英国人写真家の見た明治日本「この世の楽園・日本」

ありがたい一冊
英国人写真家
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調べるスイッチが入るとどこまでも調べ倒すのが悪い癖。

本日は写真家ポンティングさんが見た明治日本についてのメモ。写真家ではありますが、現存する写真は多くないようです。この方はスコット南極探検隊の映像記録を残したアーティストだそうで、そんな情報もネットでサクっと見つかって勉強になる今日この頃。

この映像からしてポンティングさんは相当な変わり者です。良い意味で。

この本もトーマス・クックの倒産を機に読んだのですが先に触れた通り写真家なのに本書では写真が少ないですが、長岡祥三という方の素晴らしい翻訳のお陰で情景を思い浮かべながら読むことができる素晴らしい内容でした。文章が素晴らしい。

長岡祥三氏の翻訳を探すとアーネスト・サトウとつながります。そちらは読んでいませんが読みたくなるほど言葉遣いが丁寧で素晴らしい。日本語の語彙力は大事ですね。アーネスト・サトウも明治期に観光周りでチラリと活躍した人の名前としては知っているのですが、追々勉強したいと…。

Card

あくまでも日本にやってくる外国人が見た視点、気づき、発見などに触れて当時を偲び今に重ね合わせる行為が楽しくて読んでいるだけなので写真テクニックや構図はどーでもよく、写真が載っていなくても楽しめるとはいってもチラッと写真内容に触れますと、今更当たり前のことを書きますが、この頃は人工的文明・文化が少なかったせいか、構図のほとんどが「自然のみ」か「自然(素材)と日本人」だけです。これがすごく新鮮。強欲と消費に毒された生活をしているとこんなシンプルな構図なんてどこにでもありそうですが今の日本の日常生活では皆無。人工物だらけ。

この方の写真は1901年以降ですから国内に鉄道網が整っており西洋文化の混ざり具合もまんべんなく全国へ散らばった頃と勝手妄想で読み進めました。確かに写真にも丁髷(ちょんまげ)姿の日本人は減っており、これだと「同じ人間が住む国に来た」という感覚でしょうね。

それにしても日本をよく理解されていることに驚きます。

⁑富士登山

いま富士山は死火山であると書かれていることが多い。しかし、火山の一生にとって二百年という年数は、ほんの短い期間である。天文学的に見れば、その程度の期間は、一瞬の出来事にすぎない。…一見平和そうに見えるが、慎重に見守らなくてはならない。山の女神は死んだのではなく、まどろんでいるだけなのた。

これは1707年の宝永大噴火を書いていると思いますが、この文章から更に100年経った令和でも天文学的に見れば一瞬の出来事です。ポンティング氏は2度富士登山したと書かれていましたので2度目は撮影ポイント、時間、構図が計算されていたと想像します。

雲上の人

ここでは山小屋の軒先にひっかけられている手拭いの広告効果についても触れられていました。一石二鳥で合理的だ!と。そういう視点が面白い。

私は富士の山頂で四日間過ごしたことになる。その大部分は決して快適ではなかったがそれから四年経った今、この文章を書いていると、そのときの美しい眺望と驚くべき現象が生き生きと心に蘇ってくる。…下山を前にして小屋の勘定を払いにいったとき、請求額は極めて安く、その合計金額の少ないのに驚かされた。泊まり賃は1日当たり…

誰が登っても快適ではないのが登山ですが、誰もが感動するのも登山。

ちなみに野村ホールディングス・日本経済新聞社のサイトによると明治30年頃の1円は今の3800円に相当するそうです。ポンティング氏の登山はそれよりも前ですからもう少し安いかもしれませんが、「庶民にとっては2万円の重みと予想される」そうです。詳しくは読んでお楽しみください。

 

⁑日本の婦人について

この本で最高に面白かったのがこの章。ここの日本語訳が秀逸というのもありますが日本女性に対する洞察やリスペクトが面白い。

日本では婦人たちが大きな力を持っていて、彼女たちの世界は広い分野に及んでいる。家庭は婦人の領域であり、宿屋でも同様である。…日本の宿屋に滞在するこにとは、最初何かはっきり言い表せないような魅力がある。…食事が口に合うからでもない。それなのに外国式のホテルの代わりに、日本風の旅館に泊まりたがるのである。

とても書き切れないぐらい興味深い章でした。

今旅館や民宿は総崩れ。そこで取り上げられるよくある話しが「食事付きプランはいらん。スケルトンで安く泊まりたい」といった類の議論。既に廃業が続出中で一般的にはその先のエアビンで個人宅商売ですが、この章を読むと「飯が口に合う合わないの問題ではない」という考察です。

しかも外国人から見て「飯が口に合う合わないの問題ではない」。

美味い飯、綺麗な風呂、整った設備も大切ですが、今の衰退は日本人としての所作、動作が感じられる要素を削りすぎた結果でしょうね。それを体現できる人もいなければ、施設もない、そういう時代でもなく、学ぶことすら時代遅れという認識。

有名な芸者の写真

今更「開戸」を否定しませんが、室内に「引き戸」がなければ障子や襖の開け閉めを目にすることもなくなりました。戦後は伝統破壊一辺倒。

この本のみならず当時の庶民生活を捉えた背景写真は引き戸ばかり。お座敷で美しい開け閉めのしぐさは今の時代に日本人の私が見ても素敵だなぁと思います。

ポンティング氏は日本女性について「同情と優しさと憐憫(れんびん)に溢れている」と書いています。憐憫は平たく言えば「思いやり」ですかね。この章は英語で読んでみたい章です。

 

⁑宮島

安芸の宮島へのショートトリップですが、ほぼ現代的移動ルートです。

この有名な島を訪れようと、ある夏の夜に、私が小さな日本の蒸気船に乗り込んだのは和泉湾(大阪湾)沿いの、摂津の山々の麓にある神戸であった。翌晩は尾道に一泊し、船を乗り換えて宇品を経由して宮島に向かった。岩山の岬を回ると、前方に美しい宮島の姿が見えてきた。…それは本当とは思えないほど美しかった。

この時代は鉄道敷設による航路撤退が加速する時期で、ポンティング氏が旅行した頃は既に広島まで鉄道旅が出来たと思いますが船旅の選択。まあ路線も少しずつの延伸ですし、当時は軍用鉄道の側面もあり船旅の方が効率が良さそうです。

当時の尾道港は大阪商船、尼崎汽船、石崎汽船、相生汽船、東予汽船と賑やかだったらしいですが、尾道渡船ですら1917年(大正11年)に発動機が付いた記録がありますのでそれより手前に蒸気船での船旅は当時の日本の文明・文化の変わり目を理解できる外国人です。

日本全国で社会の変化を目の当たりにする時期。そういう意味でポンティング氏は当時でも貴重な、重宝される存在だったような気がします。

miya island

文面ではサクっと宇品に向かったように書かれておりますが、一般的には尾道から松山や今治経由で宇品という情報も多く…いずれにしても今の時代に通ずる旅の原型は出来上がっており「今から100年ぐらい前が動力の変化でスピード化の始まりかぁ」なんて思いながら読みました。

ちなみにもう一つ面白いくだりがあります。

この島では生まれることも死ぬことも許されない。もし予期しない出産があると、母親はすぐに本土へ送られて、そこで三十日間留まって身を清める。急に人が死んだ場合は、遺体は同様に本土へ移される。島で犬を飼うことは禁止されている。

らしいです。そんな島なんですか?宮島さん。

てなことで、この頃の日本は今とは違い第二次産業革命自動化の時代で活気が感じられます。人間が心地よく感じるスピードは1920年ぐらいまでかもしれません。

願わくば明治維新の頃を旅行してみたいですね。こんな不思議な観光地は世界でも珍しい。この本にもフンドシ一丁にほおかぶりで船を操る保津川下りの写真が載っています。

日本人だから気にしませんが、客にケツを見せながら商売することに抵抗がない時代。まぁそれもまた合理的ですよね。パンツ一丁で何かあれば川に飛び込んで一番動きやすい姿ですし。

今更ながら19-20世紀のトーマス・クックは偉大ですね。おそらくポンティング氏も横浜か神戸のトーマス・クックに立ち寄って情報を入手し、チケット手配したかもしれません。

ちなみに巻末にも書かれていることですが、ウィキペディアによると「ポンティングは1910年に『この世の楽園 日本 “In Lotus-land Japan“』 と題する本をロンドンで発行した。彼は1901年から…何度か来日し、日本中を旅し、日本の芸術や風物、自然に親しみ、正確に日本を理解していた数少ない知日家であった。この本は、外国人として初めて日本陸軍に従軍し、日露戦争に参加して軍人を通して日本人の赤裸々な姿に触れ、さらに3年間にわたる日本滞在の体験から得た日本観、日本人観が見事に浮彫りされている。」と書かれています。

『 “In Lotus-land Japan“』の抄訳がこの本ですが、本家ロータスの方が写真が鮮やかで綺麗なんだそうです。わりと流通しているので追々購入して読んでみたいと思います。

In Lotus-Land Japan「この世の楽園 日本」
まだ読み漁ってます。トーマス・クック時代の絵本。本日は以前メモった「英国人写真家の見た明治日本」の原書「イン・ロータスランド・ジャパン」のメモです。「ロータスランド = 地上の楽園」と訳されており、それは桃源郷の意ですが「それだったらシャングリラでね?」と思って調べると...
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