50代は折り返し地点ではなく初期高齢者 : プチパッシブ生活へシフトする件

ひとりごと
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本日のタイトルはアフリカで言えばマサイマラのマラ川を渡る時になぜか先頭を走るシマウマのようにバブル崩壊による就職難の先頭を走ってきた団塊jrの体感によるもので、50歳からの自分の生き方メモです。

今はコロナの真っ最中ですが、気持ちはアフターコロナになってしまい、その辺りのことをメモしたいと思います。簡単に言えば50代は親の介護と仕事中心の生活へシフトするメモです。

さてと...

これだけお金をばらまいても売上が伸びずどこのお店も在庫の山。

肌感覚として地方消費は5割回復の印象。都会は6-7割ぐらい回復してますか

3ヶ月間の売上が落ちまくった中での地方5割回復は浪費操業経済では全くお話しにならない悲惨な状況です。「6月の街角の景況感最大の上げ幅で23ポイント上昇」というのは下がりすぎが少し戻しただけ。

内部留保や自己資金に余力がある経営者は「1年は我慢できる」といった自慢動画をアップしていたのも5月末まで。家賃でお金が飛ぶように消える日々に1年我慢できるはずもなく、政府施策を利用することなく6月末には「閉店します」宣言の多さ。

そのほとんどは9月から10月中の閉店です。

会社清算(解散)は離婚に似ています。

結婚は簡単ですが離婚は大変でしょ。あれと一緒。

会社は1週間で設立できますが精算は早くて4-5ヶ月必要です。つまり6月に廃業決定しても会社が法律的に消えるのは超速で10月ごろです。経営に長けている人ほど年まぎ閉店を避けるんじゃないかと妄想していました。経営の素人ほど「まぁなんとかなるさ」と思って続けてどーにもならない泥沼パターン。

不動産を買わなかったことで創費心理を探る時間ができた

以前NYダウが垂直落下した日に不動産買付をしかけたことをメモしました。これというのは今まで「こーゆーことがしたい」と思って虎視淡々と狙っていた場所に千載一遇で舞い降りたチャンスでした。結局買わなかったのでせっかくのチャンスを棒に振りました。NYダウがおはぎゃー後の2-3日で感じ取ったことは震災後に感じたあの「硬直感」です。

不動産買付証明書を寸止めしたメモ
いいお天気が続いております。とてもコロナが流行っている雰囲気ではないのですが世界はパンデミックです。イタリアから絶望の声が届き始め、スペインも飛び火し、ヨーロッパ全域が他人事ではなくなりつつあり、NYダウが過去最大の下げ(2997ドル安)を演じた朝、ちょっと気になる物件が....

ただね、我が家系も空き家が残っております。宮大工が建てた築浅。そこへ両親のポンコツ化が著しく、どんなに遅くとも15年、そこそこ頑張って10年、普通だと5年以内に両親がこの世から消えることにより更に空き家が増えます。この空き家も築浅。

あの2-3日は徹夜でいろいろ考えたのですが、どう考えても従来思考でお金が回せない時代の変化を感じました。たぶん買えば2-3年は楽しむと思いますが、家が余るコロナ共存時代に「夢はこーゆーことがしたい」レベルの欲求で買うにはリスクが大きすぎた感じです。その後の心境の変化と申しますと「物件を買わなかったことで得られる行動の自由度」の再確認です。

贅沢を言わなければ終の住処候補が既に在り、買おうと思えばタダでもらえる時代に向かっているのに「そこまでして不動産要らんやろ」と思い始めたわけです。

なにごとにもタイミングがある。50代は親の介護と仕事に打ち込む時期へ

普通は介護を避け、逃げたがると思います。誰しも自分が作ってきた生活スタイルがありますからそれが維持できないのはストレスですよね。でも私はそれなりに向き合いたい。私がイメージしている割合は「介護7 :仕事3」ぐらい。それ以上は自滅するので突っ込みません。

もちろん時代も自分も変化していますので、チャンスが来れば先に触れた「物件を買う」ような行動もあり得ますがそれに対する興味が完全に薄れました。特にこれから1-2年は超お買い得物件が続々と出てくるのは間違いないのですが、そういった超お宝&お買い得物件を手放す人の心理を妄想するのが最近のトレンド。

国内の不動産市場価値なんて都会のごく一部の駅チカだけで、ピンポイントでは有望でも自治体全体では大赤字の場所ですから永続性はなく、折しも時代はテレワークですから今後は一等地を持つ苦労も漏れ聞くと思います。

歳をとれば体の動きが鈍くなり1ヶ所に落ち着いた生活にする方が良いと思っているのですが、他方で私から下の世代は老後がなく、私は資産を残す必要もないので、介護が終われば体が動き続けるまで世界を放浪し続ける選択肢も作りました。海外でのたれ死んでもokの心境。(←あくまでもそういう気持ちというだけ。

今すぐ世界放浪をはじめてドットコネクトする自信はありますが、親の介護をした後の方が苦しみ、痛み、我慢、親切、不自由、感謝などを飲み込んだ文章や会話が繰り出せると思っています。

それでも深夜特急のあのシーンが思い出されます。

老いたら一つ場所に落ち着くように心がけよ。

つい何度も見ちゃうDVD「劇的紀行 深夜特急」
このDVDの帯に書かれたキャッチが「マジに酔狂。」ですが、そのネット訳は「普通は人のしないようなことを、好んですること。ものずき。」だそうです。このDVDの元はテレビ番組ですから演出だらけのはずですが演出を感じずに見られるのも特徴で、本をテレビ化しようと旅に出たら旅にテレビが喰われたお手本のような...

この感じだと冬はコロナ禍第2波が来そうです。アメリカは第1波がビッグウェーブですが、すでにアメリカの航空会社はソウル経由上海行きを飛ばし、まもなくインド路線も再開だそうで、残るブラジル路線を解禁したら、日本が毒性の強いウイルスに苦戦するのは時間の問題。それよりも国内感染者増加で日本産の強毒ウイルス変異も可能性としてはあります。

100年前のスペイン風邪がそうであったように来年も再来年もシーズン毎に騒がれると思いますが5年10年と年を経るごとに落ち着きをとり戻すとも思います。その頃になったら旅の期間を決めず、ビザの兼ね合いでフラフラと歩き続けるような旅を想像しています。

ウィズコロナ時代に必要な「人文学」とは?京大・出口教授が語る「いま立ち止まって考えること」の重要性
「生き方を変えろ、社会を変えろと言われても、これまでの延長線で考えたところで答えは出てこない。これまで歩いてきた道が、足もとからフッと消えてしまった...

介護に関しては病院や介護施設へ丸投げの選択肢もありますが、自分の生き方として社会的に意味がないことを自分の哲学から排除する行動をしたくないので、できれば両親を見送り、その後自分の最期の自由な時間を過ごして死ぬという選択肢。まぁ息子が親より先に逝く可能性もありますが、それはさておきこの計算でいくと私が介護から解放されるのは遅いと還暦。その時点で自分の体も相当ガタがきているはずですが、その時できることをして楽しみ、薬に頼る延命を選ばず逝くのが今のところのマイストーリー。介護と向き合うのも私の人生でございます。

そうは言っても今を生きることが世界大恐慌並みの厳しさで、回復に7-10年は必要なわけで、今を悪あがきしない選択とも言えますが、日々ヒントは探っており、ひとつのシンプルな結論にたどり着きました。それが「これからの消費は家で出来ないことだけに絞られる件」です。

「自分では出来ない、苦手なことにお金を使う」という、ごく当たり前の消費行動へ

なんとなく「家でできることは外で消費しない」方向へ向かっているようです。家でできることは商売にならない。もちろん「今のところ」という意味ですよ。時間とともに思考は変化するので先のことはわかりませんが、知人経営者もそのことに気づたようで10月目処の閉店予告メールが続々と届き始めています。

コロナ時代は間違いなく質が問われると思います。雰囲気で消費されない現象が起こっている今、これから先の時代でお金を支払う基準は「自分の家(部屋)で楽しめるサービスのお店へは行かない、そのお店でしか体験できないことにお金を使う」です。

例えばホテル業が大変な時期です。今までは「ビジネスホテル」「シティホテル」「リゾートホテル」といった分類でしたが、今後はホテル業の運営や経営理論が通用せず、寝るだけのホテル、スペース借りの民泊、空室を捌くための新しい生活様式対応プランといった需要は消えます。例えば「温泉付き」とか「一棟貸し」に泊まる。ステイホームとの違いを瞬時に理解できる対極要素がないと生き残れません。節操のないM&Aを繰り返す総合リゾート運営会社も苦戦すると思います。

例えば飲食業が大変な時期です。今までは「和食」「洋食」「定食」「中華」「てんぷら」「イタリアン」「カレー」といった具合にその日の雰囲気でランチを選んでいました。これからは家での調理が難しい、手間がかかる、片付けが大変な「寿司」「焼肉」「フランス料理」などは外食するかもしれないけど、スーパーで揃えられる料理の外食は後回しです。つまり飲食店が真面目に感染症対策をしても客はもどりません。

例えば夜のお店が大変らしいです。まずは「夜の接待を伴うお店」の業態を正確に公表した方がよいでしょうね。マイルドに捉えるとホステスとお酒を飲める社交場もフォーカスされてるわけですが、トークだけで勝負できた時代が突如終わりましたがお酒を飲む習慣は消えておらず、オンライン対応したお店もあるとか。でもね、そんなのユーチューブのライブ配信に参加しながら酒を飲めば嗜好も選り取り見取りです。

例えば旅行会社が大変らしいです。キャリアはVRで現地に行かない「下見旅」を仕掛けていますが、オチは「地域の特産品をはじめとしたリアルな商品をパッケージ化して一つの体験商品」というビフォァーコロナ的モノ消費。世界のあまねく汚れたリアルすらユーチューブで見れる時代だというのに。もしかしたら永遠にコロナウイルスとは同居生活ですから旅行に限らず全産業でキャンセル料が復活するはずです。もちろん旅に出かける人はキャンセル料のかからない方法を探し、ここでも二極化と淘汰が起こります。

"アフターコロナ"の旅行はより贅沢なものになるだろう —— ホテル業界と航空業界の専門家が予想
ホテル業界や航空業界の専門家によると、"アフターコロナ"の未来の旅行はより豪華でロマンティックなものになりそうだ。高度にパーソナライズ化され、ソー...

人との接触は飛沫感染リスクが高まるので敬遠されるのですが、そのリスクを冒してまで行動したいと思わせる動機のハードルが突如上がりました。60代半ばから下の年齢層はブラジル大統領を先頭に「ただの風邪と一緒なのに自粛なんてアホか、金儲け最優先」と一蹴して好き放題行動し、それより上の年齢層は別の意味でニューノーマルに馴染んでおります。「生きることを楽しむ」ことしか経験していない世代と「食べることすら大変だった」世代との経験値の差が「コロナ自粛というよりも、足るを知る生活にするだけ」という適応能力差に驚かされます。

残念なことに現時点で日本のお金のほとんどは老人が握っており、若者がどんなにデジタルで息巻いても若者が落とすお金の分母は小さく、コロナ以前と同じ漁法では獲物が釣れないことを痛感している若手経営者が増えていると思います。

足りないことを補うため、再び英語辞書を開く日々

先に触れた通り、人生の最終盤で「還暦からの世界3周ポツンと1人で僻地の旅」みたいなことを試みるために学び直す意味もありますが、コロナ禍で苦戦したのは情報集め。病気の知識が一切ないので単語の理解に苦労しました。日本の医者発の英語情報はとても参考になりました。あえて情報を2つに分けるとこんな感じです。

〜・〜

a.時間を割いてでも取り入れたい情報源
・パンデミック地域メディアのライブ情報
・国や地域に関係なくコロナ治療の医師ではないけれど医療現場で働く医師の考察
・パンデミック地域で暮らす生活者の肌感覚情報

この辺りから得られる情報の殆どは英語です。なかでも興味深く時間を割いて読んでしまうのがコロナ治療に携わっていない、専門分野が異なる医師による考察。とかく呼吸器系で騒がれたコロナですが体は全体で1つですから、それ以外の疾患や障害から推測されるプロの見立ては興味深いものが多々です。


b.参考にする時間が無駄な情報源
・ネット動画でエビデンス無しでペラペラ喋る医師の私見
・テレビ(のワイドショーなど)に出る医師の意見
・日本のオールドメディア情報

なにより日本語情報は世界平均から2-3日、遅いと1週間遅れです。

例えば7/7は日本語で空気感染のニュースがツイッターでトレンド入りしましたがアメリカでは7/5に英語で発信済。この件に関わらず英語情報をオンタイム処理して儲けるのがここ数年のトレンドです。

特にテレビはライブで速報性が重要なはずなのに毎日「夜の街での感染者数がどーたらこーたら」だけやっていて見る価値なしです。たぶん毎日のワイドショー最大の見せ場は「今日の東京の感染者数はホニャララ」でしょうね。それでもスマホより届くのは遅いですが。

〜・〜

でね、情報を真面目に読みこなそうとすると「T細胞、NK細胞、マクロファージ、サイトカインストーム、ワクチン」といった単語のオペレーションやロジックを知らないと文章の全容が掴めず、人生に馴染みのない単語や略字に四苦八苦しております。グーグルが商売として見せる検索結果ではなく、自分が欲しい情報に自分脳検索エンジンでたどり着いた時の充実感たるや。

世間体(体裁)という表層的カタチを整える出費を100%止めた

もともと栓は締め気味ですが、多少漏れたり漏らしたりしておりました。現在漏らしているのはウイスキー代のみ。漏らす先は胃袋。入れたら消えます。そこが素敵。

私のことをよくご存じの方からは「アイツは他人目線なんか知らんがなタイプやで。絶対に比較する意味ナシって言うで。相談したら間髪入れず「そんなん辞めたらえーがな」って即答するで」という性格で知られております。その通りなんですが、口ではそう言っても頭では同類他者が気になるのが人間のサガ。

一匹狼のような生き方をしていても「となりの庭の芝生が綺麗な雰囲気」を五感が察知して「まぁあんな風に...」というカタチが気になるわけですが、コロナ騒ぎが一向に収まらないおかげで日々「無常」に磨きがかかる日々です。特に物欲。なかでも「保有すること」や「マーケティングによる作られた消費経済(行動)」にステイタスを感じる欲に関しては有限の人生において嫌悪感すら感じつつあります。一皮むけた感覚。

今の時代ゼロからお金を貯めることはとても難しく、金融資本主義ルールに沿ったツボの突き方を知る必要がありますが、お金がお金を稼ぐレベルまで到達すると、お金自体が働くことによる収入に生活スタイルが変化するため本当のお金の意味を考えるようになります。そうなるとお金は稼ぐよりも使う方が遥かに難しいことに気づかされます。

そういう意味で新コロ騒ぎのインパクトは絶大。ほんの数ヶ月コロナ禍で生産消費が止まっただけで広告、商品、消費の虚構を暴露した新型コロナウイルスは偉大です。

遠い未来でも自分がしたいことの方向性を明確にすると介護生活もワクワクする

「自分がしたいこと」も単なる選択肢のひとつで、日々の生活から新しいワクワクを見つける可能性もあります。逆に成就せず逝く可能性もありますが、変化に乏しい介護生活でも自分が進みたいベクトルを決めておけば日々の張り合いも違ってくるというものです。

実は「実録介護日記」も別ドメインで残しはじめています。

自分で書くのもアレですが「介護」というテーマですから内容がブレませんし、必ず更新するのでこの場所よりも濃いコンテンツが蓄積されております。そういう場所があるからこそ、ここで緩いメモが続けられているとも言えます。基本的には遠方の親類がスマホでサクっと確認できるようにと思って記録しはじめたのですが、今となっては病状、処方薬、排便、食事、生き方など介護で困った人にとって役立つことだらけ。

親の介護は親子だからこそ成立するゴールなき世話なので「いつ終わるのか、永遠に続くんじゃないかと感じながら15年過ごした」なんて声も聞きました。もはやその状態を「薬漬け介護による長寿」で片付ける国家の体もどーかと思いますが、ゴールは必ずやってきます。早いか遅いかだけ。

子育てと介護は似ていると思っていて、どちらも「死に向かって生きている」ことに違いないのですが、介護は成長よりも衰退が際立つので敬遠されるんですかね。でもね、私の感覚は違います。不謹慎な書き方をしますが、かつて自分を育ててくれた親が、かくも無残に壊れて認知機能が劣る日々を見つめる面白さたるや、そう簡単に経験できませんよ。

母親に偉そうな口を叩いていた父親や、それを口撃せず父親より稼ぎまくった母親が今となっては見る影もない死を待つ老人として日々衰退する姿は大きな山に例えられ、私もいずれ同じ道を辿ることを考える学びの時間となっています。私は両親より低い山ですが、自分が還暦の頃に「したいことの方向性」を少しずつ明確にしたことで下山方法とペースを学んでいるところです。

私が未来にしたいことの準備は短くても3年ぐらいは必要で、長くて6-10年あれば準備万端と踏んでおり、50代は介護を柱にコツコツ準備予定です。

だって2030年なんてあっという間に感じる歳になっちゃったんだから仕方ない

てかね...

こういうメモを残すと「お前、えらくネガティブだな。もっと楽しく生きろよ」みたいな捉え方をする同僚が気を使ってメールをくれますが、今と10年後の感覚は全く違うと思うんですよ。特に注視しているのが価値観。

スマホの新機種がどーたら、クレカランキングがどーたら、泊まってみたい宿がどーたら、チョメチョメが想像以上にどーたらなんて記事の全てが生活から遠のき、人生におけるテーマとしては内容が陳腐すぎて葬り去られると思います。

今の還暦超えはスマホを使うのにヒーヒー言ってデジタルに振り回される側ですが私の歳になると振り回す割合が増え、10年後は「デジタル・グローバル・地球」が主語にならない時代へ変化済で、トレンドは宇宙だと思います。最低でも大気圏。

たぶんスターウォーズな時代になってるよね

2020年の常識では「いい歳こいたオッサンが歳とってから放浪してアホやろ。てか今やれよ云々...」となりますが、2030年の日本は「無子、高齢、多死」で「多様化」という言葉も死語で、日本のプレゼンスは今より確実に下がっております。私のような行動も選択肢の一つとして市民権を得ていると思います。

アマゾンを覗くと「50歳からのチョメチョメ」本が山ほどあるわけですが、過去の書物は終身雇用の雇われ社長著書が多く、最近の書物でも60代後半が書くとバブルの残り香が消せず、60代前半は自分の上司世代で幻滅を経験済。そして50代。帯に人生100年を見たら読む価値ナシ。

ダイソン社長の「私が唯一できるアドバイスは『アドバイスを聞くな』ということ。経験は過去にうまくいったことであり将来うまく行くかは関係ない」という名言通り自分のアタマで考えて前進あるのみです。他人の人生じゃないですから。

それにしても人生は年齢に関係なく「謙遜さ」が欠かせませんな。最近つくづく感じます。

なにはともあれまずは親に感謝して見送らないとね。自分の遊びはその次です。

時間の使い方が自分の人生だの親の人生だのという議論は万事塞翁が馬。この辺りの感覚が「アイツは他人目線なんか知らんがなタイプ」と言われるゆえんだったりしますが、物理的にお見送りしとかないと気になって放浪もできません。出先から呼び戻されるほうが迷惑。

以上「50代は親の介護、自分の仕事、10年後の遊び準備に専念する宣言」でした。

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