本日のありがたい一冊は昭和40年に発行された『黄金の秘境 インカ探検記』です。この探検記の内容について述べると、その目的は「日本人移民の同化の調査」であると書かれています。
私の読書の目的?もちろんインカ帝国への興味ではなく、むしろそれを支援した日系移民に関する情報がどのように描かれているかを見つけることです。
色々な本に目を通しているうちにアンデス山脈に沿ってのマヤ文明とか、ティオティワカン文明とかアステカ文明とか、知識が勝手に増えますね。ペルーはアジアで言えばモンゴルみたいな場所で、インカ帝国はザックリ言えば今から550年ぐらい昔に栄えたお話。首都はクスコ。
日本は室町時代です。インカ帝国は琉球王国の少し後に生まれ、ザビエルが来る前に滅んだというと、察しのいい方は「ははぁ〜ん、そーゆーことか」という歴史です。
ということで、肝心のインカ文明は横に置き、私がツボったポイントをいくつかご紹介。
クスコの在留邦人「河村さんと大村さん」
本書の著者は泉靖一、泉貴美子ご夫婦の共著で、旦那はこんなお方。
【アンデスの神殿2】
文化人類学者の泉靖一はブラジル日系移民の調査でペルーを訪れた際、アンデス文明に魅了されました。そこで東京大学文化人類学教室を拠点に、石田英一郎と日本初の新大陸考古学の調査団を立ち上げました。ペルー全土で遺跡探しを行い、1960年よりコトシュ遺跡の発掘を始めます。 pic.twitter.com/jPcJuCvwes— 東京大学総合研究博物館 UMUT (@UTokyo_museum) February 27, 2024
泉さんは55歳で亡くなられたので印象がないのも当然ですね。生きておられたら私世代でもかなり知るところの有名なお方。
それはさておき、今回の登場人物はお2人様。58ページからスタート。
ホテルへ向かうもフルブックなので「ひとまず、河村さんのお宅に落ち着く」。
そのお屋敷情報がやたらと詳しく記録されておりまして…
このくだりでピンとくるのが野内与吉。「同君は福島県人でアマゾンの源流地帯で、砂金堀りをやっていた」人。マチュピチュの与吉さんがクスコの河村さんと交流していたであろうことは間違いないと思いますが、どうでしょう?
野内さんが採ってきた砂金を川村さんが日本人レートで買取してくれる仲買人。
基本的にはリマで働く日系人が大多数ですがクスコを小さなハブに選んだ理由を知りたいですね。おそらく他国からの移民動向や情報が集まる場所だとは思いますが…。日本の京都に憧れるような感覚でもあったんですかね?
続いて大村さんの紹介。
こうなると、お2人のファミリーヒストリーを知りたくなるわけですが、ご存知名簿検索サイトで名字はヒットするも下の名前が分からず。
河村という名字は山口県出身の方が多そうですが…
この大村さんという方もクスコでは有名だったようで野内与吉の回にメモした雑誌「旅」にも「クスコでは外語出身で、雑貨商を営んでいる大村君夫妻に厄介になって…」と書かれています。
総じて河村さんの名前を目にすることが多く大村さんの情報は少ないですが、いずれにしてもクスコの日系ツートップがこのお二人という時代があったようです。
念のため困った時のフーバー邦字新聞アーカイブで確認するとペルー新報に大村さんと佐伯さんを発見。おそらく大村さんは同一人物でしょうね。
この「救済 厚生 資金受付」をどう理解すればよいのか分かりません。ペルー同胞向けか?それとも日本向けか?
(誰か教えて)
大村さんや佐伯さんも気になるが、それよりも「100ソーレス」というお金の価値が気になって検索するとwikiにこんな記述が…
(こんな価値で戦争突入したのかよ…)
色々な情報をたどると、おおよそこんな感じ。
- 1米ドル = 4円
- 1ソーレス = 0.28円(ペルー中央銀行のヒストリカルレートデータ算出)
これが正しいと仮定すると「1米ドル = 5.7ソーレス」。100ソーレス寄付したということは17.54ドルです。当時の日本円だと70.16円。
その当時の小さな単位としては「お米1kg:約40銭、卵1個:2銭前後、味噌1kg:約30銭、ボールペン:10銭前後、石けん:5銭前後」など。食料品や日用雑貨は円ではなく銭の時代。
どれも単位が小さすぎて分かりにくいのでもう少し単位を上げると「東京から大阪間の鉄道運賃:約13円」とありました。70円もあればラジオ、カメラ、冷蔵庫、低価格中古車、貴金属など高価なものが買えたようです。
大村さんにばかり意識が向いていたのですが、文末の数字「累計55,901,60」を見てびっくり。この桁数で換算すると約9,807ドル相当ですよね。日本円だと39,230円かな?なかなかの大金。
トラックだと新車で10台ぐらい?中古車だと3-40台ぐらい?まとまった数を調達して運送会社でも始められそうな大金です。
ウルバンバのツーリストホテル
クスコとマチュピチュの中間あたりに「オリャンタイタンボ」という遺跡と、そのための駅がありますがこんなくだりがあります。
なんてことはない、単なるつなぎの文章ですが、野内与吉の人生を追いかけまくったせいで「ウルバンバ」というキーワードだけで反応します。
そんなこんなでマチュピチュへ到着したわけですが…
ボリビアの日本人開拓地
移民や移住に関する本ではあまり見かけない引用が、「そういえば、この本は『インカ探検記』だったな」と思い出させるページです。
おっかない話である。
このあとに書かれてある「第一回入植団々長田中家」でのもてなしの様子が面白いというか、おっかないというか、移住の大変さを感じさせます。
道中の泥とほこりで「おばあさんのようなあわれな姿」に「お風呂はいかがですか?」の声に飛びついて風呂場へ向かうと…
ここで1人放置されたら男の私もブルっとくるかもしれませんが…
これが日常となれば五感が研ぎ澄まされて当然でしょうね。緊張感が違います。
そして、以前に「新垣庸英」メモで触れたマモレ川の話も出てくる。とはいっても1900kmもある大河ではありますが…
ワラールの日本人
について触れてある章ですが、冒頭の文章が面白い。
もちろん面白ポイントはロックフェラー財団。このくだりを読むだけて天野芳太郎がいかに鉄人な行動であったかが分かるというもので、ものごとはどの角度から眺めるかで印象が変わります。
こうしてパトロンとの折り合いをつけながら研究に勤しむわけですが、気づかぬうちによからぬ方へと誘導され、気づいた時にはやってはいけない研究に勤しんでいたというのもよく聞くお話。
〜◆〜◆〜
河村さんにせよ大村さんにせよ、まさか自分の死後に日本でどこの馬の骨ともわからない日本人がクスコの日本人についての情報を探し、身元調査のごとく書籍を漁りまくっているなどとは想像だにされてないでしょうね。
以上、インカ探検とまったく関係ないメモでした。
追記 2024.05.18 – 本書登場人物の補足
昨日ペルー在住の方から「河村さん、大村さんは、河村道香さんと大村昌次さんだと思います」との知らせを受けました。1966年発行の住所録「Guia telefonica de la colonia japonesa」に載っているそうです。「佐伯氏(名前不明)」もクスコ在住者であったことが判明しているそうです。
まぁ新聞に載ってるぐらいですからそうでしょうね。
こういう住所録や電話帳はどの国の日本人コミュニティでも普通に流通していましたが、デジタルに置き換わると貴重ですね。
日本も今まさに電話帳の歴史が終わりを迎えております。私の実家も固定電話をやめました。まもなく人間も消えます。いまでは当たり前の携帯電話の登場で人間が移動しながら情報交換できるようになったことは劇的変化をもたらしていることを実感します。
じつはこの連絡を頂戴したのが日本時間22時頃でしたが、ふたたびクスコの日系人が気になりはじめ夜中0時にスマホで古本を購入。
なんで気になり始めたかというと、今回ほんの小さなご縁でペルー在住の方とのやりとりしているのですがデジタル社会の情報密度、濃度、深度が軽薄になっていることを感じていたところにたった半世紀前の人物について調べることがこんなにも大変なことと思い知らされて、もうすこし調べ事のコツを掴みたい願望と、AIの学習レベルも確認したくて読書継続です。
いまのAIは現時点では嘘、デタラメを平然と回答するレベルです。私の肌感覚ですと回答の4割は不正解の印象。一応Chat-GPT4oも試していますが精度が悪く別のものを多用。
移民史は時代、日時、数、移動など複数キーワードが100%合致しないと不正解。すると卒論や論考も大量に引っ掛かり昔の人が手間暇かけて調べた情報が数秒で回答される時代でもあることを身を持って学習中。つづく。
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