94歳を見舞う80歳 その孫である団塊Jrが感じる介護の世界

老人社会
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このエントリーの目次

連休期間中に祖母がお世話になっている老人ホームへ足を運びました。こうして文字を打つのも考えてしまうほどの光景にこの国が迎える老人社会の恐ろしさをメモしときたいと思います。恐ろしいと言っても歴史が繰り返してきたことなので当たり前の光景ですが、問題はお世話できる人が減る難しさです。

タイミングの悪いことにお昼時に到着し、祖母もお昼ご飯の時間帯だろうと思い車を駐車場に停め暫し時間潰ししましたが、連休でも様子を見に来る親類というのは少ないようで私を含めて3組だけ。駐車場はガラガラでした。祖母から見ればオジサンと言えど孫ですが、その孫もヒゲを生やしているオッサンで、そういう姿を見せたのも初めてだったのでちょっとびっくりさせたかもしれません。

20代、30代で介護に詳しい方というのはそれなりに苦労される方だと思いますが、一般的には縁遠い世界ですよね。オジサンのような40代で自分のこととして考えることが増えるというのが一般的だと思います。

その場に両親も同席したわけですが…恐ろしいジェネレーションギャップなんですね。

■祖母の感覚

大正生まれの祖母ですから戦争経験者。B29が家の上を通過し防空壕に飛び込んだという世代です。祖父(既に死別)は赤紙を受け取って戦争に行き最後はロシアに捕虜として抑留され帰還船に乗って帰ってきたという時代を生きた人でした。その当時(今から約85年前)の写真を見れば男衆は誰一人として写っておらず、家を守る和服姿の女衆と子供だけが写る集合写真で、その背景に写っているのは牛小屋や茅葺き屋根の家という時代です。

この世代のトークは「お国のために….」ですから軍人恩給とか年金というのが貰えて当たり前という会話で時代錯誤も甚だしいわけです。ですから老人施設で必要となるコストがどれくらい必要かということも子や孫がなんとかしてくれると思っているわけで、それはそれで当然だと思います。

その90歳を超えた祖母が80歳を超えた私の両親に「車で来たんか」という会話をする恐ろしさです。 

■両親の感覚

そういった祖母の生き様を見てきた子供として余生ぐらい楽に過ごしてもらいたいという気持ちからお金が続く範囲で手当てしたいと思っていることは孫の立場のオジサンも理解できるわけですが、オジサンの両親も80歳。80歳というのは頭で思っていることが言葉になって出てこなくなる年齢で、会話の端々が「あれ、それ、なに、ほれ」みたいな言葉だらけなんですね。自分の親とは言え「ずいぶん歳くっちゃったなー」と感じるわけです。

祖母は施設にお世話になっているので最もディープな介護現場ではありませんが、それなりに異様な光景です。1時間ほど世間話をしましたが同じことを3度4度とローテーショントーク。老々介護というよりは祖母も両親も要介護なシーンです。

■オジサンの感覚

孫として特別なことをしているわけではありませんが、老人施設の様子はいちいち刺激的です。こういう施設に行ったことがあれば当たり前の光景ですが廊下には「敬老の日長者番付」が貼ってあり年齢を見ると「明治42年生まれ108歳」とか書いてあるわけです。私の2倍以上生きている人が入所されてる時代です。

その廊下のあちこちでリクライニング式の車椅子に横になっている高齢者が何人もいらっしゃいます。特別なことは何もされていません。ただ横になっているだけ。ある意味病院に似た光景。

中にはボケ防止とばかりに廊下を延々と行ったり来たりする男性もチラホラ。お部屋の洗面台で「歯磨きしといてね」と言われた高齢者が30分間延々と歯を磨き続ける姿。車椅子を自分で操縦しながら思い通りの方向に進めずイライラしている高齢者。そういった方々をお世話してくれているのがオジサンと同じぐらいの中年です。中には外国籍とおぼしき職員の姿もチラホラ。

私は祖母が誇らしげに「年金で….」という会話を聞きながら「ばあちゃん、孫が死ぬ時に年金は無い時代だよ」と思いつつフムフムと聞いておりました。

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この光景はこれから本格化する日本の高齢社会のほんの入口なんですね。これが数年後に日本全国で繰り広げられるわけです。特に大都市圏は地獄絵図です。要介護度が低ければコストが高く、介護認定を受けられるとコストが安くなるからといって体が不自由になることに対して喜べません。仮に入所待機時間が短かかったとしても高齢で見知らぬ人が集う場所でストレスなく馴染むことができるかという基本的問題も…..。

施設内はシルバーカーの車庫状態…

世間は文化の日で連休モードだったと思いますが私はどよーんとした空気を感じながらたった1つのことを考えていました。

オジサンは40代で一般的に言えば「働き盛り」とか「人生これから」的な年齢ですが、そんな悠長なことを言ってられない時代です。人が減る時代に少しでも心にゆとりを持って動くためには自分をコントロールできる働き方、生き方の準備が必要というのに、それが難しい団塊Jr世代というジレンマ。

しかし「あれも、これも」と欲張りな立ち振る舞いはできません。体はひとつ。最も優先順位の高いことの満足度を高めるために削れることは全て削ぎ落として準備する必要を感じました。それが「時間」です。もっとも頭が痛いのがお金ですが、それと同じぐらい頭が痛いのが時間だと感じました。

経済優先だと日本国民全員が働きまくる社会が当たり前の時代ですが….どうなんでしょうね、こういうスパイラル。経済を優先するほど少子化も高齢化も止まりません。お金はある程度大事なことですがそのために子供や老人が犠牲になるというスパイラル。今更後戻りできませんが、そういう時代の入口には突入済みであることは分かっていて知らぬ存ぜぬというわけにもいきません。

こういう現実を見ると「幸せってなに」と思ってしまいます。親孝行とか孫孝行とか考えさせられる連休でした。

追記(2017.11.14)

これを書いた後でマネーボイスの「ウチのばあちゃん、94歳の誕生日にスカイダイビングへ → 家族総出で大成功!」という記事が目に入りました。年齢はオジサンの祖母と全く一緒!このおばーちゃんも大正生まれの太平洋戦争経験者!なんたるツワモノばーちゃん。

この静止画だけでも驚き。再生してもっと驚く。

親族一同総出で参加したスカイダイビングの姿にちょっと感動すら覚える。

勝手に「こんな急スピードで降りたら心臓が止まるんじゃないか」とか「いや、返って血圧が上がって若返るんじゃんないか」とか「これだけの風圧を浴びたらシワも伸びるよな」とか「降りる時足元大丈夫なんだろーか」とかとか…自分の祖母と比べるわけですが94歳にしては滑舌もよく会話も成立しお若い。なんといっても二本足て立っている。

94歳となれば二本足で立つこともままならない年齢。筋力の衰えは半端ない。

オジサン、過去に一度だけスカイダイビングを見届けたことがあります。こういう心臓バクバク系は大の苦手で参加したことはありません。正直マンションの4階ぐらいから下を眺めるのもジェットコースターに乗るのも苦手なタイプ。で、こういうのは年齢制限があって概ね還暦を過ぎると医師の診断書というのが必要になるんですが、が、が、高齢化社会の先頭を突っ走る日本でこういう高齢者ニュースがないというのも寂しい話し。ペンシルバニアまで行かなくても日本でもこういうニュースを聞く時代が来るかもしれないですね。

思わず追記しました。

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