先日読んだ本に介護問題の解決策は「介護の効率化(集約)とぬくもりの両立」が触れてありまして、現実的にできることはそれしかないと私も実感しているのですが、そのとき指摘していたように「そのぬくもりの温度差はどないしまんねん?」ということが介護保険制度改正です。
(ほんま、まじで長生きしたいと微塵も思えん国家に成り下がりましたな)

改正の結論は「介護サービス料金ぜんぶ値上げ」という話です。
足元ではコストプッシュインフレが「4月の消費者物価指数を2.1%へ上昇」させてくれたおかげでおそらく食料品が平均50円程度値上がりしたように思います。
全体で見るとたいした額ではないですが、元々50円で買えたものが100円になるとすれば「スゲー値上げ」ということになり、それが値上げの序章に過ぎないというのですから大変な時代にいてきており、あまりよろしくないタイミングでのインフレへ突入しそうです。
今は2022年5月ですが本日のお題は2024年問題。翌年の2025年には団塊の世代が後期高齢者になります。その数800万人。だから選挙前に改悪しときたい政府。
介護をしている当事者として感じることは「たぶん団塊の世代は自分たちがおかれている状況を客観的に理解していない」ということ。
約800万人の大多数が親の介護を経験済のはずです。ですから今回の問題は問題ではなく、元から分かっていた、知られている、理解しているはずの話です。
そーなんですが、もし丸投げタイプの介護であったとしたら話はややこしい。我が世の春を謳歌しまくって介護の手を抜いていたら置かれた立場に愕然とするはずです。
この国は「子育てから介護まですべて外部へ丸投げし、働ける家族は金儲けに勤しめ」というスタイルですが、これにフタをしたままサバイバルを予測して高学歴や高給を追い求めていると、本当に日本が日本である意味はなくなり、どこぞの属国化するかもしれんですね。
さて、ざっくりと5つぐらいのポイントがあるようですが、ネットに残る文字や動画は事業者視点ばかりでしたので要介護の親をみているおっさん視点でメモしときますょ。
1.要介護1と2を総合事業へ
これをするのであれば認知症の方をどう扱うかの議論がとても重要だと思います。
わたしの親も日々「見当識障害」がふえています。ふり返ってみると77-78歳ぐらいから兆候があらわれ80歳をこすと顕著。今では毎日おかしな会話が通常営業。わたしがある程度余裕に振る舞えるのは要介護認定制度のおかげではなく身体障害者制度のおかげです。こちらの認定が低ければ私も切羽詰まっていると思います。
例えば脳以外のボディはすこぶる元気で料理、トイレ、お風呂も自分で出来るし、適当に動き回れるし、ときには買い物へも行けるから「要介護1」みたいな定型を作ってしまうと現役世代の介護は日常生活が即日破綻します。総合事業と認知症のすみ分けは絶対に必要でしょうね。
2.介護保険の利用者負担を2割、3割へと増額へ
すべては預貯金次第。一律でやってしまうと耐えられない人が続出するのはあたり前。
単身世帯で年収280万円を超えると自己負担2割の議論ですが、そもそも論として年収280万という数字で議論が必要な国であることに涙が出ますな。これに敏感に反応できるのは私が団塊jr世代だから。ここでバキッと壁を作っておけば、この先2-30年は奴隷国民決定。
この国は本当におかしい。これ、年収の話ですよ。言葉がない。どーやって生きてるのか知りたいぐらいです。間違いないことは国家は国民を助けないということ。
3.ケアプラン有料化
自分たちでルール化しておきながらあと出しジャンケンするのも卑劣ですが、これはプランを作成してくれるケアマネージャーのいわゆる「アタリ・ハズレ」に大きく左右されると思います。
わたしがお世話になっているケアマネージャーは非常に観察力が鋭く、ほんの5分、10分程度の滞在時間でも様子がおかしいことを見抜ける能力をお持ちです。総じてそのような能力を鍛えているからケア「マネージャー」なわけですが、ハズレの場合プラン作成以前の問題。
つまり金を取れそうなところから取るアイデアの一つというのがスケスケです。
4.福祉用具貸与のみのケアプラン費カット
杖や手すりは貸与から販売へ移すことで国の出費を抑える話ですが、議論の的は利用者ではなくレンタル屋が儲かるか否かに終始。アホな国に住んでおります。
要介護者の100%有償サービスにすると、介護サービス事業者を経由しないことで売り上げが落ちるから大問題というカスみたいな視点です。自分もいずれ老いる認識の欠如。
以前にもメモしましたが、車椅子にオプション装備で杖ホルダーを付けられますが、言わばフタのない空き缶に杖の先が収納できるような製品でレンタル料金設定してる時点で「こんなカスみたいな商品構成の本を作るぐらいだったら別のことに労力を費やせ」とか思います。
与党のお陰様をもちまして日本の中小企業は政府からの補助金や助成金のゆすりたかりで生きる術を覚えてしまい、飼い慣らされた状態に満足するクズ企業ばかりです。
5.小規模法人の大規模化
これはまさしく先日読んだ本の「介護の効率化(集約)」です。
あらゆるリソースが足りないのでこうなるわけですが…いやね、先日お世話になっているデイサービスの責任者が退職されまして、その後のサービス駄々下がり。
この業界に限りませんが人には向き不向きがあるわけで、いかに生きるためとはいえ万人には向かない仕事かと思います。
さりとて以前から言ってますが介護ロボットが救ってくれる論が浮世話であることは2022年現在で間に合っていないことからも明白。ロボットが要介護者を風呂に入れてくれる、体を洗ってくれる、トイレでお尻を拭いてくれるのは100年先の話だと思います。
(いや、100年後でも難しいか?)
ロボットが浮世話ですから人材不足が解消されることはないと思います。
さてと…
今後5年間の介護事情は緩やかな推移だと思いますが、10年となると激変していると思います。そうこうしているうちに私は還暦を迎え自分が逝く順番。
子が親の介護に手を取られ、私のような働き盛り世代を直撃し、今後は氷河期世代が巻き込まれ、仕事をやめて介護を重視したらミッシングワーカー、仕事を続けて介護をおろそかにしたら親不孝みたいな悩みと格闘することになります。
それも今までは親の年金に頼れたのですが、これからは親の年金も自分の年金もない時代。
いずれにしても日本には厳しい時代が待っていますが、この話の最大の問題点はなにかといえば「命よりお金の社会」に尽きると思います。主語が要介護者ではなく「お金」。
そのお金が足りない理由ですが、資本主義はだれかの借金がだれかの利益ですが、その原資となる「だれか」がどこまでも減り続けているのが今で、それがしばらく止まりそうにないですし、誰も止める気がない。政府も。
諸外国には大盤振る舞いし、国民は貧しさに負け。世間に負け…
つまりあとは覚悟だけですな。
おそらく私の親の寿命は5年もない。それぐらいの状況であることに少しの安堵があります。長生きしすぎると団塊世代の介護に食い込むことになり、それはそれで大変な世の中です。想像したくない。
そして次は私の番です。覚悟?もちろんできてますよ。
それにしても世知辛いニュースが続きますな。
こーゆー動画などを見ますとね、財務省も厚労省も目クソ鼻クソ。
7月には選挙がありましてね…
私も社会に出てほぼ30年経ちますが「至極まともな人だな」という、いうなれば “新しい保守” が怒涛の勢いで急成長しているようです。私の年齢に近い方が鍛え上げた知識と「大和魂」というキーワードを武器に流暢なトークで攻めまくっています。
この「大和魂」というキーワードですが、平たく言えば「日本人としての心」。
(まだ)51歳の私でもズッコケ人生をいかにソフトランディングして社会からフェードアウトするかを考え始めるほど日本は崖っぷちではなく墜落中ですから、良識のファイナルチャンスだと思います。ここを止められないと墜落して壊れてから考えるステージ。それでは遅い。
もうね、いかに私がパープリンな人生を歩んでると申しましても今回ばかりは「コロナを乗り越える、日本を再生する、全力で頑張る、◯◯を実現した、勝たせてください」なんて媚を売るトークで票が動く時代が終焉を迎えるのではと思います。そんな選挙を見続けてはや30年。
でもね、考えてもみれば目新しいことは何も言ってません。「正しいことは正しい、間違っていることは間違い」と言ってるだけです。ただそれだけのことが新鮮に感じられるのもコロナ禍のおかげでしょうね。そして動画拡散が超速。共感した人が勝手にどんどんアップしてゆく。
こういう「お金ではない」動きが起こる理由は「確かに未来は自分で作れる」と感じられるからであり、この「お金ではない」というあり得ないロジックは少子化すら止める可能性があります。
もしかすると復古するかもしれんですね。
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