「データ信者を量産する社会」と「ロボ化する人間」

介護
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本日は「科学的介護情報システム(LIFE)」のメモ。

介護も医療も(そーしたいのはよく分かるけど)パッケージ化されたような一律サービスの仕事ではないと思うんですよね。全ての問題の根本はここに集約されると感じます。

なぜか?

人間の基本スペックは一緒でも1つとして同じ個体がない。例えば「体温」ひとつとっても私は生まれた時から今に至るまで36.5上下0.2度の誤差で生きています。36.7度後半を察知すると「あ、やばい、寝て休憩しないと倒れる」と思うタイプ。

実は今がその状況。

世間はオミクロン株の大流行が針山のグラフを描いておりますが、かくいう私も1/18頃から体調が悪く、発熱こそないですが鼻水や倦怠感に襲われております。それでも食料買い出しなどに出かける必要があり、仕方なくウロウロしておりますが今日で4日目。

(もしやのオミクロン感染かな)

倦怠感を感じた初日から今に至るまでとにかく睡眠時間確保を心がけております。

今日が問題なく過ごせれば復調すると踏んでおります。

(5日間の禁酒)

私にとっては高額な社会保険料を毎年しっかり支払っておりますが病院にいくほどでもない。せいぜい市販の風邪薬ぐらいで対応してるわけですが、そんな折に通所リハビリから「ライフ導入で介護報酬単価が上がるから同意書にサインしてくれ」書類到着。

(ここからが本題)

ザックリした内容は「リハビリ加算33単位、栄養アセスメント50単位」の増加。単位が増えるということは利用者側の利用料金値上げ話。

これに関する担当者の説明は「厚生労働省にデータを送って、フィードバックを受ける」だけ。

それがどないしまんねや?って思いますやん?

(こんなの説明になっとらんでしょ)

ネットで調べるといとも簡単に目にするのが以下のような文言。

平均利用人数が◯人の場合◯◯加算取得で売上約◯◯万円UP!

ということで介護も医療も一律サービスの仕事ではないと思うわけです。個々人の基本スペックは一緒でも1つとして同じ個体はないから。

この業界に限らないけど「人数が◯人の場合」って表現は人間をモノとして見てますよね。対面でもB2Bなら理解できますが、こういう乱暴な言葉がネットに溢れております。子どもが無意識に学習できる環境。

ここに集るハイエナ業者はろくな死に方をせんと思いますよ。

どーせこの仕組みも日本の救いようのない大手ITベンダーと国が結託しての所業と思いますが全てのお金をドブに捨てて終わりだと思います。税金の無駄。

おどれらこんな仕組みでほんまに科学的根拠に基づいた実用性のあるデータを元に有用な情報が介護事業者にフィードバックされると思ってるんやったら脳ミソがお花畑すぎる。

なぜか?

私の場合だと居宅介護がメイン。通所リハビリは介護全体で言えば2割。8割は愚息が力技で対応しているわけで「おどれら数値にできるんやったらしてみ」と言い切れる自信があるほどの大変さ。LIFEは事の本質を突いておりません。

たとえば頻尿ひとつとっても全く参考になるデータが蓄積されることはないと言い切ります。

居宅介護で1日に20回を数える頻尿が施設利用時に2-3回で済めばデータ化行為の全てが真実から遠く有用性ゼロ。単なる入力時間潰し。しかし居宅介護は寝ずのトイレに家族は疲弊してるわけです。居宅介護が何ら楽になる要素ゼロなのに施設の売上アップに協賛してるだけ。

アホじゃなかろか。

そして必ず出てくるのが「データに着目」みたいな文字。

詰まるところ自分のアタマで考えて介護する人が減り「データではこーなってるから」みたいなロボ人間を量産するだけ。どこのオタンコナスがこんな仕組みを稼働させて喜んでるのか実に知りたい。

私は自ら積極的に介護に足を突っ込んでるわけですが、知れば知るほどこの国の臭いものに蓋をする法則に嫌気がさしています。

いや、別にいいのよ、資本主義だから儲けてナンボ。

でもね、人生のエンディングがこんなことでいいのか?って思うのですよ。

馬鹿の一つ覚えみたいに「データが、データが」みたいなことを言うあれ。もはや宗教としかいいようがないほど「データ信仰」が介護界隈にも侵食中。

データにはなくても本人が痛いと言えば痛いのです。外傷が一切なくても痛いと言えば痛いのです。血液検査で異常が認められなくても痛いと言えば痛いのです。

データにはなくても本人が痒いといえば痒いのです。本人がもっと食べたいと思えばもっと食べたいのです。それをロボットの如くデータにあてはめようとする愚策が進行中。

たぶんだけど真に求められるデータこそデータ化できないことが問題であり、データ化できるうちはたいした問題ではないよね。そこ(LIFE)の需要は極めて小さいと予想します。

てかね、これ、2021年4月(令和3年)からやってるんですよ。いままでに数えきれない要介護者を看取ってきた国は2007年(平成19年)時点で「超高齢社会」であり、今は「超々高齢社会」のはずですが今頃こんなことやってるんですね。

そしてまもなく「超々々高齢社会」なんですよね。

(もはや先進国ではないことは明白)

この変化に対応できないと「社会不適合者」とか言われるわけですが、社会でうまくやっていくことは難しいけれど自然と調和できるとすれば人間中心思考から離れるのも一考かと。

データ信仰社会。世も末だな。

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