相変わらず似たような本を読み漁っていますが、以前読んだ「明治海外ニッポン人」で目にした名前に「島袋盛徳(しまぶくろせいとく)、ペルーで移民史研究家」みたいなことが書かれており、本を読みながらスマホ検索していたら出てきた本が「アマゾン讃歌」なる本。
https://en1.link/2021/07/07/japanese-immigra…in-the-meiji-era/
その時は何が書かれた本かを理解しておらず「ペルーのアマゾン地域調査本かな」ぐらいの認識でしたが、これはこれでなかなか奥深い内容の本です。
発売は昭和50年(1975)、沖縄文教出版社によるもので定価1,500円という高額設定。
しょっぱなから話がそれて恐縮ですが、この当時の1,500円というのがいかほどの価値かというと、当時の大卒初任給が5千円〜1万円という時代ですから、いかに地球の裏側情報といえど1,500円はちょっと手が出にくい高額書籍。この時私は4歳でございます。
話を戻し、巻末にはプロフィールが載っておりますが驚くほどシンプル。
- 明治32年生まれ
- 大正3年 久志小学校卒業
- 大正9年 日本移民第62航海にてペルーに渡航
- 昭和33年 アマゾン入り …現在に至る。
本人談はこれだけ。まぁこれだけとはいっても「ペルー」と「アマゾン」の文字だけで絶大なインパクトですが、「島袋盛徳(せいとく)」って何者?
在リマ日本国領事「斎藤武」の言葉によると「島袋盛徳」は…
序章にこんなことが書かれていました。
港学園というのは別の資料では「カヤオ日本人小学校」と書かれております。ここだけ切り抜くと日系ペルー最古の学校なんですが、おそらく統廃合を繰り返しながら現在の形が残っているのではないかと推測しながら読書スタート。
敗戦に時を同じくして始めた島袋盛徳の私塾学校経営は理念先行&利益後回しの印象。
最終的には借金もかさんで手放すことになりますが、右も左も分からない移民の子や現地生まれの二世に教育が必要という発想は生きるのに精一杯の当事者には到底成せないことで、学校は消えても学びは脳に残り、こうした先人のおかげで今の日系ペルー社会があるんでしょうな。
時折自分の人生に触れながら話は少しずつアマゾン旅行記へ移動します。
世が世なら、たぶんプロジェクトXで取り上げられるような人
ちょっとおおげさですが、かの番組のコンセプトは「無名の日本人リーダーと、それに従い支えた多くの人々による挑戦と努力、そしてその成果の紹介がテーマ」でした。まぁ途中から有名人も登場しましたが、島袋盛徳氏は影の立役者、黒子のような印象です。
この本の登場人物には少なからず島袋盛徳とつながりのあった人物として実業家「天野芳太郎」、文化人類学者「泉靖一」、日本語教師「伊芸銀勇」などが登場します。
その方々にフォーカスすることが本書のメインディッシュでないので軽く触れられているだけですが、この辺りの人との親交は島袋盛徳の人生にスパイスを与えていることは想像容易く「もしかして、ちょっとオモロい本かも」と思って読み進めましたが、案の定オモロすぎる!
後半には同郷の砂金王「田場山戸(たば やまと)」なる人物も登場。これが小説ではなく史実というにはあまりにも現実からかけ離れた文章に度肝を抜かれます。
もし私が同じ時代にペルーで生きていたら、たぶん金魚のフンみたいに島袋盛徳の後をついて回ったと思います。それぐらい面白い生き様。
本のメインはアマゾン源流のひとつ「パチテーヤ地域」でのジャングル生活記
「ペルー下り」を勉強して以降はずいぶん地名を覚えたつもりでしたが全く太刀打ちできない本でした。願わくばアルファベット表記が….何度「How do you spell that ?」と思ったことか。
本書の地名を理解できる限りグーグルマッピングしながら楽しみましたが、盛徳さんの行動範囲恐るべし。
グーグルマップレベルでは地名が出てこないのでローカルマップやオールドマップを探し、目を凝らしてそれらしい地名を探しました。しかし本書の日本語はいわゆる「カタカナ読み」と「現地発音」がミックスしていると思われ、「ほんで、コレどこ?」の連続。
たとえば「珍木マラチンガ」という章には「男性のシンボル(陰茎)そっくりだ。その名はアマゾンの珍木のマラチンガと呼ぶ。」と書かれており、これが「マラ+チン」の造語と想像できます。そこで調べると正式名称は「ムイラチンガ(Muiratinga)」といった具合。「1,500円も払って通称表記って、そりゃーないべ」と思ってみたり。
話を戻し、盛徳さんは初期開拓移民とは切り口が異なり結婚して妻子があっても50歳を過ぎて単独アマゾン暮らしを始め、ある意味老後のペルー旅行記ですが、日本で形容すると「僻地でポツンとひとり暮らし」といったニュアンスが近いかもしれません。
(今で言うところの2拠点暮らし)
紆余曲折を経て「パチテーヤ地域」に秘密基地を構えるのですが、地図でその場所を見つけるだけで一苦労でした。どこかわからない!
余談ですけどね、検索結果がこの本の1件だけって凄くない?
なんとなくありそうな言葉ですが、「パチテーヤ」なんて単語は(グーグルの作為的抹殺サイトがあるとしても)世の中に存在しない!!
ま、このメモをアップするといずれ2件になりますが…。
そんなことはさておき単語と格闘すること15分。
「パチテーヤ地域」は「パチテア川(Pachitea River)地域」と判明。なるほど。
秘密基地は「対岸にトウルナビスタ米人植民地」とあったので、たぶん下に映る街の川を挟んで対岸と思われます。ズームアウトすると俯瞰把握できます。この場所を根城にしたジャングル生活が本書のメインテーマ。
新たな視点の「ペルー下り」談
超ザックリ書けばアンデス山脈を越えれば全て「ペルー下り」です。
そして当時は稼ぐためにペルーでもボリビアでもブラジルでもゴム祭りに賑わっている場所へ向けて移動したわけです。この盛徳さんは1920年移民ですから決して楽な時期の移民ではないと思いますがこんなことが書かれています。
そんなこんなで盛徳さんは「先輩同胞の開拓者が歩みし苦難の歴史の跡を訪ねて見たいと思い立ち(ペルー下りの)旅へ」出ます。
(当然私の頭は「まさかのアリコマ峠越え?」と早合点)
地図上の地名だけを頼りにドットコネクトしたので間違っている理解の可能性もありますが、たぶんルートは以下の感じと思われます。
ラ・オロヤ(La Oroya)→ラ・メルセー(La Merced)→エスペー→パチテア川下り→ウカヤリ川合流→イキトスを超えマラヨン川を遡航→サン・マルティン県の就業地(ゴム園等)へ。
所用日数40日。
エスペーという地名を見つけることが出来ませんでしたが、おそらくパチテア川上流域のどこがだと思います。
「パチテア川、ウカヤリ川、マラヨン川」といった名前の川は最終的にブラジル領でアマゾン川になるわけですが、この地域を今の時代に原稿なしで語れる人は関野吉晴氏だと思いますが、その一歩手前に「暮らすように旅した人」が島袋盛徳氏です。
余談ですがこの本にも八木宣貞は登場します。「メナチヨ」なる名前のボリビア人とのコンビで、かのマデイラ・マモレ鉄道敷設を下請けした後の失敗談が軽く紹介されていました。
日本人の村長さん(山口県人、城与市氏)
先にふれた「パチテア川(Pachitea River)」を3時間遡上し、さらに2時間行ったところにオノリーヤ村があったと書かれており、そこには150戸・800人程度の集落が存在したそうです。
(わたしの脳感覚と地図上の距離感がまったくシンクロしませんが…)
おそらく下の地図がその場所ではないかと思います。
少し情報を探ると1970年以降の市長情報が最古。それより古い情報は皆無。
おそらく現地ペルー人もこの史実を知らないと思いますが、上の場所が正解だとしたら、なんでも出てくるユーチューブ。いま現在の様子がコチラ。
この場所の初代村長が日本人だったというお話です。
この田場典蒲氏は沖縄県与那城村字照間の出身実兄「田場山戸」氏と共に1928年に入植し、パチテア川流域を転々とした後にこの場に落ち着いたそうですが、本書によると「初等科二校舎建設、区役所、郵便局、寺院建設など功績は枚挙にいとまない」と書かれていました。
いまでは約5,000人規模の町になっており、50キロ圏内にデイビッド・アベンズール・レンギフォ空港もあり、日本だと三沢や岩国錦帯橋空港のようなペルー軍と共用する地方空港のようです。
ところで…
その村の初代村長に田場典蒲をサポートしたと思われる人物ホセ・デイア氏。この名前の読み方が不明ですが、おそらく日本語名は「城与市 / 民」と分けて読むのが正解ではないかと推察。ちなみにこの人物はなぜホセなのか?というと…
それにしても田場典蒲氏の人生が気になりますね。残念ながらデータベースで名前を見つけることができませんでした。兄の田場山戸は名前があります。
さて、どれが弟の田場典蒲氏なのか…?
人間より自然が100%勝る場所がアマゾン
アマゾンを語るほどの予備知識を持っておりませんが…
移民の本ばかり読んでいると100%苦労話にあたりますが、この本を読むと「心は現代より遥かに豊かだったかもしれない」と錯覚します。現代日本の日常は自然と人間の営みに距離を設け、分けて考えることが常識。
でもね、そもそもは一緒の空間。自然のごく一部が都市であり分けて考えるものではないことを思い知らされます。
昭和風に言えば一挺蝋(いっちょうら)の服を着て故郷から見送られて出航したまではよかったものの、現地に着いてみれば道もない場所にテント生活。着の身着のまま。それでもペルーは「魚も野獣も豊富で食事には困らなかった」ってワイルド〜。
この本は盛徳さんがアマゾン上流域で生活していた記録になりますが、このての本を読んでおりますと幾度も同胞が東へ向かった文と出くわし、「そうさなぁ、どういった道を辿ったのか見てみたいなぁ」という気持ちに駆られるわけですが、盛徳さんも御多分にもれず最終的には東端となるブラジルのベレンまで行くことになります。
「ベレン-イキトス」間を船で行き来できることは知っていましたが、この本を読むことで遥かペルーの上流域までつながっており、やろうと思えばイカダで下れることを知れただけで大収穫。
移民心得について喝破した文章が印象的
どうしても移民の話は苦労話がつきものですが最終章「アマゾンに思う」に盛徳さんの人柄を垣間見る一文がありました。
しかしまぁ世の中の変貌ぶりも凄まじいものがございまして…
盛徳さんは1982年にお亡くなりだそうで、その年は「カード式公衆電話設置」がニュースになっていた時代です。今から約40年前はそれが最先端。まさかスマホでペルー下りの地図やアマゾン川の筏下り動画が見られるなんて時代になろうとはね。時代はアマゾンじゃなくて宇宙へ向かっております。
読むと元気付けられるおすすめの一冊です。
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