いやぁ…凄い本と出会ってしまった。かなりヤバい。
介護が落ち着いて自分の体が元気だったら行きたい地域「南米」について知りたくていろいろな本を読み漁っており、パラグアイ、奥アマゾン、コロンビア、キューバ、アルゼンチン、笠戸丸、ぶらじる丸と制覇したのですが、それらのどの本よりも衝撃的だったのが、今回読んだ「明治海外ニッポン人」なる本。
参った。衝撃的すぎて降参。
初期の日系ペルー移民事情が生々しく記された本
帯には「北南米大陸にわたる大取材行」とおおげさな文字ですが本当にその通りの内容。
南米に関しては「ペルー、ボリビア、ブラジル」の文字。この3カ国を渡り歩く日系人の動きはすでに予備知識があったのでワクワクしたのですが…マジで凄い内容すぎて読み疲れました。
中でもクタクタになった章が「瘴癘の砂漠 秘露国(ペルー)」。
瘴癘(しょうれい)なんて単語とは縁遠い時代になってしまいましたが、簡単に言えば伝染病。もう少し補足すると発熱を伴う風土病。アマゾンが「緑の地獄」ならばペルーは「瘴癘の地」。
ブラジル移民もひれ伏すであろうペルー移民の惨状
以前笠戸丸の本をメモしましたが、やはり南米移民といえばブラジル。
それは当然ブラジル移民を指した話。
しかしいろんな本を読み漁っているうちに全体を俯瞰して見れるようになり「南米移民第1号はペルー」という理解が深まりました。これは大変な歴史ですな。
何度も書きますが「ブラジルといえば笠戸丸」が定着していますが「ペルーといえば?」。
答えは「佐倉丸(さくらまる)」です。
この単語にピンと来ないですよね。wikiによると「2,953トン」と書かれています。わりと身近な船で言えば横浜のレストラン船「ロイヤルウイング(2,876トン)」と似た大きさ。その程度の言ってみれば外洋を航行するにはちいさい船で南米ペルーまで行ったなんてちょっと信じ難いのですが史実。
(まぁ笠戸丸も「6,011トン」ですから小さいですが…)
中央新聞 明治33年5月30日号「八百の同胞死に瀕す」
明治33年というのは覚えやすい1900年の話。今から121年前に東京近郊で読まれていた新聞の見出しです。記事内容はまさしく「瘴癘(しょうれい)」です。
文字を追ってるだけですが気持ち悪い。不衛生な生活環境が手にとるように分かります。
この時4回にわたって特集された新聞記事に出てくる気になる名前「森岡商会の森岡真」なる人物が悲劇の主犯格と言える人ですが、この人のデータがネット検索してもヒットしません。
こんな歴史的に重要なキーワードがネット検索に引っかからないなんて、いかにゴミ情報に溢れているか。かつての移民情報のタブー度合いを思い知らされるぐらい大事なキーワード。
詐欺師「森岡真」と「田中貞吉」
今風に言えば大手旅行会社によって移民渡航手続きがなされていました。言ってみればその旅行会社社長が「森岡真」、現地手配担当マネージャーが「田中貞吉」といった感じ。
「東洋移民、南米移民、日本植民、日東植民」という4大エージェントが束になって海外興業株式会社を作り、後に伯剌西爾拓殖会社と森岡移民会社を吸収するわけですが、森岡移民なる会社データはネットでは皆無。国立国会図書館へ行って紙ベースで調べないとダメですな。
この辺りのことは以前もリンクした国立国会図書館の「ブラジル移民の100年」に少し説明がされており助かります。
本書では移民者「石井シケ」さんへの聞き取りで「モリオカショウカイ、エンガニョ(だまされた)」と書かれています。この「森岡真」なる人物がとても気になる。
森岡真の子孫が生きていたら絶対に表に出せない黒歴史
立身致富信用公録(りっしんちふしんようこうろく) 第五編(明治35.4月)に名前を発見。この本が何か説明不能なので書いてあるままにメモしとますが詳しくはリンク先でご確認あれ。
ざっくり言えば明治のスーパー社長列伝紹介本ですがその中に「モリオカショウカイ、エンガニョ」が登場しています。国の鏡って、ちょっと言い過ぎやろ…。
森岡真は「京濱銀行頭取」であり「森岡商会社長」ということになります。
この文では前頭取をクビにしてその座についたとあります。そして「但馬豊岡藩主京極子爵の奮臣森岡六右衛門氏の次男にして弘化3年に誕生し…正六位動六等に叙せられ云々」とも。
明治35年にはずいぶんと持ち上げられた記録ですが他方で「詐欺師」と言われた人。
こんな大事な歴史があまり知られていない最大の理由はペルー移民第1陣の殆どが討ち死にしたからだと思いますが、それ以外にも「京濱銀行」の暗躍が大きいのではと妄想。実はこの銀行データもほとんど見当たりません。
全銀協データによる株式会社京浜銀行は明治31年〜大正2年に営業し後継銀行は無く「解散」となっています。 つまり1898年〜1913年のたった15年で消えた銀行。
明治国家自体の貧乏時代から、現代の銀行ルールに通ずる基礎が整うほんの少しの期間、約15年というとてもニッチな期間でこの銀行が庶民から強制カツアゲした額を知りたい!!!
森岡真(森岡商会)なる人物がペルー移民の第1陣を仕切っていたわけです。
その本当の意味での詳細が殆ど残ってないというのはペルー日系史としては寂しい限りに感じながら読み進めました。言ってみればAirbnbが民泊に旋風を起こし、その波にいち早く乗って一稼ぎし、国が民泊ルールを整えた頃に総員撤退みたいな…例えが雑でごめんね。
銀行は信用創造で食ってるわけですが、明治時代はまだ銀行の概念が黎明期とはいえこんなカス銀行が移民から金を巻き上げて「強制貯金」とか狂気の沙汰。逆に言えば日銀の日本銀行券なんてほんの1世紀の話であって歴史で言えば一瞬。未来はデジタル通貨が基軸になることだってあり得る話。山﨑豊子か、橋田壽賀子か、池井戸潤のような…この銀行にフォーカスして歴史を暴いたらヒット間違いなし。
余談 : 政治家「星亨」と「京濱銀行」
少し気になって調べると「京濱銀行」と政治家「星亨」がつながります。日本策士伝(小島直記)にはこんなことが書かれていました。
この本によると「京濱銀行」は「星亨」の政治資金集金用プライベートバンクが伺えます。つまり私物化のマネロン。
本書では森岡商会について触れられていませんが星亨が政府に民間移民会社の認可をねじ込んだことは有名ですし、南米移民の汗と涙によるお金が国内政治のよからぬことに使われていた可能性も否めませんが、
無印の位牌、戒名のない位牌
伊芸銀勇氏を題材とした舞台と現地取材にこの辺りの内容の一端を垣間見ることができます。興味ある方はリンク先からお楽しみください。
とにかく移民第1陣はリアル人柱の棄民と言って問題ないでしょうね。ほぼ全員が討ち死に。
ペルーにある慈恩寺という南米最古の寺には、この当時の遺骨も大量に安置されているらしく、この本では以下の紹介でした。
味の素の缶は私の年齢ではかすかな記憶しかありませんが「あの空き缶に遺骨か」と思うと悲しさを通り越して虚しいですな。ご興味ある方は画像検索Go。
この文章の続きには著者も「ぎょっとするような短い文章が私の目に飛び込んできた」とあり、それはもう筆舌し難い内容でして、私もこの辺りを読んでいる時は完全に没頭しており「ホンマにこれが事実だったらもっと克明に残しといたほうがよいな」と感じました。178ページにてご確認ください。
最終的に第1陣で残ったのは「新潟県25人、広島県4人、山口県1人」の30人。
たったの30人。
これがペルー移民史の最初ですから笠戸丸のそれとは全く違う展開に「佐倉丸」が記憶されないはずです。個人的には度肝を抜かれた「ペリー下り(流れ)」前夜の話。
当然出てくる「八木報告の事実」
「ペリー下り(流れ)」では必ず登場する人物「八木宣貞」その人。
本書には八木氏が記録した「50年前後の思い出」の原文が多数引用されていたので食い入るように文字を追いました。先にリンクした伊芸銀勇氏の舞台にも八木氏のメモとそっくりのシーンが多数出てきます。
第1陣移民の「死して屍拾う者なし」な実態は「ペリー下り(流れ)」も霞むインパクトでしたが、本書には八木さんの私家版ストーリーを補足するかのように「神田蕃男(しげお)」という方の移民記録が生々しく綴られています。例の「アンデス越え」ルートも超克明に記録。
以前に別の本でルートを見ていたらタンボパタ川沿に移動したことが書かれていました。
つまり日本語だと「田んぼ端の川」ということ。
余談ですが、上の地図、かなり詳細な手書きの地名が乗っておりますが、これとGoogleマップを照らし合わせてもGoogleさんに地名が載っておらず、気になり始めたら止まらなくなってペルーの詳細地図を見つけ出して確認したのが下の地図。
赤線が峠越えの本線、緑線をアタックしたかはいざ知らず、緑線はボリビア国境沿いを抜けタンボパタ川の源流から船(というかイカダ)で下れるルート。この地図の赤線を移動するだけで所用日数約3週間。各地からティラパタまで7-10日。ぶっ通しで移動だと2ヶ月近い行軍。
こんな感じで知らないことだらけの歴史が次々披露されて「もうお腹いっぱい」と思ったあたりで出てくるのがブラジル移民の「笠戸丸異聞」という章。面白いけど読み疲れる本。脳ミソ沸騰。
笠戸丸異聞と沖縄県移民
香山六郎、水野龍、上塚周平といった有名どころをはじめとし、大小様々なインタビューエピソードや沖縄移民のメンタル考察などこちらも盛りだくさん。
沖縄県人のDNAに刷り込まれているんじゃないかと思うぐらいシマーは世界に点在されており、改めてシマー移民の本を読みたいとおもっていますが、どうしても内地視点で沖縄を見る癖が抜けませんな。自戒。
沖縄については日本とは別次元の島国根性を垣間見ることができます。
なにせ琉球という独自のアイデンティティを持った小さな島の人々が南米のあちこちに移民として出かけては沖縄へ仕送りした話は沖縄の歴史に興味を持つきっかけともなり、数珠つなぎで本から本へ移民予定です。
てなことでとても内容の濃い本。個人的には前半のペルー移民が印象的。
どうもネットから伝わってくる現在の日系ペルー移民が残そうとしている歴史は「移民に苦労し、太平洋戦争に巻き込まれ、排日で資産を破壊&接収され、アメリカに抑留され、モグラ叩きのように何度も叩かれて大変だった」辺りの強調が主に感じますが、いわゆる「何者か?」という部分まで掘り下げるとすれば、ブラジルが「笠戸丸」であるようにペルーは「佐倉丸」というストーリーが自然なんですが、その第1陣があまりにも悲惨な死でスタート。
もしかしたら日系ペルー人から見ると「佐倉丸?知ってるさ」な感覚でも日本人は「佐倉丸?なんそれ?」みたいな違いがあるかもしれないですな。
移民を送り出した各県のサイトには少なからず移民情報が書かれておりますが、香川県サイトには詐欺師の子分「森岡商会の田中貞吉の努力によって」と持ち上げた文章もありました。
これらが事実であったとしても本書には顔写真と共に「毎日酒びたり」ともあり、異なる情報が残っているだけでも多面的に分析できるので興味深く読み進めました。まぁ人は生理的に好き嫌いもありますし、出会いのタイミングもある。
映画「あゝ野麦峠」も明治から大正時代の実話で、標高が低いとはいえ3,000m級の乗鞍と御嶽の間1,700m辺りの雪深い野麦峠を小中学生の工女が徒歩で行き来してたわけですが、現代での非常識は当時の常識で、そういう時代だったからこそ移民も「アンデス山脈?まゝ峠越えてみっぺ」みたいなノリで出かけられたのかもしれませんが、まぁ比べられませんわな。
標高が違いすぎる。
いずれにしても移民第1陣は残留30人ですから「ペルー移民第1歩を残す記録がない」という状況ですが、これら初期の出来事が昭和に映像化されていないのがとても残念。何か残っていれば是非見てみたいものです。
おそらく最古移民者の末裔は今8-9世ぐらいですから明治も遠くなりにけりです。間違いなくドキュメンタリー映画として成立しますがインタビューを撮れない今となっては遅きに失した感がありますな。やはり映像は時と共に正確さより脚色が増えますよってに。
もうお腹いっぱいで倒れそう。
この「日本人海外発展史厳書 – 明治海外ニッポン人」は南米移民書として超おすすめの一冊です。
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