ちょっと南米に興味が湧いてきたので情報を漁っております。
そもそもは旅に出たい欲求からですが、ひょんなことからたどり着いたのが「パラグアイ日本人移住五十年史」という本。実は私の親が中学生のころの話をしはじめまして…
この話を元に移民情報を漁り始めてたどり着いた息子の勘は「それはウルグアイじゃなくてパラグアイでね?」という仮説を頼りに買った本が「ハポネス移民村物語」です。
名字を辿るとアルゼンチンにも同名が見受けられ勘で語れる話ではありませんが、その方はわりと若くに結婚されて「U・三代子」となりすでに他界されたことを知り残念に思うわけですが…。
その話には続きがありまして….
当時私の母親は家で洗濯物を干していたそうです。
まさに今生の別れとなる出航当日、三代ちゃんは必ず一番に見送りに来てくれていると思っていた我が母親を見つけられず家まで駆けつけて来たそうです。どうやら母親はそのことを生涯後悔していたようです。私も自宅から港までの距離を想像するに歩いて10分ほどの場所ですから走ればすぐそこ。当時は建物も少なく自宅から船が見えてたんじゃないかと妄想。
それらを港で取り仕切る責任者から「今日は汽笛信号が5回鳴ったら出航です」というアナウンスに永遠の別れを覚悟し、今でも汽笛を聞くとその頃のことを思い出すそうです。
こんな映像も残ってるんですね。老若男女というのが生々しい。
母親の中学生時代の記憶は60年以上前の話ですが、突如思い出したように「家の東側に畑があったでしょ。その持ち主も移民したはずよ」といったことをボソッと話してくれたときの衝撃度たるや破壊力抜群。自分の記憶の断片に歴史が結びついた時、よく言われる「自分はどこから来て何者なのか?」を考えちゃいますよね。
後日風の噂で聞き及ぶ「船上で狂ったように何度も何度も名前を叫んでたよ。抱き合って別れを惜しみたかったらしい」という話しに我が母親も涙するわけですが、その当時の移民の歴史は凄まじいものがございます。
本当に凄まじい。
(「移住」と書いて「サバイバル」と読む)
でも仕方がないですよね。
多くは神戸や横浜へ向かい「移住あつせん所」で何日かを過ごし、船内で2-3ヶ月を過ごし、到着して税関で足止めを食いながら納税を済ませ、その後目的地となる未開のジャングルへ向かい、着いた場所では見事に無一文になりゼロから生き抜くストーリー。
まぁ…無茶苦茶ですよね。
毎日がアウトドアなテント生活。
その手の写真を眺めるだけで苦労が偲ばれます。
ある人は再び日本へ戻り、ある人は開拓地から都会へ行き、ある人は死に、ある人は成功し。それでも子や孫が増え、今の南米日系社会があります。
私も20代の頃ブラジルを訪れた際にガイドのひとりは日系2世でしたが、リオでの待ち合わせなのに「船でマナウスから来ました」と言われたときにはたまげました。直線距離で2800キロ離れております。東京から香港に行く感じ。しかも船。
話を戻しまして、そもそも戦後移民のイロハのイについてメモします。戦前移民の苦労は太平洋戦争に翻弄されますが、戦後の計画移民は不要だったかもしれないですね。その後の人生でハッピーマン続出であれば結果オーライですが圧倒的苦労話から察するに「人口減少策の海外移住」は国策として歴史的大失敗でしょうね。
あくまでも私の整理ですが…
・それが10年後の昭和30年には,8920万人へ膨張
・人口は増えても産業復興時期で仕事不足の不景気時代
・しかし日本はアメリカの植民地で好き勝手できない敗戦国
・敗戦国が独立できたのがサンフランシスコ講和条約締結の昭和26年
・翌昭和27年から移民再開。さぁ、南米へ
・昭和48年、船での移民終了。(以降は飛行機で移民)
・平成5年(1993年)国による海外移住者送出事業終了
予測では2075年ごろの日本人口が昭和20年の人口です。
今国内ではさかんに「移民を受け入れないと日本はダメになる。すでに労働者は山ほど入っている」論調ですが、かつて日本から送り出された時の社会事情は?と申しますと、戦後の焼け野原から復興の最中に世界中に散らばっていた600万を超す軍属や民間人が続々と引き揚げてくるので物資や仕事が不足しているなかで地方自治体や国が無理やり盛り上げた海外移住なんですが、なかでも私が興味を持ったのは「このまま人口が増えると貧困者が増えて国や地方自治体が対応できないので、さぁ海外へ」という発想。つまり「人口減少策の海外移住」です。
2020年時点でも「移民政策は最善だった」如き構成のテレビ番組を見ましたが真実を知れば知るほど現実は大失敗でしょうね。日本人お得意の悪き習慣「臭いものには蓋をしろ」を感じると同時に「マスメディアの凋落具合も酷いな」と感じます。
移民をことさらに奨励した空気が戦後日本にあり、その予測は確かに2008年の1億2808万人まで増え続けた事実として的ハズレとは言いませんが、そこから2020年の現在まで減り続ける人口推移を見るに、そういった社会の空気を醸成する政治家や事業化の眼力は半世紀レベルではダメということですね。やはり100年、2-3世代に渡っての計が必要に感じます。
世に永遠ナシ。寄せては返す波の如く増えたり減ったりするのが当たり前で、そこに一喜一憂してはダメということなんでしょうね。
少なくとも2020年10月現在、日本の地方は海外移住どころか過疎っており、昭和30年ごろの人が増えすぎることによる仕事不足ではなく人が減りすぎることによる仕事なき人不足。正反対の皮肉。今の日本の実情を知る移住者は何を思われますかね。ほんとに。
つまり国家主導の「人口減少策の海外移住は大失敗だった」ということです。
当時の移民船は世界一周旅行を兼ねた客船なので金に困ってない人が遊びまわった船であり、借金して移住した船でもあるわけで、こういった角度から今の無子化や高齢化を眺めるのと、「何人も周りの空気に流されることなく自分の人生を切り開こうとする生命力が強い人だけが残るなぁ」なんて思います。
結果はどうであれ新天地を求めて海を渡った日系人が今の日本が置かれた現実を知ったらアイデンティティの希薄さに悲しまれると同時に1世紀を経て没落する日本を去った意味が見出せたりするのかもしれません。
移民の歴史は非日常なので「昔の日本ってこーだったのか」で終わる話ですがへそ曲がりな私は「政治家は息を吐くように嘘をつく」と解釈します。他人の人生を壊して生き延びたゴミ公務員が山ほどいた時代を想像すると虫唾(むしず)が走ると同時に「今も一緒だな」とか思うのでした。
過去とは言えどこういった政府の対応を見ると昨今話題のcovid-19の「ワクチン接種後の副反応で健康被害が起きた場合に企業が払う損害賠償金や訴訟費肩代わりの法改正」というニュースも全く信用できません。最後は切り捨て御免の流れ。
それはさておき、困ったときの国立国会図書館デジタルコレクションで移民を調べ始めるとどハマりして沼に落ちますよ。各縣人会からの「移住者便り」をまとめたものや、他地域の移住地情報 として「ヒリツピン」「二ウギネヤ」「裏南洋」「ペルシヤ」「エチオピヤ」の文字。それはまさしく地球の迷い方。読むと「全く不可能である」とか書いてます。内容がヤバすぎて読み進めるのが面白すぎてクリックが止まらなくなりました。
肝心の中身について。
この本はドミニカ、ボリビア、ペルー、パラグアイ、コロンビアの移民史を垣間見ることができます。ブラジルやアルゼンチンは本によらずとも情報がありますが、これらの国へ向かった移民にフォーカスした本としては面白いと思います。
移民として出かけて成功した人もいれば涙を飲んだ人もおり、それは正しく格差です。つまり世界のどこにいても資本主義な限り格差はなくならないということですね。
南米周遊を画策する私にとって楽しい読み物となりました。
最近はこうして読書や映像から気になる都市を見つけてはGoogle マップにピンを付けているのですが、悩みはボリビアとパラグアイを含めた前後の移動方法。点を打ち続けていると線をイメージできるのですが「アンデス山脈がなぁ」なんて深いため息をついております。しかし移民の中にはこの山脈を歩いて超えた実話などもあり、なんとか自分が納得できるルートが導けないかを悩むのが楽しみの日々。
もっと深掘りできる情報も多々あると察しますので移民の真髄を知りたい方は冒頭に触れたような現地の日系コミュニティーなどが発刊の日本人移住史のような本の購入をお勧めします。
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