年始の大掃除から幕開けな2018年

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年は明けましたがとりたてて変化は無く…ただ、3月迄はあっという間に月日が流れる感覚が染み付いているせいか「今年は自分がしたいと思うことに手をつけないとダメだなぁ」なんて思っております。ちょっとした緊張感。

ニュースでは帰省ラッシュの渋滞が35キロとか書かれていて、働き方改革とか言っているのに1月2日でUターンとかも変な話しですが、それよりも「たったの35キロなんだ」と思うのは中年になった証。今から20年前には連休100キロ渋滞というのはよくある話しでした。車が減ったのか、人が減ったのか….。

ところで、普段は施設にお世話になっている祖母もこの時期は自宅に戻るというパターンです。施設によって対応は様々だと思いますが体力がある人はお正月ぐらいは自宅に戻って過ごすというのはありがちなパターンだと思います。しかしですね、老々介護時代に入りますと既に車を運転するのも面倒な高齢者が、さらに高齢者を連れて右往左往するという図はおぞましい光景でもあります。

この状況は、これから日本全国で繰り広げられるほんの序章にすぎませんが….体感、あと3-5年もすればあちらこちらで悲鳴が文字や動画で聞こえ始めるのではないかと思います。

で、普段は空き家状態の家にこの数日間だけ人が潤うという非効率的な状況が繰り広げられるわけですが、やはり家というのは人が住まなくなると朽ちるスピードも早く、ほんの少しの時間だけのために掃除が必要だったりします。普通は暮れに年明けの準備などをし、正月3日間ぐらいはおせち料理で主婦も家事を休んで….という古き良き時代の風習などは全く関係ない時間を過ごしておりました。

時々これから先の未来に起こることを両親と会話することはありますが、既に化石脳年齢で理解するのは難しい世代なんですが「あんたこれ知っとる」と出された本がこちら。

未来の年表


未来の年表 人口減少日本でこれから起きること – en1

「これに書いとることホントね」と問われ「自分の息子の人生見たら分かるでしょ」と即答してあげました。なんとなく世の中があらぬ方向に向かって突進していることは感じているようでした。まぁ「この本面白いから読んでみ」なんて言わなくてもこの本に手が届いているのですから少し安心してみたり。

それはともかくとし…

前々から破れた障子を気にしていたので障子紙を買って元旦に張り替えるという荒技。もっと早くしてあげればよかったのですが….まぁ、気は心。しかし昔と違って米粒からノリを作ることもなく、和紙の柄も多種多様で低価格。4枚の障子を剥がして貼っても予算1,500円程度で3時間弱の作業ですからたいしたことはしておりませんが、子供の頃以来の作業を楽しんでおりました。

縁側のある家…

とは申しましても1年で人が集まるのは盆暮れ正月の数日。たぶん7日間程度。その期間で人口密度がMaxに達するのはほんの1-2時間です。そんなことのために固定資産税を払うというばかばかしさ。こういう状態に頭を抱えている人は多いですよね。きっと。

更に突っ込んで書くと、当然相続手続きなどは進めているご家庭が殆どだと思いますが、それを持っていた主人が存命中に売り飛ばすという容赦ない行為を躊躇している間に手放すタイミングを逸して負動産と化すという絵に描いたような展開。まぁ私の場合死んでしまえば家系は途切れますから山に帰る以外に責任の取りようが無い場所と化しますから正しく「後は野となれ山となれ」ですが、不動産がこれだけ余りまくって引き継ぐものの首を締める時代が来るなんてご先祖も想定外でしょうね。

その祖母が自身の「戒名が…」「墓が…」「法事が…」という説明をローテーショントークしてくれるわけです。本人はいたって真面目に会話しているわけですが、後が途絶える時代を理解できないことがなんとも…なんとも….。こう言っては何ですが、10-20年後はお寺経営も大変で「昔は初七日とか四十九日みたいなビジネスがあってな、お経がありがたいと思って人が集まってた時代があってな、戒名に何十万も金を払うとかしててな」なんて会話してますよね。たぶん。

張り替え完了

そういえば、簡単なおせちを用意されていましたが祖母が手をつけることもなく、お子様並みに甘いカレーをペロリ。私も半年ぶりに米粒を賞味。久しぶりにお米のモチモチ感を味わってみたり…。更に半年以上は口にしていなかったビールを飲んでちょっとほろ酔い気味だったり。

なんとなく正月的な空気は感じてみたり。

短い時間で僅かでも古里の正月の空気を感じ、わがままを言える身内と触れ、気兼ねのない時間を過ごすとだれでも「里心」が生まれ施設に戻すのも一苦労で….この得も言われぬ感覚に自責の念を感じる方も多いのではないかと思います。おそらく長男長女が感じるであろう独特の心境もあるでしょうね。複雑なるこの気持ちの根本は何かを考えていたのですが、それは「人間が生きる理由」を否定する行為に感じるからでしょうね。それも男と女で受け止める感覚は違うと思いますが….。

ただ逆にこれから先の時代は古里に対する感覚も希薄な時代になり、ここまでモジモジした気持ちになることも減るでしょうし、年末年始の海外出国者数も減って当たり前で「こりゃ、なかなかシビアな時代が来るなぁ」なんて思いつつ…三越伊勢丹が10年先を見て店を閉めるとありましたけど、閉店の始まりにすぎませんね。

それにしても私の年齢で感じることと、30代の方が感じる内容も雲泥の差。事と次第によっては老人詰まりして問題は倍増するのかなぁ、なんて妄想してみたり。結論としてはなるようにしかならないわけですが、現時点で生まれ育った場所は施設がパンパンで他府県に移動されている高齢者もいらっしゃいますし….悩ましい年の幕開けですね。

そういえば、月がとっても丸い元旦でした。

2018年 元日の小望月

今年もぼちぼちがんばろうと思います。

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