作る計画であった。天野丸で釣った鮪鰹の輸出が年額50万ドルに達したので其の記念のためであった。但し原版の写真の絵は一般に了解し難いと云うので訂正を申し込んできた。先ず釣棹(さお)である。天秤棒さながらの太さで釣棹らしく見えない。矢張り先端を細めて撓(しな)るようにしたい。又漁師は皆白い手拭いで鉢巻を締めている。これではコスタリカの風俗にならぬから帽子を蒙(こうむ)らして呉と云うのであった。これに対して私は鉢巻は取るが釣棹は譲れない。目方が六貫も七貫もある鮪が先端の撓るような棹で釣れる筈がない。玄人がこんな絵を見たら鯉か鮒を釣っていると思ふだろうと反発したが結局は私の負けとなった。
こんな経緯で切手が発行されたそうですが、この話には続きがございまして…
いよいよ切手の印刷に取りかかろうとした時戦争になり天野丸はもう一隻の漁船アンパリート号と共に没収され乗組員は支配人松井精次郎以下十七名サンホセの郊外グワダルーペ監獄に収容された。後彼等は北米に送られ第二回交換船帝亜丸で日本に帰された。勿論切手の発行は立消えとなった。没収された天野丸はコスタリカ人が操縦を誤ってプンタレーナス沖で沈没し鮪漁業もまた滅びた。

余談ですが、この第二回交換船帝亜丸というのは以前にメモした「かなりやの唄」にも登場する話です。なんという繋がり。昔も今も人生のステージレベルが近い者が混ざり合うのは一緒。だから人生は良くも悪くも誰と出会うかで変わります。

かなりやの唄 - ペルー日本人移民激動の一世紀の物語
本日はペルーの本。移民史というのは波瀾万丈という言葉がピッタリで、この本も内容が濃い。著者がご存命ならそろそろ90歳。私の両親より約10歳上というだけでこんなにも壮絶な人生なんですね。

話を戻し、じゃあなんでボツ企画の切手があるんだ?という話ですが…

戦争が済んで十年たった。1950年コスタリカ政府の勧業省が内国産業博覧会をカルタゴで開いた。其の時政府は天野丸の漁業のことを忘れなかったのか或はもう一度世人の注意を喚起したかったで此の切手を発行した。私は1951年戦後初めてコスタリカを訪問しこれを買い求めて帰った。

というオチです。

「天界航路」は1984年(昭和59年)の本ですから、携帯用CDプレーヤー「ディスクマン」が流行した時代だそうで、学生が円盤をカバンに入れてイヤホンで聴くのがオシャレな時代でしたね。当然インターネットなんてありませんから、当時この本を読むと「天野さんってスゲー人だなー」で終わる話ですが、それから40年経つとだれでもネットで買える時代です。

しかも恐ろしいことにeBayなんて使わなくても日本国内でだれでも個人売買できるマーケットとネット機能がある時代。そしてこれがコスタリカで発行された切手です。

書かれている内容もアプリ変換で確認できる時代。「コスタリカ 航空便 プンタレナスのマグロ釣り 全国農業産業博覧会 カルタゴ 1950年 2センティモ」。この切手を見てもまったく天野さんを想像できませんが歴史を知ると興味が湧きます。

ちなみに下の切手が天野芳太郎ご本人ですが年号が「1898-2018」になってるのか不思議に思って調べると、生誕120周年記念ということらしい。こちらはペルーで発行された切手。

 

わが囚われの記 : アメリカの演ずる戦争劇

この本で一番興味深かったのが187ページ。天野アンテナ恐るべし!当時アメリカで頻発していたストライキに対する考察が興味深い。

我々はアメリカの頼む生産能力が内外共に、幾多の困難を伴うことを如実に見ていた。しかしながら、これをもってアメリカの希望発見劇が打ち切りとなるようなことは断じてあり得ない。アメリカはどんなことがあろうとも、例えば大統領が死のうが反対党が天下を取ろうが、数字の前に日本を屈服せしめるという手を打たずに引っ込むようなことは絶対にない

どうです?天野さんがビジネスやアカデミックな方向だけへ軸足を置いた人でよかった。こんなキレ者が戦争へ傾倒したら大変。

日本の飛行機一機に対して、アメリカは十を出そう、日本の戦車一に対しアメリカは二十を出そう、大砲、機関銃、軍艦、輸送船なんでも、比較にならんほどの数字の上で、日本を圧倒して見せる。これが今ではアメリカ国民の信条となってしまった。

いまそれが金融から崩壊しつつあるのでトランプさんが「Make America Great Again」と言うわけで21世紀も4分の1が過ぎ去ろうとしていることを思えば、主役国交代の時期なんでしょう。

そこで我々もまた、常にアメリカの数字に雁行するだけの数字を持ってこれに対抗して行かねばならぬ。かくすることによってアメリカの持つ信条に動揺を与えること、それが勝利の根本だと思う。

つまり、いつまでも尻尾をふって「日米同盟がどーたら」なんて時代ではないのですよ。

アメリカは、数字の力をもってしても日本を破ることが出来ないと覚った暁、その次に打つ手のない国である。我々はアメリカの演ずる第四幕、即ち希望喪失劇がその時をもって始められるであろうことを確信する。

たしかにその通り。アメリカは「数は力」の国。私の友人もアメリカへ傾倒している人の会話は総じて「大きいことはいいことだ」な枠に収まる人ばかり。完全に脳みそがアメリカナイズ。

今まさに移民で帳尻合わせを試みているアメリカ民主党ですが、その方法はいずれ仇となると言うのが共和党。後の世が決めることですが、よその心配をしている場合でもないのが日本。

もちろん天野さんは昭和57年没ですから日本の少子高齢状態を予想できた可能性もありますが、事ここに至っては「Make Japan Great Again」と旗振りする政治家は与党に一人もおらず。

それにしても天野さん、鉄人ですな。

北米、中米、南米と移動しながら、行く先々で寅さんのように商売しては移動の繰り返し。戦前はこれができましたが、今の時代はできません。かつて電波少年で猿岩石がバイトしながら旅をするシーンがありましたが、今思えばあれも常識的にはアウトですね。なにをするにも利権とお金で八方塞がり。(もちろん型破りもアリですが…)

「現代人は税金の奴隷」ということを強く感じます。しかも、それは世界共通ですね。

余談ですが「GHQ日系人収容所」には天野さんが「CIAに監視されていた」と書かれているのですが、1次資料ではなく伝聞状態で真偽不明です。他の類似書籍も同様。しかしながらこの行動力ですとさもありなん。

 

天野さんに学ぶ3つのビジネスセンス

天野さんの人生を堪能しお腹いっぱいです。読み終わって3つのことが記憶に残りました。

1.「海外で事業を興す」ことが普通であること

最近では、旅系YouTuberというポジションもあります。私の世代は旅行会社と関わりながら海外へ出かけた第1世代だと考えると、クラウドファンディングや広告費で出かけたのが第2世代でしょう。そして今は第3世代への過渡期だと思いますが、その多くは「海外へ出かけただけ」の話ですね。移動を見せて広告費で稼ぐ。ただそれだけ。

そして最新系が「広告だけの空中戦ではダメだ、実際に地上戦をしなければ」と海外事業を始める動画もチラホラ出現中。ようやく天野さんレベルの入口へ。こうなると現地でのロマンスから2世誕生の流れもそう遠くない話です。

もし私が若い時にこの本と出会っていたら、また別の人生を送った気がしますね。

 

2.商売の利益を現地へ還元する地産地消

もっとも分かりやすいのが天野博物館。

遺跡発掘への傾倒は人生の後半ですが、稼いだお金でさらに遺跡発掘&ホールドは自己満足で普通の話。それを日本に持ち帰るでもなく「ペルーのものはペルーに」を実行しちゃう器の大きさ。

展示品 / 天野
1964年、天野芳太郎は天野博物館を創設しました。開館後51年を経て、我々は天野プレコロンビアン織物博物館として再出発しました。ご来館お待ちしております!

今から海外で活躍される方は天野モデルを見習うと成功するんじゃないですかね。

今は世界的通貨危機直前でもあり、この円安で為替差益の見込める国となると世界広しと言えど限られてくると思います。天野さんは遺跡という文化発掘保全が国家的協調すら集める原動力。色々とヒントがまぶされています。

 

3.「人生は出会いですべてが決まる」ということ

以前に野内与吉の人生を想像していたときにも思ったことで、自分の人生もそうですが、自分の体が自分の意思で食べたもので出来ているのと同様に、自分の人生もまた自分の意思で出会った人で出来ていることがよくわかる天野交友録です。

世界遺産マチュピチュに村を創った日本人「野内与吉」物語
先日から「クスコの日系人」を気にしながら移民系読書にハッスルしておりますが、本日は「野内与吉」物語です。

しかし、だれもが天野さんと交友できませんから、それは運命と、その運命を自らの手で掴む行動力や第六感が重要です。そのことを若い時に知っておくことは大事だと気付かせてくれる本です。

なんとなく海外へ行き、なんとなく情報を得、なんとなく人と出会い、なんとなく結婚し、なんとなく子どもをもうけ、なんとなく働き、なんとなく年老いる…それもひとつの人生ですが、若くしてモヤモヤしている若者がいたら、この本は本当におすすめの一冊です。

しかも戦前、戦中、戦後という波乱の時代に世界中をビジネスで稼ぎながら移動し続け、同時に日本文化や海外文化をリスペクトしてアカデミックなこともなおざりにせず追及し続けるしぶとさ。

スゴい人がいたものだと感心しきりの読書となりました。戦争時代に流浪する天野を知るには「わが囚われの記」、人生全体を掴むには「天界航路」がおすすめです。

それにしても、なんでファミリーヒストリーって、こうも興味をそそられるんですかね?

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