Early Japanese Railways 1853-1914

先月トーマスクックが破産し、後を追うようにアドリア航空が逝きました。

欧州も景気が悪そうです。

ちょっと雲行きの怪しい世界経済ですがクックが逝ったニュース後からムクムクと芽生えた感情が、「当時はどんな旅をしてたん?」ということ。色々な情報を漁っている中で購入したのがこの書籍。タイトル通り1853-1914の日本の鉄道について書かれています。色々な書籍を見ては脳内パッチワークでその時代を懐古しております。言い訳ですが、子ども時分に勉強したのは世界史で日本史の細かい情報が頭に入っておりません。この手の書物を日々の癒しの読書として読み漁っており良い勉強になります。

たぶん戦後のトーマス・クック日本支社を支えたマネジメントチームは既にお亡くなりではないかと想像します。もしご存命ならきっと貴重な資料をお持ちですよね。日本のどこかにお宝資料が眠っていると思います。

もとい。JTBの資料を見ると日本人にとって「旅」というキーワードが現代の「旅行」へ変化したのは昭和からと言っていいと思うので、初期のトーマス・クック社が活躍した日本は旅の概念すら浸透する以前の話しです。いや、もちろん松尾芭蕉みたいなことは理解しておりますが、まさに近代ツーリズムとしてのお話し。今では当たり前ですが当時は超最先端ビジネスです。

でね、漁っていた時代は大きく分けて2つです。

  1. 1872(明治5年)-1912年の日本の景色。つまり明治時代。
  2. 1912(明治45年/大正元年)-1926年の日本の景色。つまり大正時代

日本の鉄道は1872(明治5年)に、新橋 - 横浜でスタートというのは知っていて、それがいまから約150年前と理解していても全くリアリティがありません。その辺は徳川慶喜、ペリー、士農工商がごちゃ混ぜな、全く整理されていない時代認識でした。なんでこの2つが大事かというと、トーマス・クックの日本での活動とダブります。

  1. 1872(明治5年) 世界初の世界一周旅行で8人の旅人添乗員として日本を訪れる。
  2. 1894(明治26年) トーマス・クック 最初の横濱支店オープン。

振り返ってみると日本人にとって1872年は大変革の年ですね。

全くの認識不足。Historic Year !!!

1900年以降はクックも日本旅行用ガイドブック(というか小冊子)を2回発行した形跡がありますが、この頃の日本の開国スピードは大変なものだったと想像します。

とりあえず先に書いた1872-1910年前後の写真と文章を中心に内容に目を通すものの、改めて安藤広重の絵に愕然。普段そういう視点で見ないだけですが、1840年頃は草履にふんどし姿の駕籠屋です。しかも頭は剃り込み。この約30年後にインバウンドが始まるわけですが、もし観光客の視点でこの駕籠屋に乗れと言われたら私はちょっと躊躇するいでたち。裸オヤジ集団に連れ去られる感覚。

1840年頃 ほとんど裸な仕事姿

ところがもっと驚いたのが線路施設スピード。1872年にトーマス・クックが連れ歩いた客は船と人力車での観光がメインだと思いますが、16年後の地図によると1888年で殆ど全国をカバーしています。たった16年でこれだけ近代化したというのも凄まじいスピードです。激変。

1888年に殆ど出来てるし!

もちろん大阪商船や日本郵船の船が世界中をウロウロしていましたし、クックも日本の近代化には一目置いていたのかもしれませんが、それにしても有り得ないぐらい超スピードの発展です。当時飛脚の多くは人力車へ転職したそうですが、この変革期の対応は日本人も難儀したでしょうね。

昔も今も時代を読む必要性は一緒

あらゆる物事が例外なく変化した時代というのが分かります。摩訶不思議な国です。丁髷(ちょんまげ)、笠、ほおかぶり、西洋帽子が同時進行の時代があったなんて...。

調べていませんが、大正に入るとクックも日本での長距離鉄道旅行を手配していたと思います。それこそがトーマス・クックの最も得意とする手配代行。そんなこんなで本をペラペラめくって驚いた写真が新橋-下関を毎日走っていたらしいデラックス車両なる図。ほんまかいな!

なんだこの豪華列車!

これを見ると1等と2等に分かれておりまして、2等にも寝室はありますが、基本イス席の方が多いですが、これを利用したのは日本人の金持ちなのか?それよりも驚いたのがまずはダイニングカー。厨房横に26席の客席と書かれております。個室のスペースもあります。更にObservation parlourなる文字。展望列車の最後尾はパノラミックなアレ。なんだこの文明開化スピード。

Observation parlour, Tokaido Limited Express, c. 1930.

写真もあるのですが...

dining car

男性は洋服で女性は着物。

よく見ると上の写真は少しカジュアルですが下の写真は豪華。テーブル毎に壁には生け花が飾られ、調度品の椅子も革張りに見えます。ガラスコップに入るナプキンは布製でしょうし、各種カトラリーやシュガーポットも高価な雰囲気。これに外国人が乗って下関まで旅をしたとすれば、それは贅沢だったと思います。運行に10人、給仕に20人。総勢30人でもてなす列車らしいですが、スタッフはどこに隠れてたんですかね。

巻末には1903年の路線網が乗っています。

1903年 ほぼ全国どこへでも行けます。

この地図を見ると船で横浜港へ着き、ホテルニューグランドに泊まりながら東京近郊を観光し、時に船で、時に寝台列車で西へ向かったことが想像できます。クックの資料によると東北方面の観光案内文も見受けられたので東北観光組もあったとは思いますが、当時のゴールデンルートは「横濱、神戸、長崎」でしょうね。

もう少し鉄道知識があれば面白さも違うと思いますが、あくまでも外国人旅行者の視点で読んでおりました。ちなみにこの本は1854年にペリーが「国を開けなさぁ〜い」と言いながら手土産として持参した蒸気機関車模型の試運転の様子の絵からスタートします。まさに開国の時期。なかなか面白いですよ。

当時の世相と現代を重ね合わせながら読んでいると2つのことを感じました。

大正が終わり昭和が始まる頃の人口は5700万人。昨今の人口減少が順調に早めに推移すると100年後は明治維新の頃の人口に戻ってる可能性があります。未来は分かりませんがこの地図のように列車が走らない場所が増えるはずです。これからの縮小ニッポンで、自分がどこで何をしながら暮らすか?という参考にもなります。なにせ優先順位を考えてレール敷設してきたのですから真逆発想もアリでしょ?

もう一つはやはりトーマス・クックの嗅覚と多動力とそれに食らいついた日本人の凄さ。鉄道という新しいものが生まれた時に想像力を働かせ旅行ビジネスを作ったクックの才能は秀でてます。同じことを新橋-横濱開通時にやらかす日本人はいませんでしたから。ただね、一度コツを掴むと後は本家を凌駕する勢いで伸し上げたのも日本人。まさにJTB。それも終わりかけているのが今です。

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