旅人の表現術 : 活字全盛時代であれば傑作に違いない探検本

ありがたい一冊
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古本屋で手にした一冊。角幡唯介(かくはたゆうすけ)さんの本です。

本の帯にも書かれている「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー渓谷に挑む」というノンフィクションの探検小説家で有名なことを昔は知っていたのですが、そういう仕事から離れると興味は薄れるもので著者の名前すら忘れていました。

まさにこの「ツアンポー渓谷」という単語を見て「あぁ、そーいえばこーゆー人、いたいた。開口健のやつだ」とか思い出して手にしました。この本は角幡さんの探検史を一挙に振り返ることができるまとめ本です。

先の「空白の五マイル」という本は人類未踏への挑戦が評価されて話題になった本ですが、そもそもどの辺りをウロウロしたら人類未踏で絶景だったかというのが下のざっくりポイント。

ブータンよりも東でインドのアッサムより更に奥地なので「どーやって行ったの」という中国領チベット自治区。

私はブータンに行ったことがなく、死ぬまでにもう一度ネパールやブータン、チベット辺りの何もない絶景をトレッキングしてみたいと思っております。できれば(難しいけど)パキスタン周辺とかパタゴニア界隈とかも…。

人類未踏の場所とはいえ地図で見ると「ふーん。この辺かぁ」という程度です。アジアの地図を眺めれば人生で何度も視界に入っていたであろう場所ですが人類未踏だったそうです。

最近のチベット(西蔵)自治区は確実に共産党に飲み込まれて文明崩壊している地域で、個人的には「なんやチベットの半世紀後は鬼怒川温泉の廃墟に通じるような開発してんなぁ」なんて思っておりました。人間による人工物は必ずゴミとして残ります。最近の中国はブータンへもちょっかいを出しているらしく困ったちゃんです。

剣よりもペンな才能を冒険で活かした人

この本は角幡さんの足取りを様々な対談を交えながらふり返っているのですが、なにも知らずに文字だけ追うと吸い込まれるような語彙力と文才でして、「こんなにワクワクする小説を書く人っていたんだー」と思って調べると「なんだマジな冒険家じゃん」というオチ。

ご本人曰く「冒険=危険」「探検=未踏」という線引きなんだそうで、まぁどちらも交わり合う部分があるので紙一重だと思います。

「早稲田の政経」というよりは「一文」といった感じがするぐらいでして、そもそも言葉や文章で秀でている才能を探検というパワーワードで比類なきブランドに昇華させちゃった感じです。これもある意味自己ブランディングだなぁ、なんて思いながら読んでおりました。天は「探検家」と「作家」の二物を与えたわけですが、天性の才能は文筆家が勝る印象を受けました。こういった豊かな表現をされる方というのは読書量も質も違いますよね。

言葉の力 vs 映像の力

わたしもそういう世代ですが…

何度も引き合いに出すほど心酔してる信者ではないですが私の世代でバックパッカーのバイブルといえば沢木耕太郎の深夜特急。本書には角幡さんと沢木さんの対談も収録されておりますが、沢木さんも2020年現在御年72歳だそうです。もうそんなお歳なんですね。そのことに驚愕。深夜特急は沢木さんが若い時の冒険を文字にし、テレビ番組にもなりました。

つい何度も見ちゃうDVD「劇的紀行 深夜特急」
このDVDの帯に書かれたキャッチが「マジに酔狂。」ですが、そのネット訳は「普通は人のしないようなことを、好んですること。ものずき。」だそうです。このDVDの元はテレビ番組ですから演出だらけのはずですが演出を感じずに見られるのも特徴で、本をテレビ化しようと旅に出たら旅にテレビが喰われたお手本のような...

それより深い探検本を書かれている角幡さんのテレビ番組が作られていていないことが不思議なぐらいですが時代がマスから個(人)へ、文字から動画へ移っただけで認知度や感化力も違います。深夜特急の時代に比べれば今は遥かに地上手配しやすいはずなのに、今はテレビ局がスポンサー減少でコスト捻出できず、それを演じられる俳優もおらず、コロナ禍で行くこともできずです。

百聞は一見に如かず。

下の動画は「ツアンポー渓谷」の近く(といっても誤差数百から数千キロ)をタイムラプス撮影した動画ですが…これが今の時代の表現ですよね。説明によりますと「桃の季節の晴れ間は数日しかないので撮影に3年要した」そうですが、まさにシャングリラ。

この映像、なにげに凄い内容ですよね。私だったら仰々しいアンセム的BGMは使わないですが、このフォントが欲しい。チベット語(བོད་རང་སྐྱོང་ལྗོངས།)のオマージュっぽくて。

まぁこの映像の景色を見るにはかなり下調べして行ってもハズレる可能性が高いですし、よくよく見ればこの時期を外すと何もない場所のようですし日本から「ちょっと行ってくる」場所ではないですが、10年後は「ちょっと行ってくる」場所になっている確率が高いと思います。

情報戦で生き残るには「広く浅く」よりも「深く、より深く」が大切な時代

この歳になって自分の広く浅い知識の薄さに幻滅しております。

例えば今のユーチューバーは飛行機に乗ってあちこち移動するだけの動画を撮って広告や案件で食ってる人もいるわけですが、私が若い時とおなじ力技で反復横跳びして消耗しながら稼ぐスタイルに「そんなことしてたら将来オジサンみたいになっちゃうよ」と言ってあげたいぐらい。それがまさに深さの「ツアンポー渓谷」です。(ちなみに今回読んだのは「旅人の表現術」です。まだ「空白の五マイル」は読んでいません。)

これからは冒険のような、探検のような旅をするべきですね。コロナ後の令和はそうすべき時代だと思います。もう行きたい場所の情報は動画でいくらでも探し当てることができる時代。旅行会社が作った旅行会社が儲けるための主体性のない旅に人生の限られた時間を割くのは無駄です。たぶん10年後は無駄と言い切れるはずです。

私が20代、30代の頃は「ロンパリローマ」でよかったのかもしれませんがグローバル社会でそんなこと恥ずかしくて言えない。この本を読むと「広く浅く」という時代が終わり「極める」時代がやってきた感じです。

「経験 = 想像力で捉えられる範囲が広がること」

本の「第三部 旅から見えること」という部分に書かれていた言葉ですが、ネットの「検索」に至っては「世界を洞察する力にはなにも寄与しない」と書かれています。

先ほど移動広告で食べてるユーチューバーのことを書きましたが、まさにこれが真理。旅の枝葉コンテンツを量産しても、ロングテールで小銭が儲かるのは今だけで、いつの時代も枝葉は枝葉で終わります。

私も「飛行機に乗る、バスに乗る、船に乗る、列車に乗る、ホテルに泊まる、買い物に行く、観光地を巡る」を何百回、何千回と繰り返しましたから、その経験で全て捉えられますが「だからどーした」というオチすらありません。私はリスクが一切ない(とまでは言わないけど、限りなく安全な旅の経験ばかりで)冒険や探検をしていないので、パイオニアな視点が皆無です。

ここでは「自分独自の視点」と書かれていました。

誰もが知る世界で最も登頂が難しいエベレストを目指す人もいれば、誰も行ってない未踏の場所を目指す探検家がいたことを知ると、誰でも知ってる場所の経験は「誰でも知っている視点」であり、仮に「あなたはどういう人ですか」という問いに「誰も知らない場所を知る」というパワーワードを添えることで「普通では経験できないことを知っている人」という唯一無二な強さを感じますよね。自分独自の視点。

そういう旅を提供するベンチャーが台頭してきてもよい頃ですよね。

 

やろうと思えばなんでもできる

本の第三部に鈴木涼美さんとの対談が載っていまして、その中で面白い行がありました。

僕の本を読んだ人のレビューにも、「俺にはできない」って結構書いてあるんですけど。ああいうの結構、腹立つんですよね。こっちが命懸けてやってるんだから、お前なんかと比較されたくないよって。 – 角幡唯介

相当変人ですよね。良い意味で。

比較できない部分が人生の糧となるお金儲けのツボと心得て文章にしといて「命懸けてやってる」ってマウンティングできる唯一無二な自分独自の視点。読者は探検を頼んでないし、勝手にやって、勝手に本にして儲けてるわけで…。

いわゆる真剣勝負です。

いいかい、君たちはやろうと思えば何でもできる。僕と別れた後もその事を思い出してほしい。やろうと思えば何でもできるんだ。 – 植村直己

私が大好きなこの言葉は植村直己がミネソタのアウトドアスクールの生徒に伝えた言葉です。たぶん誰でも冒険や探検をできるけど「夢を失う」と「俺にはできない」ってなるんでしょーね。

先日わたしが還暦の頃にしたいことをチラリと書きましたけど、歳をとっても「不思議なもの、すべての美しいものを見たい」と思っています。

夢を描くことから全てがはじまる「植村直己冒険館」 - en1.link
幾つか訪れたい場所がありますが、機会を捉えなければなかなか足が向きません。先日気になっていた場所に出向きました。その名も「植村直己冒険館」なる場所。言わずと知れた世界の美しさを愛した方。ここに一枚の「...
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