ご無沙汰しておりました。生きてますよ。相変わらず介護で忙しくしております。
山積みの本や雑誌の処分を考えながら「せっかくだし久しぶりにひとネタ書こうか」と思っていた矢先にペルー在住の方からご連絡を頂戴し「クスコの日系人情報ないですか?」的なやりとりをしました。
(クスコといえばミッキーツアーぐらいしか思いつかない…)
曰く「クスコに数年住んでいたことがあって、その当時は興味がなかったけれど、今になって興味が湧いてリサーチ中」とのこと。
(人生でアルアルな話)
私も兵庫県に住んでいた時に有馬温泉に出かけたのも誘われてのこと。近いといつでも行けると思って行かないパターンを思い出しておりました。クスコは日本だと京都のような古都。
とりあえず移民関連の本をひっくり返してペルー絡みの本をピックアップ。
(ブラジルに比べると情報が少ないペルー)
そのペルー在住の方もこの本が気になっていたようで、たまたま手元にあったものを読み返してクスコ情報を探しておりました。久しぶりに南米移民の本に触れましたが、相変わらず不明なキーワードを調べながら読み進めたら完全にハマってしまい、そのキーワードにたどり着けそうな別の本を読むと、さらに知らないキーワード、といった具合で移民本に沼っております。
それは追々書くとして、とりあえず本書「革命の侍 チェ・ゲバラの下で戦った日経二世フレディ前村の生涯」は映画化されているので、百聞は一見にしかず。
というお話し。なので、舞台はキューバとボリビアですが本書のメインはボリビア。
ボリビア移民の移住地ってドコ?
一番最最初にボリビアへ移民としてたどり着いた日本人は1899年9月にペルーへ出稼ぎの日本人がチチカカ湖を渡り対岸のボリビア、ラパス県へ入ったのがはじまりだそうです。この時の移住者の消息は不明です。もしかすると今も末裔が続いている可能性はあります。
それから14年後の1913年10月、鹿児島県から紀洋丸に乗ってペルーへやってきたのが本書主人公のお父さん前村純吉。この時期ペルーに到着した人々の就労環境が劣悪だったことから逃げ出して、アンデス山脈を越えてボリビアへ入植した人々が、かの「ペルー下り」の方々。今回はその二世「フレディ・マエムラ・ウルタード」のお話。またの名を「エルネスト・メディコ」。
そのフレディのお姉さんとその息子による共著です。
ここでよく迷子になるのが移住地。
よくYouTubeで見かける場所は1954年から始まった琉球政府主導による赤い場所への移住ですが、私が興味を持っているのは青い場所。
(青い場所を自分の足で歩いてみたいのだ)
前村ファミリー物語はトリニダ(ード)の話です。改めて地図を見直しても青い場所を流浪した日本人移民おそるべし。この場所で育った息子のフレディが成長と共にチェ・ゲバラへ傾倒するわけですが、それはそれであり得ない展開。
フレディ前村って何者?
本書の主人公「フレディ前村」の詳しい物語はニッケイ新聞サイトでご覧あれ。
私の勝手な印象ですが、出自がアメリカだとダニエル井上のような著名人になっていてるだろう人物だけど、場所と時代が邪魔した感じでしょうか。
過去に紹介した「日本人ボリヴィア移民史」によると、初期のトリニダー(ド)移民状況は1910年から1915年の間にペルー下りした人々で1世18人、2世92人、現地妻18名人とあり、仕事は八百屋6人、理髪店1人、野菜園8人、バザー3人となっています。
本書には「食料品と衣料品の商売に全力を投入した」とありますから、2世92人のうちの1人(次男 :フレディ前村)、八百屋6人のうちの1人(父親:前村純吉)、現地妻18人のうちの1人(母親:ローサ・スアレス)が前村一家ということになりそうです。
この辺りの生活が過酷なことは想像できますが、その理由はアンデスからの雪解け水とアマゾン地域のゲリラ豪雨がミックスした時が水位のピークらしく、最近日本の夏でも風物詩になりつつある線状降水帯による床上浸水なんて日常茶飯事だそうで…
そしておなじみ、私が最も気になる「ペルー下り」についても少し触れてあります。
イトウ?この文章どこかで読んだ気が…と思ったら、ほんとに読んでた。
「明治海外ニッポン人」は私の記憶に残る傑作です。
(ボリビアの話は改めて別の機会に)
冒頭から約30ページを割いて日系移民情報が載っており、そこから医者を目指してキューバの話へとつながり、政治や革命家へと傾倒する様子が約60ページ。そのあとは最後までゲリラ戦記が続きます。続くといっても25歳の短い人生です。
ちなみに日系移民情報はゴム景気を中心に前村家の日常(食生活、病気、純吉の人物像)が綴られています。途中「ルイース・タバラという日本人が接客していた」という文字につられて横道にそれそうになりながら「いやいや、本日は前村DAY」と言い聞かせ読破。
(残念ながらクスコ界隈の話は見つけられませんでした)
戦の数々は割愛しますがそもそも「チェ・ゲバラが何者か?」を知らないと話はチンプンカンプンです。フレディ前村を理解するのに役立ちそうな映画はロードムービーの「モーターサイクル・ダイアリーズ」。
チェ・ゲバラといえば、その短くインパクトの強い名前とこの絵。
なにも知らなくても名前を言い当てられるインパクト。有名な2本立て映画「チェ」を見る前にロードムービーを見ると、より理解が深まります。(ぶっちゃけ「チェ」は見なくていいかも…)
一応「チェ」でもフレディ前村は描かれており、手前のベレー帽姿がチェ、右側がフレディ前村です。当たり前ですがフレディ前村については冒頭紹介した「エルネスト もう一人のゲバラ」の方が見応えがあります。
ベレー帽にヒゲのオジサンでアイコン化され、眼光鋭く「革命家」とか知ると理解の壁が高くなりそうですが、ロードムービーは若き日のゲバラが南米をバイク縦断した様子が見事に描かれています。ゲバラも医者を志し、いわば卒業旅行映画。そしてフレディ前村も医者を志した。
チェがフレディ前村をリスペクトできた一端を映画から感じ取れます。
本書のメインとなる戦記も吸い込まれるように一気読みできる臨場感で、西側スタイルからの南米解放は大東亜戦争でアジア解放とか言ってた日本のようでもあり、だからこそ日本人はチェを理解しやすいんですようね。ただし戦記の主語はフレディではなくチェであることが多く、そのあたりは少々読みづらい。
(日本でのチェはちょっと持ち上げられすぎかと…)
最後にいつもの余談ですが…
最近「伝統と文化」について考えていたのですがとても刺激的な文章が載っていました。こんな情報が載っていたことを忘れていましたがとても参考になりました。
日本の伝統文化は壊滅状態で、どうやって継承すればよいのか?みたいなこと。
ベタな話ですが、海外の空港で和食レストランを見つけてお店に入ったら、うどん、寿司、ラーメン…そんなことが日本文化か?みたいな事と「伝統」がセットメニューのような状況がしっくりこなくてモヤモヤしておりました。
全文が完成されていて隙がない。ですよね…
これ、著者ソラーレス前村のお父さんの言葉なんですが、日本にいる日本人の私がフェイクに思えるほど鋭い切れ味の言葉でして、本書タイトル「革命の侍」のネタ元でもあります。
ペルー人が日本人の価値観を理解しているのに、当の日本人は自分が何者か分からない状態でLGBTQ理解増進法とか最大与党のよる歴史的脱税問題とかお注射より紅麹で盛り上がるとか、意思も勇気も誇りもない状態だからおかしくなっちゃうんでしょうね。
(政治家全員が時代劇の越後屋状態)
いまの日本は私のように結婚せず、子も残さず、相対的に元気がなく物理的にもたそがれ時を迎えつつある中でもフレディ前村のように命をかけて情熱をかたむける何かを欲してる人は多いと思うんですね。
そこでがんばって自分なりのやる気スイッチを入れてみるものの、国全体が大局的な行動をとれない自己中な人だらけになってしまい、迎合しないと生きられない風見鶏人間だらけ。落ちぶれたものです。移民として出かけた人々は全員が侍かもしれませんね。全員命懸けでしたから。
以上「革命の侍 チェ・ゲバラの下で戦った日経二世フレディ前村の生涯」でした。
それにしても不思議な本です。すべてさかのぼると鹿児島県の開聞岳の麓「頴娃(えい)町」にたどりつくんですよ。革命となにも関係ない、のどかな田舎町。そこで生まれた純吉がペルーへ向かったことからすべてが始まります。
父親の純吉は1959年に亡くなったとあります。そのときフレディ18歳。
よもや自分の死後に息子がチェ・ゲバラと共に革命を掲げる人物になろうとは想像だにしていなかったでしょうね。その当時、中国人、イタリア人、ドイツ人だって移民していたのに、なかでも日本人移民というのは命を賭して名を残すDNAであることが不思議です。
おそらく当時の外務書はフレディ前村の素行を把握済みだったと思いますが、それを世に出してもよい時期になったということでもあり、世界が平和であるということはありがたいですね。
コメント