時折自然と触れ合うことの大切さをメモしておりますが、本気で取り組むと出かける時間を意図的に作らないとダメでして、これがなかなか難しかったりしますが、こういうことは意識して人生の行動計画に混ぜないと、どこまでもダラダラと流された生活になっちゃうのが現代社会の新たな闇だと思います。
本日はここ最近のオジサンの野遊びメモ公開。
そのメモにも残しているのですが、本当は海辺でピチャピチャ遊ぶメモを残したかったのですが、最近はもっぱら山でゴソゴソする内容ばかりです。
可能なかぎり月に1度は自然に触れる時間を作っております。
それにしても新型コロナウイルスの影響が収まりません。
ほぼ50才ジジイ人生の肌感覚として過去最大級の不景気風が吹き荒れそうです。感染した人が出歩くなどおおよそ日本人感覚として理解しがたい民度の低い行動に呆れます。思考も行動も不自然。転売ヤー然りですが情報の洪水に飲み込まれて溺れている自分に気付けないまま自分が情強と思い込んでいる節もあり、あらゆる生物が関わり合いを持って生きている自覚がなさそうです。
野遊びのきっかけは養老さん著書の影響もありますが、そもそも生まれつき「じっとしていることが出来ない悪ガキ」な性格とでも申しましょうか。
ガキの頃は川幅300mほどの一級河川を歩いて渡ろうと考えて、本当に歩き始めたアホです。別の日にはバラ線(犬釘)で囲われた立ち入り禁止の場所に入り、そのバラ線で30cmぐらいスネをひっかけて大出血したアホです。さらに別の日には放水路の水門付近で遊んでいる間に放水が始まって流されたことがあるアホです。
そんな自然に飲み込まれるのが好きなタイプです。
長らく都会生活をしていますと足の裏が土に触れることは皆無でした。たぶん都内で生まれ育つと素足が何十年も土に触れていない人がゴロゴロ居ると思います。病気を語る医者でも。とにかく素足が触れる場所は人工物のみ。昆虫といえば蚊とゴキブリぐらいのことで、それもマンション上層階暮らしとなればゴキブリも出ません。私の生活も以前は都会の排気ガス生活のど真ん中でしたし、自宅の周りは高圧電線だらけ。これだけ不自然な環境に暮らしていると体がおかしくなっても無理ないというものですが田舎に引っ込んだせいでこんなことも楽しめるのでございます。
というか田舎に移動した理由の半分は自然に身を置きたいという思いからです。同じ思いの人は結構いらっしゃると思いますが家族や仕事の関係でそうは問屋が卸さないのでキャンプ道具を揃えてインスタ悦に浸るのが関の山ですよね。たぶん。

海が見える場所に住みたい願望
ただね、こういうことも広い意味で身内や家族が健康で平和じゃないと出来ませんし続きません。そういう意味でゆったりした時間が送れる日々はありがたいなぁと思っています。去年は両親が崩壊中のメモも書いておりますが、そうなってくると私の人生は不自然なる病院への出入りが増える一方です。

仮面ライダーが大量にお出まし
わたしが子どもの頃は高度経済成長終盤ですがちょっと田舎道に入れば立派な田んぼや畑がわんさか目に入る時代だったので夏になればカエルやセミを捕まえたりしていました。昭和世代には有名な昆虫採集セットという謎のキットで全くよくわからない遊びに興じておりました。

昔はどこでも沢山目にしましたが…
人によってはカエルやセミのお尻に爆竹を付けて着火して破裂させるみたいな残酷な遊びもあったように思います。今思うと駄菓子屋というのは子どもの社交場だったわけで、そういう場所でクジ付きのお菓子に興じてハズレを引いては店主をなじったり、アタリを引いては「今日は人生最高」みたいなわけのわからない満足感に浸ったり…プチ3丁目の夕日な日々でした。

鈴なりのブルーベリーも栽培中
これを書きながら思い出しましたが、子どもの頃は通学路とかに植わっていたツツジの花をもいで付け根の部分をナメナメして「甘っ!」とか言いながらジャンケンして「グリコ(ぐー)」「チヨコレイト(ちょき)」「パイナツプル(ぱー)」とか言いながら文字数だけ踏みながら帰りつつ、お決まりの横道にそれて自生している野いちご(ナワシロイチゴやクサイチゴ)を収穫して「甘っ!」とか言いながら…よく服を汚しておりました。私は生まれつきやんちゃ坊主です。
時代の流れでSNSでのつながり隆盛時期も通過し、巷では「周りの視線が気になる」「LINEの既読無視が気になる」「息苦しい社会」「そこまでネットに自分を晒す必要はなに?」なんてキーワードもチラホラ。本物のセレブリティはSNSなんてしませんが、庶民は自分レベルで最高に華々しい様子をインスタアップで酔いしれ自分の存在確認と承認欲求を満たす日々。
世代によって受け止め方が異なるのはあたりまえですが、生活に自然が欠乏すると社会に疲れ、自分の存在意義を謎に感じ始めたりします。そんな時は深く考えてふさぎ込んだりせず、なにかの理由付けも考えず、心が赴くままに海や山へ出かけて自然と触れ合うのが良いと思います。
私は強烈に海に近づきたいのになかなか行けずでストレスな日々ですが。
『自然の自然は自然なり。自然主義者の自然は不自然なり。」by 内村鑑三
(このメモはほぼ月イチ更新です)
コメント