驕れる白人と闘うための日本近代史

ありがたい一冊
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時代が混沌としておりますな。インフレも3%を越して物価高を実感しています。

この不穏な空気を緩和するには、より一層金儲けに明け暮れるか、古い本でも読み返して歴史に学ぶかのどちらか。お金に支配されたくない私は後者を選び、幕末期や明治、大正時代を生きた人の視点からなにか得られるものがないかと古本を買い漁っては読み耽っております。

その当時に書かれた日記などですね。

そのうちメモしたいと思いますが、それらを漁っている時に気になった本が本日のメモです。

タイトルからして燃える闘魂な熱量と、日本人が、日本語で書いた書物にしては挑発的空気が漂っております。

タイトルだけで分かることは「白人と闘うには近代史を勉強しろ」ということ。

 

私は高校生の時に世界史を選んだせいで日本史はからっきしダメな人生を歩んできました。正しく戦後教育。その世界史も西側諸国視点という偏った、いわゆる詰め込み教育の賜物としかいいようがない薄っぺらい知識。ウクライナ問題がスッと理解できなかったのも教育のおかげ。

しかし冒頭の話ではないですが、さすがに世界がこれだけ混沌としていますと、国史を知らずして世界を語れず「むむむ、これはマズイ」と思うわけです。

毎日が変化の連続とはいうものの、どこかで日本が毒牙にやられたタイミングがあるわけで、江戸時代までは日本人ルールで回っていた社会が平成以降「海外ではこれが常識」みたいなツイートが普通になっちゃってね、グローバル基準が善みたいなね。 

(芯のない玉ねぎ状態)

100年前、150年前の、日本が海外に揉まれておかしくなる前のオリジナルを知っていないと肝が座らないと感じる日々です。

この本は「自信を失った日本人への痛烈な叱咤」だそうです。

著者は日本人ですが、長らくドイツで活躍されていた方。その日本人がドイツ語で書いて現地では物議を醸したそうですが、それを日本人が日本語に翻訳した本です。

つまり日本人が外国語で日本を語ったものですね。恐れ入ります。

 

読み始めからすぐに「そうか、こういう説明の仕方が欠けてたのか」ということだらけで、いちいち書き出したらきりがないのですが、例えば「日本の通貨は60年代半ばまで他国の通貨と自由に交換できなかった」というくだりがあります。「1ドル=360円」の固定為替相場は知られた話ですが、つまり「日本円は使い物にならなかった時代」を経たあとで私は生まれたわけです。

高度経済成長というのは本当に当時の世界レベルで高度だったということです。

こんなことは日本人ならよく知っている話ですが、続けて「1958年にUSAへ渡航許可された日本人は年間4000人足らずであった」と書かれております。

私が生まれるほんの少し前、今から約60年前の日本と世界の姿。

筆者はおそらく20代で体験したことをメモなど見ずに記憶だけでスラスラ話せる内容だと思いますが、そんなつい昨日の話を肌で理解できていない人生を過ごしていたことが情けないやら恥ずかしいやら。

そして話の序盤で脳天を叩かれるのでした。

日本人には、自分たちが拠って立つ歴史の蓄積がないからである。…こういったところが彼らの日本観なのだ。…自分たちの歴史を誇り、その蓄積に自信を抱く欧米人…

この通りなんですよ。

結局のところ我々はどこから来て、どこへ向かうのかという理解が乏しいまま、尺度をもたないまま、正しく偏差の値だけで社会のヒエラルキーを作ってしまい、自然よりお金を愛し、挙げ句の果てに国が奨励してFラン大学のような教育での金儲けにより国家は衰退するばかり。

 

これだけ著者に頭を殴られて失神しそうでも歴史を学び直し、幕末から明治に日本が取った戦略を振り返ると、日本人は単なるバカではなく、劣等民族でもなく、悪魔的民族でもなく、奇跡を起こす天才的才能を持った超人の集まりとか書かれてありホッとします。

ここから日本がなぜ奇跡を起こせたかの詳細が綴られているのですが、超ザックリ一言でまとめると、日本人は極端な貧富の差をよしとせず、短い生涯でも学び続ける民族であった故にコミュニケーション能力に優れ、賢い人ほど貧富の差を解消することに努めたといってよいと思います。

学力にせよ、腕力にせよ、経済力にせよ、力あるひとはその能力を「みんなが仲良く暮らせることに費やす」ことで鎖国パラダイスと開国の流れが実現したんでしょうね。

いや、その、実際には貧富の差はしっかりあって、それを精神論で雑にまとめるというのが現代日本人の嫌うところですが、この精神論的も竹光勝負ではなく真剣勝負で成立する話で、現代で切腹は有り得ないですから当時は覚悟が違います。

 

この本を読み終わると、なぜ今の日本がぎくしゃくしているのかがよくわる。

いま日本で起こっている事は日本人的ではない方法、近代日本史すら否定する、本当に欧米のサル真似が進んでの結果であることがよくわかる本です。

 

先日下の記事を読みました。私もこのぐらいの年齢の時は似たような感覚を持っていました。

30歳で大企業を辞めベルギー留学。想定外キャリアを選んだ理由は「取り残される危機感」だった
2022年の夏、私は7年間務めた新聞社の職を捨て、ベルギー留学するキャリアを選びました。安定した生活を捨て留学を選んだのは「国際標準の感覚から取り残される」という焦りがあったからです。

なんというか「地球市民のひとりでありたい」という感覚を持てる年齢で、それはいたって普通のことですが、世界に向かって思いのほか日本人のことを語れないのでは?と思います。

(私は今でも語れない情けなさ)

記事にこんなことが書いてあります。

べルギー人には「今度僕のバイセクシャルの妹が、レズビアンのパートナーと一緒に住むんだ。すでに妹のパートナーには過去に精子バンクで授かった子どもがいるんだけど、今後は妹とパートナーで精子バンクに行って2人で子供を持とうかと話しているみたい!」と世間話の中でいわれた。

確かに、世界はどんどん垣根がなくなっていく。そのなかで、英語が話せなかったり、共通感覚をもっていなかったりすることは、リングに登れないことを意味するのではないか。

日本の人口は確実に減少し、それに伴い存在感が落ちていく可能性も高い。縮小する市場で生きていくしか選択肢がない自分になりたくないと感じた

レズビアンだの精子バングだのといった話はユーチューブでも情報は山ほどあるし、30歳で共通感覚に疎外感を感じる心の未熟さが問題で、グローバル市場の選択肢が魅力で日本から出るのなら二度と帰ってくるなと言ってあげたい。

(日本と大きくズレるグローバル感覚?だからどうした)

この本を読んで痛感したことは、戦後の詰め込み教育ではダメで、もちろん日本史を全網羅できれば最強ですがそんなことも難しい。なにせ日本史は世界最長だから。それでも江戸時代以降の日本人の思想信条は腑に落ちるまで理解しておく必要があるように思いました。

(今頃気づいても遅いが勉強すっぺ)

理解してから型破りへと海外へ飛び出すと最強の日本人じゃないですかね。

型がない日本人は結果として(たぶん)売国奴になります。

本人はまったくそんな気持ちはない、純粋に、時代の流れをキャッチしての行動ですが、世界にどっぷり浸かってグローバル社会に飲まれると、すべてグローバル基準ですから日本の伝統や文化は関係ない話として片付けられます。

(ベルギーの伝統や文化が失われつつあるように)

もうね、脳が自動でグローバル処理する人間製造社会が完成済。一丁あがり。

この「伝統や文化」を話題にする人は右寄りと言われますが、自分が生まれた国の文明や文化を誇れないとなれば、日本人である必要がない。そして行く先々で「縮小する日本で生きていくしか選択肢がない自分になりたくないから」と言って転々と。

自分が年老いて沈みゆく日本を海外から眺めながら「嗚呼、やっぱり脱出しといてよかった」と思うか、それとも「嗚呼、私にも日本国内で出来ることがあったのでは?」と思うかですね。もうすでに消えかかっている国ではありますが、未来は変えられると思えば後者では後悔先に立たず。

ベルギーに行ったこの方も、いつの日か「あの時こそ日本で頑張っておくべきだった」と感じる時があるのでは?と思います。それでもグローバル社会は超魅力的で、一度嵌ると薬物中毒のような高揚感を知ってしまい、止められないものです。

(人生とはそんな浮き沈みの繰り返し)

ずいぶん話がそれましたが、本当に恐れ入る良書ですが残念なるは今のニッポンの姿。

(明けても暮れても統一教会)

この本が発売された2008年から15年を経た2022年の崩壊具合がよくわかります。ひとことで言えば、この本で促された正しい日本史の理解を全否定する国へ変化の真っ最中。

(たぶん悪い方向へ)

発売から15年ですが本書から感じ取れる日本人像がおおよそすべて過去の話になるぐらいこの国はおかしな方向へ邁進しており、総理大臣から庶民まで大方の国民が間違ってない、これで正しいと信じて生活しています。

最後に、タイムリーな文章があったのでメモしときます。

さらにもう一つの官庁は、神社、仏閣のための役所だった。

そこでは宗教団体を管轄し、その活動が精神の領域からはみ出ていないか監視した。拙著「日本の知恵 ヨーロッパの知恵」にも詳述したが、幕府は、かつて日本で布教活動を行なったカトリック教団との苦い経験から、宗教団体が政治に介入しないように細心の注意を払ったのである

それは日本古来の多神教の神道であり、仏教のいかなる宗派であれ同じであった。大きな神社や仏寺が人心を洗脳し、政治に介入し、血みどろの勢力争いを展開する余地を与えなかった

当時のヨーロッパでは、カトリックであれプロテスタントであれ、政治に介入することは当然で、あちこちの教会領では大司教が領主であった。そのため各地の勢力争いは宗教をバネとして展開された。この種の血みどろな抗争は鎖国時代の日本には皆無であった。

少なくとも失われた30年、もう少し幅を広げて高度経済成長後の50年を生きた日本人は江戸時代より精神レベルが低いということですね。

驕れる白人と闘うための日本近代史」とてもおすすめの一冊です。ぜひに。

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