せっかくの機会なので、この際徹底的に調べつくしてやれと思って購入してみました。有名な「日本の歩き方」です。
1900年には日本でオフセット印刷が可能だったそうですが、表紙と中に綴られている紙質が異なります。本というよりは小冊子ですが、唯一の日本語がカバーページに書かれた「世界旅行案内社 株式會社 トーマス・クツク・エンド・ソン」ですので日本以外の国で印刷されたものを船に積んでいたのかもしれません。
さらに半世紀さかのぼった時代の書類も読みたいのですが、さすがに1850年ごろに残る観光書物は少なく、残っていても手にできないお宝価格で買えませんが、この小冊子だけでも世界を知るワクワク感があります。
ちなみに表紙に並列表記されている「Wagons-Lits Co.(ワゴン・リー)」はオリエント急行へ話しがそれるので深くふれませんが、いわゆる豪華列車の歴史まで話がさかのぼり、トーマス・クックは観光と輸送をパッケージ化した元祖でもあり先見の明に驚くばかりです。
もし戦争がなければトーマス・クックも世界変化に緩やかに対応できたと思いますが、戦争により飛行機の開発に拍車がかかり、その運行管理の波に乗りそびれたことが斜陽のはじまりだったのかも知れません。最低でも3世紀ぐらいの幅で振り返ると面白そうです。
最近はマーケティング広告で「創業130周年、140周年」という文字を目にしますが、それはまさしく明治維新の出来事で、その頃ひらめいた先代の蓄財を大切にしたきた結果が今です。
いくつか面白そうな文章をかいつまんでご紹介。
「HOTEL NEW GRAND YOKOHAMA」の広告が描かれており経験豊富なヨーロッパ人シェフが腕を振るうと書いてあります。挿絵はちょっとヨーロッパ風にアレンジされすぎている感もあり、まるでレマン湖沿いのリゾートホテル的持ち上げ方です。
「List of 300 Branch office」と書かれています。この時点で300支店ですから大英帝国発の勢いある時代が伺えます。P.54-55を斜め読みした印象はアフリカと南米は手薄ですが、それ以外の国は今風にいうと「どこへ行ってもMcDonald’sとCoke」みたいな状態です。
1894年にトーマス・クックの横浜支店が出来ましたが「After the earthquake of 1923」ということで、関東対震災の余波で機能を神戸(支店)に移し、地震の5年後となる1928年に再び横浜支店を再開したと書かれておりました。
「Telegraphic Address」という言葉を初めて知りました。今だとアプリのテレグラムを思い浮かべますが、名前の通り電報の打電受信に使う住所ですからネットだとドメインですが、その名も「COUPON」だそうです。予約はハーツ(0120-489882)みたいなもんでしょうか?つまり世界中でクーポンと言えばトーマス・クック。
神戸でも横浜でも香港でも天津でも北京でも。全世界で「COUPON」です。クーポンの元祖もトーマス・クックです。
「Japan」の説明で面白かった点は、この冊子を作った時点で表記の人口が「59,736,704人」、「日本は4つの大きな島と4,000の小島から成る」などなど。とても正確な情報に驚きました。
「The way of the GOD」ってナニ?と思ったら、それは「shinto(神道)」の解説。改めて説明文を読んで「訳すとこうなるのか」と思いました。すべての道は神へ通ず!その中身は自然と先祖崇拝という説明の後に仏教もポビュラーで推定5,000万人の信者と書いてあります。これを読んだ旅人は人口と宗教の関係をどう感じたのか?
「Tomo port on the inland sea」という写真が載っています。たぶん「Seto Inland Sea area」の鞆の浦だと思います。仙酔島方面から眺めた構図に似ておりますが、この頃の日本では活気がある地域の一つだったかもしれませんね。森下仁丹や鞆軽便鉄道で有名でしたし。
「355% ad valorem」なる文字。読むと葉巻は100本まで、紙巻きは無制限に持ち込み可能と書かれておりますが、葉巻が数量超過の追徴課税が355%って時代があったんですか?みたいな未知の世界の案内書のような気分で眺めておりました。
まったく書ききれないほど面白いガイドブックです。
お金の単位と為替レート、郵便の国内・海外料金、通信ケーブル利用料金、各種単位換算(尺、軒、町、里、貫、坪)というお決まりのものから人力車のレートまで。国鉄の案内からホテルのクーポン支払い、現地ガイドや車の手配に至るまで、もはや現代と変わらない様子にワクワクします。
車も細かく見ると「4シートだといくら、6シートだといくら」と表記され、案外細かい。
以下、個人的に目を奪われたページをチラリご紹介。いずれも100年前の日本で供されていた旅行サービスの一部です。
しつこいようですが100年前ですよ。
今風に略せば「JGR」ですが見て驚いたのが右側の2等寝台の写真です。おかっぱ頭の女の子が寝てる様子に見えます。顔の横に置いてあるのは日本人形だと思います。現代と全く変わらないですね。左のダイニングカーなんて昭和生まれには珍しくないことですが、それでも贅沢仕様に感じます。
何十年も関西に住んでいながら一度も見なかった京都の葵祭です。確か御所から上賀茂神社へ向かったと思いますが、ナニが凄いって…この写真を見て「昔は牛車で御所車かぁ」と懐かしむよりも、令和でも牛車というのが凄すぎです。
東京から陸路サービスとして韓国経由北京行きの時刻表ですが下関から先も日本手配という時代です。なんといっても地名が読めない!Mukdenが満州語で奉天とか言われても語彙力なし!
歴史から消えた「旧余部鉄橋」です。私も一度は通過してみたかったのですが写真や映像でしか知らない歴史になってしまいました。こういう写真を見ると文明国家に見えます。
1930年の小冊子ですから載っていてもおかしくなとはいうものの、かなりのインパクト。以前モース・コレクションでメモした富士屋ホテルのバス。右下に日本語が載っていますのでホテルから提供された写真のようです。100年前でこれですからおしゃれ。
55ページ以降は広告スペースです。普段なら見もしないのに喰い入るように見てしまいました。
例えば京都の新門前通りは2ページにわたりショップ名と店主(店名)が書かれております。ざっくり言えば古美術の類のお店一覧ですが、やってることは今も一緒。恐れ入ります。
横浜にはクックの下請けとおぼしきプライベートガイドサービスの会社があったり、御木本真珠にボンベイ(ムンバイ)支店を見つけたり、着物屋のビジネスポリシーに「正直」と書かれていたり、かの有名な通称マヤ遺跡(摩耶山ホテル)の現役時代の写真が載っていたりと盛りだくさん。
まったく飽きさせない面白い本です。全てが歴史です。
読み終わって感じることですが、旅行業は「なんでも屋」でゼネラリストのような印象を持っていました。気づけば旅行の仕事も業種毎に細分化されており、自分が「旅行の現場と直接関係があることだけを手配するなんでも屋」というとても狭い範疇の旅行業時代を生きていたことに気づきました。というのもトーマス・クックは旅に関係するものは例外なく全てに手をつけてパッケージ化した元祖で本当の意味で旅のスペシャリストです。お金、鉄道、荷物、ホテル、通信、郵便、船旅など、あらゆる付随サービスも「全てトーマス・クックにお任せ」です。 今再び求められているスタイルかもしれません。
この小冊子はJAPANですが、これが数カ国にわたって現存しており、それはそれで別の国の歴史を垣間見るのに価値ある一冊だろうと思います。そんなに高いものではないので2-3カ国は買って読んでみたいと思っています。久しぶりに没頭した時間を過ごしました。お勧めの一冊です。
コメント