もう12月22日って、オイって感じですょ。つい先日まで枯葉祭りだったのに。
いよいよ2020という節目の年を目前に今の4-50代にとって舵取りが難しい時代と感じたことのメモです。その前に触れておきたいのが毎日新聞(12/19)に載っていた京都市内で生活に必要な「普通の生活費」のニュース。
明細不明ですが静岡県立大の中澤秀一准教授という長年貧困問題を研究されている方が監修されたそうで単なる煽り記事でもなさそうな内容でした。
夫婦と子供2人の家族が京都市内で普通に暮らした場合、30代なら税、社会保障費込みで月48万6900円、40代は54万9800円、50代だと70万7500円が必要――。そんな調査結果を労組の京都総評が5日発表した。「非正規労働者にとって家族を持つことが不可能に近くなっている。賃金の底上げが不可欠だ」と警鐘を鳴らしている。
年代別価格と税金の関係も知りたいところですが、そんなことは横に置き、みなさま何を感じられますかね。こういうデータを見ると「いまさら」とか「なにを根拠に」みたいなことになりがちですが、書いてある数字を見ると「まぁ想像できる金額だよなぁ」と思いました。
教育では、私立幼稚園、小中高は公立、50代では長男が京都市内の私立大に進むと想定。費用は30代2万8000円、40代3万9000円から50代には13万円に跳ね上がる。うち11万円は大学生の長男の費用だ……年代により43~50平方メートルの賃貸マンションで家賃が6万1000~6万7000円▽夫の飲み会は月1回で4000円▽中古の乗用車の維持費に3万7000円▽日帰りの行楽が月1回、4人で5000円――などの内容。
普通にアルアルな数字ばかり。
なにをもって普通と定義するか難しいですが、単純に掛け算すれば年収となり「結婚して子どもが2人いて、賃貸マンションが広いわけでもなく、オヤジの飲み代がひと月にたったの1回で4000円ってどこで飲んでんの?」と思うわけで、こんな夢のない国に誰がした?みたいなことです。
1990年以降10年ごとに1つずつレベルを下げ、もはや経済も政治も3流以下の国家です。これでYENが基軸通貨でなかったとしたらマジな話し終わってます。
今後この必要経費は右肩上がりなので、こんな記事を見たら結婚も出産もやる気が起きない若者が増えるんじゃないかと思います。
仮に最低賃金を上げたところで、それより低い賃金の国の人が働きたいと言えば日本人の仕事はないわけで、事実コンビニ経営者は外国人労働者で利益を叩き出しているご時世。若い人はいち早く社会の仕組みや仕掛けを察知した人生設計が求められます。さらに興味深かったのが最後の部分。
中澤准教授は「子育て世帯に必要な車の家計への負担が重い。1990年代は30代の平均賃金が必要とされる額にほぼ達していた。非正規労働者の増加に伴って賃金が低下し、今では大企業に勤める一部の人しかこの水準に達していない」と話した。
つまり1990年に30歳だった人は来年60歳です。39歳だった人は来年69歳。すこ〜し団塊の世代が混ざってくるお年頃。当人として還暦は老後と捉えにくい時代ですがもはや老後がない我々より若い世代からみれば「今、そしてこれからが本格的な老後」といった世代だと思います。
経済的なことでいえば少なくとも賃金は団塊jrよりは遥かに恩恵を受けていたはずですが、貯蓄率が意外と低いというのも事実。
本日の本題はここから。
まもなく50が近い私の周辺環境が高齢ポンコツ化でして、細かいことを書くと家系図が必要になるので端折って書くと以下2つがお悩みポイント。
- 団塊の世代に該当する叔父や叔母は全員存命
- 叔父や叔母には片親であっても祖父母が存命
一つ目の問題「叔父や叔母は全員存命」は「2025問題」に該当しますが、問題は2025年に突如起こる問題ではありません。それを書きたかった。すでに始まっているのですよ。
なにせこれを書いている今現在は2019年の12月。ですからまだ少し時間がある。その団塊世代の親戚は年初こそ元気でしたが年末に向けてことごとく病に倒れる年になりました。
大腿骨骨折で要支援1とか、大腸癌ステージ4とか、脊柱骨折で要支援2とか。他にも要介護や要支援が続出。片手で足りません。来年以降確実に親戚が減ることになります。
二つ目の問題はそれぞれの祖父母が存命中に、その子世代の叔父や叔母が先に急ブレーキとなり、こともあろうか孫が祖父母の介護施設手配をする可能性も有り得る事態。
(年齢が若くても想像できるでしょ?ちょっとムリか)
正月にお年玉をせびりに行ってたじーちゃんばーちゃんの財布を孫が管理する話。
それを40代独身の私が計算中でございます。
嗚呼恐ろしや。老老介護も突破し、略してローソン(老孫)介護。
これはよからぬ空気を感じます。
人間の健康状態は全員異なりますが、同じ時代を生きたのですから故障具合やタイミングが似通うと考えた場合、来年以降2025へ向け想像以上に速いスピードで団塊世代の故障者が増えると思います。ニュースで医療費の急激な上昇カーブを説明しだしたら私の読みはアタリ。
話がそれますが、祖父母を孫が介護する例はジワジワ増えているようで、案外あっさりとその手のブログが見つかります。それだけ日本の介護システムが要介護者に厳しすぎるから仕方ないとはいうものの…。
これは人間として「寛容さ」が試されますよ。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」
そこには確かに時代の連続性が存在しており、年長者に向かって情弱と言い放つには乱暴すぎるほど変化のスピードが早すぎるわけです。
まもなく今年も終わり帰省などで親戚と顔を合わすことも多いと思います。ぜひ「私はまだまだ元気」と勘違いしている高齢者と会ったら「病院で一度は全部診てもらう機会を作った方がいいよ」と言ってあげてください。
介護界隈の諸事情、病院事情、団塊世代の財布事情、団塊jr以下の財布事情、雇用の流動化具合などの組み合わせを考えると、孫だけで動き回る限度はあっさり超えそうです。
つまり「いずれ死ぬけど急ブレーキではなく、緩やかに少しずつペースダウンすることを考えるのも団塊世代以上の努め」かと思います。なぜならピンピンコロリで死ぬ人は全体でみればわずかですから。
年の瀬に親戚や親類から萎えるニュースが続々と舞い込んできて「これだから2025問題なんだなぁ」と身をもって感じております。
私も歳のわりには現場事情を知っている方だと思いますが、想像以上におぞましい未来が間近に迫っているようで困った国になったものです。まぁ日本に限った現象ではなく、グローバルに同時進行ですが。
以前書いたメモを以下に貼っときます。元気ピンピンの親が70歳を超えたら必ず…..
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