あと4半世紀続く「介護を問題にする問題」

老人社会
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先週は久しぶりに紙の新聞を読みました。地方紙の紙面はコンテンツに限界があるのか近隣他県に触れる内容が4面。殆ど自分に関係ない場所の極めて小さなことにフォーカスした内容に考えさせられました。それも大事だけど…。

この時期の風物詩がラジオの「夏休みこども科学電話相談」。

毎年聴いていたのですが今年はすっかり忘れていました。新聞を読みながら「追いかけられたらなぜ逃げたくなるのか」とか「種は生きているのか死んでいるのか」など、相変わらず鋭い質問なんですが回答する側の力量が下がってることが残念でした。なんと申しましょうか…電話口で話している子どもの姿がイメージできていない返答というか…。

テレビ欄にはに「24時間テレビ」の文字。もうそんな時期なんだなぁと思う月日の早さ。子供の頃は勉強よりテレビを見る時間が多いタイプでしたが今は全く見なくなりました。確実に生き方を変えようとしている自分を認識している今日この頃です。

さてと…

その新聞に挟んである折り込みチラシの求人欄や募集欄をくまなく見たのですがやたらと介護やデイサービスの字が多いんですね。この手の送迎車を見ない日はないですから如何に老人大国かが分かります。指折り数えたら10社ほどの広告が載っていたのですがロボットの流れ作業広告に感じたのは私だけか?

先日90歳を越す叔母が特別養護老人ホームに入所したのですが、その理由が熱中症。

叔母は家族が看取るというのが常識の世代ですが、これが自分の両親になるとその気持ちがあっても老老介護になるため施設の力も借りる必要があります。これが私の世代になると看取る余裕もなければ自分もなるようにしかならないという世代となり「死に方」について考えさせられるのでした。親曰く「杖を借りたとしても二本足で歩けボケていないから胸が痛いけど同居を拒否されると仕方ない」とのこと。祖母は…

  • 医者や施設の方が同席してお願いしても頑として同居を拒むそうで
  • 辛うじてコンビニが1軒ある田舎ですがスーパーまでは車でしか行けず
  • 両親も80歳を超え車の運転は危険な年齢
  • これが世に言う老+老々介護。これが日本の現実

これだけ毎日雨が降ったり酷暑だったりが続くと環境に体が追いつかないので温度管理された場所に居ないと健常者でも危険を感じます。しかし考えてみると体がついていけなくなるというのはある意味自然なことで快適な場所というのは人工的な話し。季節外れの野菜や果物を年中食べられるのと似た感じです。人工管理された場所だと当然グングンと寿命が伸びるわけです。

人工的に死なない環境を整えて「お医者さんが経営する」とか「24時間安心」というコピーを見て「これって人間の幸福なんだろうか?」と思ったのでした。若い時に学ぶ必要がある「生かされている」という意味とは真逆の意味で「生かされている」わけです。

「24時間の安心」ってどこか変だと思いません?

もちろん親族が遠隔地で万が一の移動時間を考えれば24時間体制も大切ですが、一般的に言えばざっくりと三分の一は寝ている時間。誰かを生かすために睡眠時間を削っている人がいることを異常と思えない異常。熟睡する必要がある人が寝ないで働き浅眠な社会なんですね。人工を極めると安心と便利が手に入りますが、極めて不自然な「本当に幸せなの?」という状況が続きます。

こういうことを考える時は常に「自然界でこんなことをしてる動物なんて他にいないし人間が賢いって発想は傲慢でね?」なんて思います。死を悲しむ動物の映像は目にしますが介護し続ける動物なんて見たことがありません。自然の意味が理解できる民族にしては不自然なものを作りこむのが得意なのも日本人。

一事が万事この調子だと「死ねる時に死なないと…死ぬタイミングってあるよな」と感じます。子どもが保育園に入るのもポイント制で、老人が施設を使う値段も介護度で…この状態は少なくとも私の世代が消えるまで続きますからあと25-30年はこんなニュースだらけです。

あらゆる産業がブロックチェーンで再定義されようとしている時代ですが「死」についても再定義が必要な時かもしれません。それが産業となり経済を回す中心になりそうでならないのは誰もがどこかに後ろめたいような、後ろ髪を引かれるような、モヤモヤしたものが拭えないからのような気がします。

死は自分の側から遠ざけるものではなく、意識して寄り添うものだと思いますが…悩ましい。

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