奥アマゾンの日系人・ペルー下りと悪魔の鉄道

ありがたい一冊
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10月は古本を大量購入して読み漁っていたのですが介護周りが忙しすぎて手にしたどの本も途中まで読んでは止まりを繰り返していました。月が変わり11月になってついに1冊読み終えました。それが「奥アマゾンの日系人」という本。こんな本を残した方がいらしたんですね。

この本は中武幹雄さんという、県庁職員として働くある意味ごくフツーの人が南米移住した日系人の壮絶な人生をすこしでも後世へ引き継ぎたい思いで取材して書かれた本で、サブタイトルの通り「悪魔の鉄道」と「ペルー下り」にフォーカスされています。どちらの情報も今ではネットに既出情報ですが、それとて断片的で小さなドットを探す行為。なにせ1世紀以上前の話ですから。

本書とネットの両面からドットコネクトすることで当時の日本人の足取りとアマゾンの過酷とも偉大ともとれる大自然のミスマッチが想像を絶するスケール感で飛び込んでくる面白い一冊でした。

久しぶりに興奮しました。文章は取材インタビューを録音データから書き起こしたような口語体で書かれており、私が過去に無意識に記憶している方言・アクセント・イントネーションを自ずと補完しながら読もうとする脳の働きがなんとも不思議な感覚でした。同時に少し時間が止まった印象の言葉も。例えば「いつおいでになったんか?」とかね。

とにかく地図を片手に読むと「日本人がなんでこの場所へ?」という驚きの連続。

なんでこんな場所に出没してるのニッポン人。

さて、ひとことで移民と申しましても到着早々息絶えた人もいればいまも5世、6世と続いた人も。

総じてみなさまマイナスからのスタートで苦労話が多いですが、たどり着いた土地、出会った人によって人生が大きく変わりその後大成した人もいます。成功はしたもののグローバル経済の荒波に飲まれて消えた人も。

この程度の知識はいろんな本や動画から知れるわけですが、世の中には途絶えた家系が山ほどあるわけで、言ってみればマイノリティからも外れた部分に光を当てようとするアプローチを興味深く感じる本でした。

(あ、私のことだ…)

 

まずはサブタイトルについてですが…

「悪魔の鉄道」というのは「マデイラ・マモレ鉄道」を指しておりまして、ジャングル奥地に施設された俗に言う「枕木一本、死者一人」という鉄道の一つで、総延長364.7kmの建設に携わって命を落とした1万体が側を流れるマデイラ川沿いに埋葬された話です。既に廃線でジャングルに飲み込まれる運命ですが工事完了から廃線までに更に4-5000人死んでるそうです。

この鉄道を作った理由はアジアがゴムの一大生産地になる以前は南米にゴムフィーバーの時期があり、そのゴムをポルト・ヴェーリョという場所へ運び出すための鉄道建設に日本人が関わっていたことが本書で触れられています。ここだけ切り取ると日本むかし話ですが、この建設には22ヶ国からの労働者が携わっていた記録が残っているそうで、遠くは中国、トルコ、ドイツ、フランス、イギリス、オーストリア、アラブ、ロシアという文字も。

マデイラ・マモレ鉄道 - Wikipedia

そして「ペルー下り」。本の中では「ペルーながれ」という表現も載っていました。「アマゾン下り」と呼ばれることもあるそうです。

サクっと背景を書きますと、ペルーのリマにあるカヤオ港という場所へ日本からの移民船が到着します。ほとんどはこの港で下船したそうですが、別の本ではセロ・アスールやモエンドという港での下船もあったように記憶しています。いずれにしてもそういった場所に下船して一旦は働くことが出来るのですが、あらゆる環境が劣悪で故障者が続出。言葉は通じないし、食べ物は口に合わないし、賃金は低かったりもらえなかったりだし、マラリア・チフス・黄熱病、出血熱、脚気などでばだはたと倒れる有様。そこでペルーからアンデス山脈を徒歩で越えブラジル側へ下る人が現れます。それが「ペルー下り」。

★印を転々と移動した日本人

ほとんどが「アンデス山脈を越えボリビアを経由しブラジルへたどり着く」と書けば数文字で終わる説明ですが、実際は「なんだこの移動ルートは?」という場所です。

ボリビアで日本人がたどり着いた街のひとつにリベラルタという街があります。この地域に流れる川を挟んで東側のブラジル領で「マデイラ・マモレ鉄道」が運行していました。そのリベルタから北西へ約230キロ直線移動するとブラジルのリオ・ブランコという街があります。このゴム農園に入植した日本人もいます。

なんという流浪。場所、距離、移動、全てが異次元。

 

まさに「奥アマゾンの日系人」

ちょっと次元が違います。想像を絶する。

千日回峰行がままごとに感じるレベル。帰る場所ナシですから。

ほとんどの移民はリマ(カヤオ港)からモリエンド港へ海岸線気候を南下。たぶん今で言うところのTシャツ1枚で問題ない移動。そこからアンデス山脈越えですから山岳気候。どんだけ重ね着しても氷点下の寒い場所。峠を下ると熱帯雨林のジャングル地帯。今度は蒸し暑い場所へ。余談ですが120年前の日本はまだ着物全盛ですが、移民の方々は洋服を着こなす写真も多々。

やはり南米の日系人コミュニティといえばブラジル、ペルー、アルゼンチンのイメージが濃すぎてボリビアの奥地や(ブラジル領だけど)アマゾンの奥地と日本人がリンクしません。アマゾン奥地というのはマナウスよりも遥か奥地の僻地ですから。

ちょっと話がそれますが、昔ブラジルのリオへ行った時に海岸線で約300mおきにある立ち飲み屋で一杯飲んだことがあるのですが…古い話で記憶が曖昧ですがMacumba Beach付近だったと思います。そんなどーでもいいことを覚えている理由は働いていた20歳ぐらいの女性の名前が「Mayumi」だったから。もう明らかに日本人DNAを感じる顔立ちで、混血で、お若い、美しい方でした。そんな経験があるので今私がボリビアを旅して同じ感覚を覚える日本人DNAに出会うことを想像すると不思議を通り越して不自然。

この本によるとペルー下りの道中となるボリビアのコビハ(Cobija)に日本人が居ついたと書かれており、その場所に住む70%が日本人DNAという取材記録が載っております。

今から1世紀前の出来事でボリビアに70%ってホンマでっか???と聞きたくなります。

ネットを見ると空港から南へ30キロの場所にあるポルベニル(Porvenir)という街に日本人のDNAが5世、6世と続いてるんだとか。ウソみたいなホントの話。

ですが…やはり頭が2020年で考えるとダメですね。

1900年で捉えるとコビハはゴールドラッシュならぬラバー(ゴム)ラッシュでかなり賑やかだったそうです。そのタイミングで訪れた日本人にとっては奥アマゾンといってもペルーの過酷な日々と比べれば希望を得たと想像しました。今はナッツが主要産業で人口が増えてるんだそうです。1世紀を経て再び脚光を浴びる地域かもしれません。

上の映像もすばらしい構成編集ですが、どうしても現在の日系人が固まるサンタ・クルス県へ内容が偏ります。それだけ現地でもペルー下りの末裔を捉えるのは難しいことでしょうね。

そもそも生死をかけてたどり着いた場所ですから。

 

なんといってもアンデス山脈越えの方法ですよね。しかも徒歩で。

正直ちょっと興味あります。この踏破ルート。

下界に降りると馬、自転車、船(筏)。

やはり古い話ですから「こうりかご(行李籠)」のような文字が出てくるわけですが、そんなものを背負ってか引いてかわかりませんがアンデス山脈を超えてボリビアやブラジルへ向かったわけです。標高差がありますが低い場所でも富士山より高い4,000-5,000メーター級の山々ですから本当に想像を絶する場所を、書いて字の如く「移る民」です。

しかもそれが日本人。歩いてって…

チチカカ湖の北から向かったのか?南側のラパスから挑んだのか?その足取りを想像しながら現地取材で得られた地名の文字が出るたびにGoogleマップを眺めていると「4815mのアリコマ峠では寒さと高山病で多数の死者?氷河?こんな場所かょ。北ルートか」とか思いを馳せて読み進めました。是非リンク先のGoogleマップをズームアウトしてその場所をご確認ください。

ざっくり計算でカヤオ港からモエンド港までが約950キロ、モエンド港からアリコマ峠越え辺りまでが約830キロ、その先ポルト・ベーリョまでは…どうやっても直進不可能なので1,500キロ以上と予測できますが密林のジャングル。

本当にアリコマ峠を越えたのかは分かりませんが、普通に考えれば分水嶺から「山裾の川沿いにブラジル側へ下る」と予想してGoogleアースを眺めても「はて、ホンマにこんな場所を移動したこと自体が信じられんけど、この話ホンマなん?」という場所です。

かなりやの唄 - ペルー日本人移民激動の一世紀の物語 - en1.link
en1.link かなりやの唄 - ペルー日本人移民激動の一世紀の物語

 

歴史は自分の頭で紐解かないとダメと痛感 – 移民と日本人給与の関係

日本は1990年の入管法改正時に3世まで就労ビザを乱発した過去があります。それを称して「にせニッポン人」と書いた本もありましたが、それは2019年の改正に通じるものを感じます。

当時日系3世までが日系人DNAというだけでどっと押し寄せた不思議さは結果として1991年のバブル崩壊による就職難でも低賃金労働力で補ったことにピタリとはまります。当時ボリビアのコビハの70%が日本人DNAなんて知っての所業か否か。あくまでもこの本に書かれている取材が正しいという前提ではありますが。

そして2019年の改正は特別な技能がなくても外国人に門戸を開くという意味で過去の轍を踏んでおり2020年は日本の没落+コロナ禍で超不景気。日本の景気後退は2018年10月からなのでギリギリ間に合わせたということでしょうか。低賃金とは言えませんが2021年卒は就職難で不採用でも労働力確保にピタリとはまります。

移民なんて明治以降の記録がほとんどで、大量輸送移民なんてたかだか100年以内に起こった歴史なので全体で見ればごく最近、昨日のようなことなのに知が集積されていないと捉え方をミスるようなことが起こるんだなぁ、なんて思いながら読み進めました。

早い話が景気は20年で上下するので2030年までは暗い社会だし、2030年以降は上向くはずなんだけど2040年は団塊jrが壊れたり消えたりする頃なので、日本の未来は過去40年ともちょっと違うかもというのが今なんでしょうかね。

なにより入管法改正の話が聞こえてくると不景気が近いということになります。まぁデジタル化ですからサイクルはもっと早まる気もします。そもそもコロナ禍からも抜け出せていませんからもっと沈む可能性もあります。

次の入管法改正は2040年前後となります。

まとめると、団塊jrオジサンが社会に出てから今日までの失われた30年で国内労働賃金は完全に上げ止まりです。バブル崩壊後の労働力は移民で穴埋めし、景気回復時期は高齢者で穴埋めし、コロナ禍は再び移民で穴埋めし、次の景気回復は団塊jrが死ぬまで働き続ければ回復するでしょうが、人間はいつまでも働けませんので日本はリセッションに突入済みで、若者の給与はまだ下げる余地があるとも見てとれ、ため息が出ますね。

 

人は歳をとるとどうしてもルーツを探りたくなる動物らしい

ちょっと話がそれちゃいましたが、読み進めると3世以降で日本(語)から疎遠な世代が自分のアイデンティティを証明する苦労話に胸が痛むと同時にはたと「そうか、自分が何者かを辿るために何かか書類のひとつでも残すことが基本なんだな」とも感じました。平和ボケしていると戸籍が在って当たり前の脳になっております。もし紙が腐食しない物質だったら、アマゾン川の底から無数の日本人旅券がでてくることになります。

先にブラジルの「Mayumi」について書きましたが、いわゆる「平たい顔族」の日本人と現地人が結婚しハーフ、クオーターといった具合に末裔が続くわけですが、その手の本に載る写真やネット動画を眺めると2世は間違いなく平たい顔を感じます。しかし3世では「ん?えーっと日本人っぽい要素は感じるけど一瞬で見抜けないかも」という顔立ちが増える印象です。つまりコビハを闊歩した日本人の多さが記録として残っていても「その話ホンマでっか?」となるはずで今では完全に同化してます。

そしてもうひとつ感じたことは移民先の教育レベルと環境について。当事者にその思考があれば展開は異なったでしょうが、行った先任せとなると入植地の事情・レベル止まりとなるので末裔で尻上がりに調子を上げた人もいれば、自分のルーツを知らないまま暮らしている6-7世代に突入しているのが2020年と想像します。日本で暮らす私が曽祖父母の情報に疎いのと似ています。

 

最後に移民感情について少しだけ…

今の日本にやってくる外国人についてですが、労働者という体裁の実質移民という状態です。

この手の本を読めば読むほど「移民と書いて奴隷と読む。その心は人手不足」であることを自然と察してきます。今の日本そのものです。あらゆる国でお金を一番大事なことに据え置くと常に必要なのは「奴隷の如き労働者」ということに帰結します。

皆さん移民先で等しく差別、迫害、事件、村八分などを体験されたわけですが、それは今日本に来る外国人家族に対して日本人がどう対応すべきかの指針に感じます。移民への寛容さと覚悟ですよね。殆どの現代日本人は基本的に「1を2にする」思考です。例えば親が死ねば財産が引き継がれる。しかし移民は「0を1にする」思考なので退路が無く、だからこそ強くもあり苦労もある。

日本に入ってくる移民話を軽々にする前に、日本から出た、追い出された、騙された、そういった視点の日系人ルーツを辿って知っておくと視座が広がりますね。移民の末裔が行政長になっている海外例は沢山ありますから、その逆もしかり。

限界国家 -人口減少で日本が迫られる最終選択- en1.link
en1.link 限界国家 -人口減少で日本が迫られる最終選択-

 

余談 : アマゾンを筏(いかだ)で下ることについて

最後に全くの余談ですが…

先の地図に「」をつけた場所がございます。プカルパという地名の場所で国境線より西ですからペルー領です。でね、この本を読む前からアマゾン川を船で移動できることは知っており、ペルー下りもどこかの移動に筏での川下りを妄想していました。

私も死ぬまでに旅したいルートのひとつですが、一般的にはブラジル移民が降り立った場所でもある大西洋側のベレンからマナウスを経由してタバチンガ(Tabatinga)までは(たぶん)定期航路がございます。そこからペルー領のイキトスへも貨物船に頼めば普通に移動できます。その先の情報は少ないのですがユリマグアス(Yurimaguas)までは移動した強者がいることを知っていたのですが、今回発見したのは★印をつけたプカルパから約2ヶ月漂流した若者の動画にびっくり。今から8年前のことらしいですが動画のクオリティを見ると「確かにこんな感じだった」と思います。チャンネル名がだいぶラリっているのはご愛敬。

この辺りはかつて「ペルー早稲田大学探検部員殺害事件」が起こった付近(といっても誤差数百キロ)なので川の流れに任した移動はそれなりに危険を伴う行為ではございますが…

ご興味ある方はショートムービーの数々をサクっと楽しんでください。ちなみにこの動画もGoogle マップ片手に見ると「2ヶ月漂流してここまでか、アマゾン恐るべし」と思う次第です。

このやんちゃ動画をみながら「ペルー下りの面々ってアドベンチャーレーサー並みの強者しか残れなかったわけで、いやはや凄い歴史の1ページを知ったなぁ」とか感慨に耽っておりました。

もちろん本はとてもおすすめの一冊です。

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