音楽著作権問題に見る「個人が会社化」する新しい時代

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日本音楽著作権協会(以下JASRAC)が来年から映画の音楽使用料を世界水準にするそうで物議を醸しているみたいです。現行一律18万という超低価格にも驚愕ですが、誰もが思うことは「集めたお金はアーティストへ適正分配されるのか」ということなんですが、裏側は分かりません。しかし普通の会社でも利益の適正配分をガラス張りにする会社もあればぼんやりさせたり隠したりする会社もあるわけでJASRACを一方的に変なことをしている組織と決めつけることでもなく….やはり利用者側のリテラシー不足は否めないなー、とか思う今日この頃です。

さてと…

その場に坂本教授の「クリエイターの経済的基盤を守るために尽力してほしい」というコメントが載っていました。今から6年前にとある会社でこの分野の勉強会をしたことがあります。その時に利用したのがYouTubeにも残っている「skmtSocial project」です。2010年にUstream(動画配信)やソーシャル、ネットと音楽の関係が語られています。

改めて見直したのですが7年前でHDを分割アップロードという時代だったんですね。度々出てくるユーストというキーワード自体が死語に感じるほど時の流れを早く感じます。失礼ながら当たり前のことを書きますが並みの音楽家では無い考察がいちいち鋭いというのが教授の教授たる所以なわけですが、教授は2009年時点で2017年に起こる現象は見えていたということですよね。

特に第4回は笑えます。「物で持っておきたい大事なものはなるべく少なく持っておきたい。後はファイルでいいんじゃないかな。」とか、それを言っちゃお終いよという感覚も理解されてるわけです。他方で「(コンサートなどの)体験にはお金を出す」という会話は今の時代そのものです。

動画を作りまくっていた頃のことですが、当然編集作業に音楽(BGM)がつきまとうわけです。沢山の動画を作った者の経験からして音選びや著作権というのはシビアです。著作権フリーといわれる類の音楽を多用するわけですが、セミプロとプロはクオリティに雲泥の差があるので音楽を聴いただけで映像再生欲求が止まるぐらいです。どんなに素晴らしい映像内容であっても音楽のイントロだけで映像内容を判断されるということです。

プロというのはスタジオジブリ作品のクオリティを更に押し上げる久石譲さんのような感じ。期待を超える楽曲に映像もシンクロするというプロの技。対価を求めるのは当然だと思います。

このニュースはどの仕事も例外なく変化が求められる時代に入ったことを痛感します。

教授曰く「何もないところからあるものを生み出すことは、一般の人が考えるよりもはるかに大きなエネルギーが必要。報酬がなければ生活できず、生活できなければクリエイターという職業を選ぶ人はいなくなる」というのはごもっともな弁で、それがクリエイターのみならず万人に課せられる変化なんですね。万人が表現者として同じベクトルで動くと余計に変化が早まり止められない。デジタルでコスト削減万歳というのはそれだけ重い話しだったりします。

これから先数年間、個人が会社化することで類似問題が例外なく全産業で踏絵として登場するわけです。組織にしがみつく人と組織から離れる人の既得権益調整の通過儀礼のようなもの。

三越伊勢丹が48歳から早期退職対象というニュースもしかりです。会社に就職しても雇い続けてくれる保証が無いのに若い時は右も左も分からないので「とりあえず就職」となるわけですが、これから先は「いつでも辞める準備をしながら働いてあげる」という時代になるんでしょうね。昭和時代の「いつでも内ポケットに辞表を入れて働いていた」という精神論が今ではリアルです。

これを社会変化に合わせるとアーティストやミュージシャンも組織に縛られず自立しろということ。

それで食っていけるのかと問われれば、一般人と同様に組織にしがみつかないと食っていけない人も居るというのは想像容易いこと。そもそも人それぞれ得手不得手がありますから個人が会社化することが理解できてもオジサンのように自分経営が下手クソな人だって沢山いる中で頑張らないといけない時代なんですね。

「生活できなければクリエイターという職業を選ぶ人はいなくなる」という言葉を今の日本に置き換えると「生活できなければ人間を辞めたくなる」と思うはずです。ちなみにこういうことは経験者じゃないと分からない感覚でオジサンも苦い経験は沢山あります。

オジサンの世代は20-30代に毎日リストラのニュースを見ました。ここ4-5年は少なく感じていたのですが、ここにきて再びリストラの嵐が吹き荒れる予感です。日経平均が上がることと庶民生活が潤うことは一切リンクしません。それは当たり前の話しで投資する人は潤うし、投資できない人は現状維持以下の世界です。一緒に考えるのは間違い。でも元々は実社会が潤うための仕組みだから勘違いしちゃいます。

結局はダーウィンの言葉のように常に変化できないと残れないということなんでしょうけど、それにしても変化のスピードが早すぎて「そりゃマンモスが冷凍保存されちゃうってのも分かる気がする」という感じです。

オジサンはすこぶる不器用な人間なので変化についていくにも納得する時間が必要なタイプで、時間がかかるほど現実との乖離は凄まじい勢いで開きます。そこでたまには仮想通貨のようなお勉強も書いているわけですが、が、が、そろそろ1年を迎える田舎暮らしに慣れてきたせいもあってか、変化させない方がよい分野を見渡せるゆとりが出てきたように思います。

文字にして書くと簡単なことですが365日という時間を費やして変化の本質を捉える作業は孤独との戦いです。その孤独に負けないで前進できる理由は「個人が会社化し社会が学校化する」という自分なりの未来が見えたからです。こういうモヤモヤした精神状態を突破するのにそろそろ3年を費やしていると思います。

自分がどうなるかは自分次第ですが、数ヶ月で変化してしまう社会変化は本質を理解し自分で消化できる基礎体力がなければ再びモヤモヤした時間を味わうことになるので中年オジサンはたっぷり時間をかけて準備中です。

なんと申しましょうか…アーティストで言えば田島貴男さんのようなその人しか持ち得ない個性を輝かせ、迎合せず、芯のある生き様を堂々と魅せる。こういうオリジナルラブな生き方が輝く時代が来たということなんでしょうね。集団の持つ良さは数による大きさではなく個性の集まりによる価値という本質に戻り、真剣勝負で生きる時代が来るということだと思います。

ということで日本音楽著作権協会のニュースも社会変化のひとつの捻れ現象と感じました。

YouTubeで教授の言葉に触れたついでに大好きな「星になった少年 Shining Boy & Little Randy」という映画のメインテーマを聴いていたのですが本人ではなくNakyun Kayanさんアップの動画でした。てっきり教授の演奏かと思って聴き入ってしまいました。「心を込めて弾きました」と書かれていますが、その気持ちが伝わってくるかのような演奏に和みながら本日のメモ終了。

こういう曲を聴くと「何もないところからあるものを生み出すことは、一般の人が考えるよりもはるかに大きなエネルギーが必要。」ということをひしひしと感じます。作曲した教授も演奏しているNakyun Kayan さんも、どちらも素晴らしい表現者。タイトル写真(下手の横付け)のような風景を眺め、こういう曲を聴きながら時間を過ごす。仕事、都会、他人のスピードに合わせるのではなく、自分が心地よいと思うスピードで生きる。考えてみれば当たり前のことですよね。十人十色ですから。

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