今回もトーマス・クック倒産がきっかけで読んだ本。
作者のモースさんは大森貝塚を見つけた人でして、言われてみれば社会科の教科書で見たような見てないような、記憶にはない人でした。こういう記録を残してくれたというのはありがたいことです。
クックの倒産後から日本の明治維新前後の写真を漁り始め、やっと目が慣れてきました。
前にも書きましたが駕籠屋や船頭がケツ丸出しでふんどし一丁の姿は「・・・」でしたが、まあそれも文化ですよね。
私も30年前に歩いた東南アジア各地の写真がありますが、当時でも開発途上国でカメラや写真は珍しく、現地の人からかなり珍しがられた記憶があります。モースとはレベルが違う話しですが擬似体験できたのはよかったと感じます。今はスマホで撮ってSNSで共有なので有り難みは無くなりました。
ちなみにフィリピン、インドネシア、中国、スリランカなんて国名は今でこそ「ふーん」ですが、私が旅した当時でも家に固定電話や水道がありませんでした。
つまり、この30年間は世界の誰にとっても異常なスピードで変化していることになります。
ちなみに私が撮った写真のネガはデジタル化して全て捨てました。なのでいつでもプリントアウトできますが、いつかまた出かけた時に生写真を手渡ししたいと思いその当時現像した写真を持ち歩き続けて四半世紀が経過しました。別の意味で新鮮でしょ?
というのも、当時は日本で買うフイルムも高かったので旅先調達が一般的でした。更に、撮り終わったものは空港のX腺検査で感光すると言われた時代なので可能な限り旅先で現像する派でした。よって手元に残る写真サイズもバラバラ。その多くは写真の裏にKodakと書かれています。
100-150年前の写真は横浜以外すべて田舎というぐらい横浜を中心に撮影されています。山下埠頭から富士山へは直線距離で100キロ以内。この半径100キロ圏内は洗練されている場所も多く、偶然ではありますが江戸っ子に見られる粋な様子も残っています。
私にとって一番衝撃的だったのが箱根。
というのも横浜駅も新橋駅も同じデザインの建物で、とても日本とは思えない風貌です。上の写真でも洋服、笠、子どもから和洋折衷の最先端が伺えますが、これと同時期の箱根が下の様子。
まぁ見方によっては整然としていますが建物から受ける印象は別の国というぐらい雰囲気が違います。ただね、モースさんのみならず多くの外国人が「建物の内部は清潔」と書いております。
100年前の日本ですよ。ちょっと信じられない。
こういう場所を抜けてホテルにたどり着く旅人の心境を知りたいところです。
富士屋ホテルのサイトにも自動車が登場するのは1914年頃と書かれており、それまでの2-30年間は人力車なりで宿へ行き来したことを妄想するだけで不思議な感覚を覚えます。
今でもこういう格差を感じる景色が見られる国は多々ありますが、全く生活様式が違う国への旅で宿の西洋化対応がもたらした安心感によるインバウンド貢献は大きそです。まぁ別の側面としては外貨獲得などの理由もあるでしょうが…。
そのモースさんですが「日本その日その日」という本があります。その当時のこと、つまり1880年頃の日本が克明にスケッチと共に記録されています。私も一瞬奇異に感じたフンドシ姿はモースさんにとっても奇異だったようです。
実はこの本は青空文庫で読むことができるので買う必要はないので興味がある方は読んでみてください。書かれていることがめちゃくちゃ面白い。1章を少し抜粋しますと…
粗末に捨てられた草履の姿を想像できます。
これは人力車についての感想らしく…1890年の10セント価値は今どうですかね?
住宅兼店舗。確かに昔の建物は結界が自然と融合していて不思議です。
住宅は超開けっ広げでも衛生的な生活だったようです。
なかでも印象に残ったのが子どもについて書かれた下の文章でした。
写真から想像すると、カテゴリーは子どもですが待遇は大人と同等ですので辛さもあったでしょうね。小学生ぐらいの子どもが赤子の世話をする時代ですから。でもモースの文章に悲壮感は無い。どちらかというと伸び伸びした印象を受けます。
参議院資料に「歴史的に見た日本の人口と家族」というのがありまして現代までの人口推移が書かれており、それまでは多死社会だったものが少死化に転換し出生率が上向いたとありました。
私の記憶にも産まれてから大人になることが難しい時代という認識は消えつつあります。巷では人生100年とか言ってますが、1921年~25年の平均寿命は42.06歳だそうです。今から100年前だと私は既に死亡。日本が衛生的だと書かれていても死ぬのが早い時代だったようです。
この本からもトーマス・クックが初期の世界一周旅行をしていた頃の日本の姿を楽しむことができました。色々と考えさせられますよ。例えば(新興)宗教とか。没入すると、それが全ての如く語られる時代ですが、100年以上前の写真を眺めていると全く関係ない時間軸で物事が進んでおりそれが全てではないような気もします。正に新興の宗教。
不思議な時代を生きてますね。
ちなみにこの本に出てくる写真はNスペの「司馬遼太郎 思索紀行 この国のかたち」でもちょいちょいインサートされています。私がそのことに気づいたのはこのじ様の写真。
1890年だと男はボウズ頭が一般的のようですが後方には4-5人帽子をかぶった姿も。この写真、どうしてこんなにもインパクトがあるのか不思議な写真です。吸い込まれる感覚。このじ様も、よもや自分が130年後にも注目されるなんて想像できないですよね。
なんとなく「どーだい、お前もコイツで一服するかい?」みたいな茶目っ気に頬が緩んだポーズの後ろに写る面々の歯を見せた笑顔のせいですかね。
これを見て私もハッと気付きました。この写真を撮っているのが外国人ということを。
つまり外国人(旅行者)に対してこういう笑顔を見せることが出来る国民だったわけです。
私もそれなりの渡航経験がありますが、どの国でも笑顔でもてなしてくれるわけではないので良きDNAを持った国民として嬉しくなります。こんな時代を経て今があると思うと、この写真のじ様に対して「初代インバウンド大使のお勤めご苦労」と言うべきですかね。
とても見応えのある本で満足です。お勧めの一冊です。
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