AROUND THE WORLD IN THE “FRANCONIA” 1930

ありがたい一冊
FRANCONIA 1930
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まだ追いかけております。トーマス・クックなこと。

昔の旅がどう展開されていたのか、今更知ったところで私の人生の役に立ちませんが旅はロマンチックな部分も感じるのでついついね。初期のトーマス・クックが最高にノリノリで世界展開していた時期かは知りませんが、1920-1930年頃の印刷物は相当数残っているようで、その中でも気になったのが下のチラシです。

「南十字星が航路を照らす」みたいなキャッチと共に世界一周クルーズ募集のチラシ。

「へー、フランコニアって船で旅してたのかぁ」なんて思いながらネットを彷徨っていたら見つけたのが、ズバリその本でした。

チラシは1927年ですが、買い求めたのは1930年版(製本は1929年製)です。

where the southern cross lights the way

これ以上ないタイトルですよね。最高の冒険旅行「フランコニア号で世界一周クルーズ」みたいな表紙だけでそそられます。内容に触れる前に船について知っておかないと話がつながらないのですが、この船の正式名称は「RMS FRANCONIA」です。

RMSというのはロイヤルメールサービスの略です。運行しているのはキュナード。残念ながら私も乗ったことがない超有名老舗船会社。

RMS Franconia (1922)

3代に渡って同名称の船があり、このチラシを飾っているのは2代目のフランコニアらしいです。全長約180mで2万トンらしく、まぁ想像しやすい昔の船です。かなり乱暴な書き方をすると、雰囲気としては「ぱしふぃっくびいなす」と大差ナシ。驚くことに「Capacity : 1,700 passengers」って本当にそれだけパンパンに乗せたかは知りません。乗組員数も合わせた数でしょうね。進水式の映像が残ってますが….100年前のこと。

使っている写真が正確そうだったのが下の動画です。

今となっては2万トンなんてとても小さな豪華客船になってしまいましたが、当時は憧れだったでしょうね。なんとなくタイタニックの2等船室のタコ部屋みたいな様子も想像しつつ…。船内にプールもありますし間違いなく豪華客船。

この船が横浜の港に停泊していた歴史があるわけです。

話は戻りましてこの本が1930年のワールドクルーズに利用されたことは間違いないですが、「旅行準備に役立つ」と書かれていましたので、たぶん予約客に対して出航前に渡された本のようです。

トーマス・クックは19世紀から何度も世界一周クルーズをしているせいか、中身は完璧な寄港地ガイドブックになっております。旅人にとって思い出深い本になったはずです。

まぁ今も昔もお金持ちにとってみれば数百万円なんて端数でしょうが、お金持ちでも世界を知らない、知れない時代でしたからこの本と自分の眼で見た景色を重ね合わせ、お金持ちよりも知的に世界を知り尽くした会社として手配したトーマス・クックが信頼されたというのは想像容易です。


Amazon : Cunard-White Star Liners of the 1930s


1930年の航海日程は「1.11 – 3.29」ですが、なんといっても華やかなるは目次を飾るダブルネーム表記。「キュナードライン & トーマス・クック」でございます。凄っ!

今の時代でもなかなかお目にかかれない表記ですよ。

一方はハードを持つスーパーセレブブランド会社、一方は手数料ビジネスの元祖。それだけThos. cook & son が世界を席巻した時代があった証拠。

CUNARD LINE and THOS. COOK & SON

乗ったことないから知らないだけなんですが、今でも世界一周となればこんな書籍のようなガイドブックが貰えるのかしら?なんかページをめくるだけでワクワクしてきます。

ただね、お気づきかと思いますが世界一周にしては日程が少なくね?と思いますよね。

「1.11-3.29」だと78日間で世界一周?となりますが、確かに世界一周しております。ザックリとしたルートはニューヨークを出発しジブラルタル海峡を抜けアルジェリアにタッチしたあとでリビエラを航海しながらスエズ運河をパスしてインドへ。その後スリランカをタッチしたあとマラッカ海峡を上から下へ抜けてシンガポールにタッチした後一旦タイ経由でベトナムまで上がり、その後インドネシアまで下がりボルネオ島の東側からフィリピンを抜けて大陸沿いに…日本からハワイ経由でロサンゼルス、そして再びニューヨークという感じです。

本の見返しに印刷されたルートマップ

じっくりと日程を見ると寄港しても1日停泊して翌日には出航ということも多々の中、ワールドクルーズの見所はどの国になってるんだ?と思いながら目を凝らして日程を追いました。

1週間未満の寄港地としては「エジプト、イスラエル周辺、JAVA(インドネシア)」が楽しみな場所です。ちなみにイスラエル周辺は「THE HOLY LAND」と表記され「エルサレム、ベツレヘム、ゲッセマネ、オリーブ山」がOPツアーに組み込まれております。

1週間を越す寄港地が目玉となるわけですがその寄港地は「インド、中国(華中地域)、日本」でした。中国は航海ルート上、先に「香港、アモイ、広東」などで4日間割かれており、その後台湾をタッチして「上海、北京、万里の長城」で8日間ですので2つを足すと12日間で最長日程になりますが航海としては2つに分けての内容です。

では日程で一番長く停泊した国がどこかというと、なんと我らが日本。

停泊期間はナント「4/17-4/27」の11日間!クルーズで最長の停泊日数です。

いゃー、ちょっと驚き。トーマス・クックとキュナードがやらかしたワールドクルーズ最大の目玉寄港地が日本だったとは感動です。しかもこの時期は桜が満開の時期でございます。

Cherry-blossom viewing

この写真はお花見の様子らしく奥側の大木は松の木だと思います。手前右側の細い木に桜の花びらが付いているように見えます。残念ながら白黒なのでそそられませんが、これがカラーだったら旅行者としては期待しちやいますかね。桜の開花に合わせて航海スケジュールを組んだ確信犯です。

文章の書き出しからして期待しちゃいます。

「Japan is noted for its beautiful scenery.」

なんと日本は神の国で神武天皇がどーたらこーたらと書かれております。大マヂなガイドブックでした。ここで取り上げられている都市は「神戸、京都、奈良、日光、横浜、鎌倉、東京」です。

そうそう、大事なことを書き忘れていました。

そもそもこの船旅はおいくら万円?ということですがp.14に「from $2,000 upward.」と書かれております。今$2,000は22万円ぐらいですが1世紀前料金を有名なコレで換算すると「What cost $2000 in 1930 would cost $30467.30 in 2018.」だそうです。今の価値に直すと3,304,544円だそうです。納得のお値段です。

なかなか読み応えがありました。

1929年時点の本に「トラベラーズチェックの利用をお勧めする。キュナードでもトーマス・クックでも買える」と書かれています。

通信手段も勉強になりました。「Message to Friends at Home」という項目。「船が寄港地に着くとスペシャルケーブルを船とつなぎ、キュナード本社とトーマス・クック・ニューヨーク本社にレポートを送る」 と書かれています。おそらく日本(郵)船も似たり寄ったりのことをしていたんだろうと思います。

読んで興味深い点はキュナードとトーマス・クックが常に並列同等の記載説明ということです。常に同じポジションであり、どちらの会社に問合せしても同じように対応する書き方を見るに、トーマス・クックの信頼性の高さを感じます。 今この名残は消えつつあり、圧倒的に船会社の方がイニシアチブを握ってますよね。

更に興味深いのがオプショナルツアー。ナンバー18。

FRANCONIA Optional Tour No.18

10日間で記載観光地を連れ回す内容。

この地上手配がトーマス・クックか日本の下請け会社かは分かりませんが(たぶん下請けがあるよね)、別クルーズの客とコンバインするようにも読み取れました。京都からは寝台列車に乗って富士山麓の宮ノ下へ戻り花見だそうです。優雅〜♪

この10日間のお値段が$75と書かれており、これを再び例のやつで調べますと「What cost $75 in 1930 would cost $1142.52 in 2018.」だそうです。今の価格にして約12万4千円

一見高いように感じますが他の国では$300越えのオプショナルツアーもチラホラ。ザックリ換算だと、たかがオプショナルツアーで50万ですから日本がいかに激安国家かが分かります。つまり日本はオリエンタルな国でありながら文明開化の真っ最中で、且つ美しい景色を楽しめる場所にもかかわらず10日間を12万で楽しめる超コストパフォーマンスのよい国ということでしょう。

これで食事が口に合えば文句ナシだと思います。

トーマス・クック 日本支店

倒産しちゃえば後の祭りとはいうものの、素晴らしきかなトーマス・クック。 本当にお見事な事業展開です。ここまで調べると、もう少し日本でのトーマス・クックを知りたくなります。

今でこそ日本はインバウンドとか言ってますが、少なくとも1世紀前には外国人の目から見て魅力的な国だったにも関わらず、どこでボタンをかけ間違えたのか戦争に突っ走り、その後は経済に突っ走り、日毎魅力が薄れつつある今日この頃ですが、こういう本を眺めていますと参考になることばかりです。結果は倒産ですがトーマス・クックが残したビジネスモデルは偉大でしたね。

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