ゴシックラインとフォルゴリト山のメモ

ひとりごと
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唐突ですが、久しぶりに442連隊を思い出してユーチューブで検索したら「ゴシックライン」というキーワードに懐かしさを感じ、「どのあたりの話だったかなぁ?」と思っている間に検索沼にはまってしまい、せっかくなのでメモとして残します。

442部隊は「第442連隊戦闘団」のことで、日系アメリカ人で構成された、アメリカの戦争史上で最も死者を出した部隊でして、つまり最も勲章を得た部隊でもあります。

そのDNAはジャパニーズのアメリカンで2世。

 

二つの祖国で -日系陸軍情報部-
この内容にふれる時、どうしても感情移入してしまうのが容姿による先入観。皆一様に日本人の面持ちであり、なんとなく日本的雰囲気を持っています。DNAがそうなんだから当たり前の話です。しかし中身は完璧なるアメリカ人。

 

事ある毎に442部隊を思う理由はルーツを辿ると同じ民族、同じDNA同士で殺し合った歴史。

一般的に日本は大東亜戦争で「人殺しという悪いことをした」とか「アジアを植民地から解放した」とか「原爆が落とされなかったら戦争が続いていた」など、色々な角度から考察できます。

しかしこうも世界をまたにかけて前線で命を散らした民族も例がなく、敗戦後はアメリカの時代と傀儡経済で一花咲かせたものの、今それがついに途絶えようとしているといった感じでしょうか。

短い期間で見ればバブル経済の破綻処理をせず、もう少し長い目で見れば敗戦処理に失敗し、長い目で見れば明治維新が続いてる話ですが、江戸の末期から今にいたるまでずいぶん混乱した日本が続いているように見えます。

日本は主として米英相手に戦争をしたわけですが、アメリカに住んでいた日系アメリカ人はアイデンティティのひとつ、誤解を恐れずに言えば、それこそが唯一のアイデンティティといって過言でない日本人を叩きのめすことに力を注いでいたわけです。

(生き残るためには他に手がなかった)

その無惨な歴史を知れば知るほど、世界史は全体でみないと全容が掴めないことを感じます。

 

第442連隊戦闘団 - Wikipedia

 

この話を後世に伝えるエバンジェリストのおひりがジョージタケイさん。いろんな場所でこの話をされており、このTEDでもゴシックラインが登場します。

毎回話題となるのが「断崖絶壁を8時間、無言で登り」というくだりですが、それはどこの場所の話なんだ?と思ったのが私。

(そう思ったことがある戦争を知らない世代も多いのでは?)

簡単に説明するとドイツ軍が山の尾根沿いに鉄壁の守りを固めていた場所がゴシックライン。

赤線の場所。

ここを天下のアメリカ軍が突破できずに困っていた時に要請されて「Go for Broke」したのが442連隊なんですが、そのラインがいまの時代になんとなく日本人が知っていそうな地名を拾い上げると「ピサ」「フィレンツェ」「サンマリノ」といった場所。

(なんとなくルネサンスを感じる響)

いまでこそロマン漂う地名ですが、その昔は血生臭い場所だったわけです。

 

この場所を日系2世が歩いたことを想像するだけでちょっと涙が出てくるんですけど…

 

その断崖絶壁を攻略した証がいまも現場に残っているそうです。

別の動画にも登場する場所ですから、今では気軽に行ける場所なんですかね?

下の動画はただ歩いてるだけですが、ルートの意味を知るとなかなか興味深い内容です。

ここでの戦いも壮絶な状況を感じますね。

 

おそらく多くの動画に残るは表ルートで、442がやらかした絶壁ルートは映像に時折チラチラ映る断崖側なんだろうと思います。

wikiにはオペレーション「オリーブ」なる作戦名の地図が載っており、フローレンスという地名と並ぶように「442」の文字が見えます。日本人感覚だと「ガダルカナル」とか「インパール」のような激戦地区がゴシックラインですが、現代のイタリアはハイファッションブランドの印象しかない世代の方が圧倒的でしょうね。

 

442nd Regimental Combat Team Battle History
442nd Regimental Combat Battle History

 

そして生き残った者によって記録が残されているわけですが、上のサイトのタブ「ヒストリー(戦績)」の「AMERICANS, The Story of The 442d Combat Team,View Online:」の「Chapter 7: PO VALLEY CAMPAIGN」に詳細が載っています。

「断崖絶壁を8時間、無言で登り」の場所。

その場所はフォルゴリト山(Monte Folgorito)。

ガイドブックをめくると「トスカーナ州は田園風景が美しい美食の土地」とか書いてますが、80年前は絶賛人殺しだった場所。

ここに442連隊の第3大隊が夜討ち朝駆けしたそうで…

(こんな場所だったのね)

ここから眺める海の景色は絶景ですな。リビエラの風が〜♪

(こんな場所にまで日系2世が出没してたんですな)

この山は2,800フィートらしいので850メートルという小さな山というよりは小高い丘とも言えますが、ネットに転がる写真などを総合すると、当時はなかなか大変な場所だったようです。

ざっくり1時間に100m進めばゴール。

 

なにせ戦争の重装備でロッククライミングですから大変で、大泉洋の名言ではないですが文字通り崖から落ちて「黙って死んでゆく」人がいたそうで、こんな難攻不落の場所を制覇できたのも大和魂という、なんとも内容とキーワードがミスマッチなデータがネット上に散見される戦争です。

安全ロープ(ザイル)なんてないでしょうから、全員スパイダーマン状態でへばりついてのクライミングを想像するだけで

(灯りを消し、声をひそめ、忍足で、静かに上へ)

このあと第3大隊はジェノバへ、第1大隊はトリノへ向かったそうで…そしてダニエルイノウエの腕が手榴弾で粉砕される話へと続く…重いですな。

 

のちに日系部隊はトルーマン大統領に「諸君は敵だけでなく、偏見とも戦い、そして勝った」と言わしめたその大統領が広島と長崎に原爆を落としたという、地球規模で日本人DNA根絶やし作戦が実行されていた時代。

そもそもはハイドパーク協定でルーズベルトとチャーチルが「原爆やるんなら(白人の)ドイツ人じゃなくて(イエローモンキーの)日本人やろ」とあらかじめ決めていた話もあり、とにかく日本人というのは大和民族としてのDNAが覚醒すると「肉を切らせて骨を断つ」作戦に出ちゃうやっかいな民族なんでしょうね。

 

それにしても、こんなことがネットで簡単に知れるというのはありがたいことです。

この半世紀の海外旅行は旅行商品として造成されたものを旅程に組み込みながら非常に狭い範囲での旅でした。仮にその場へ行けたとしてもSNS共有できない時代。

それがこれからはゴシックラインのような場所に自らの意思で、自らの足で、旅行会社を経由せず、より文化や歴史を掘り返す旅へ向かうはずで、誰か世界一周とかやらかしてる若者が動画をSNS共有してくれないかな〜なんて思っています。

以上、フォルゴリト山のメモでした。

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