本日は旧約聖書の「出エジプト記」ならぬ「出ニッポン記」。
出エジプト記ならモーセがユダヤ人を約束の地カナンへと連れ出してくれますが、出ニッポン記は日本から国策で追い出され、自分の意思で南米へ移住した炭鉱夫の実話です。
その取材者数、死者も含めて150名ほど。
上野さんの本は20代に何冊か読みました。
私の社会人生活はバブル崩壊と同時にスタートとはいっても、バブルの残り香ならぬ残骸を感じましたから「炭鉱夫がブラジルへ行った?」と言われてもピンとこなかったのですが、50をすぎて読み直すと、すくなくとも私が生きてきた時間を見る限り「社会構造というのは簡単には変わらんな」と思わせてくれる一冊。
わりと最近「」という本の復刊が話題でしたが、こういうたぐいの本が復刊されていること自体が時代の暗さを物語っております。
日本に「地底生活」「地底労働」という言葉が存在する国であったことも忘れ去られております。どんな人々が南米移民となったかの背景は「三池三川抗炭塵爆発」と検索してご確認ください。
この手の本を読んでいると著者の人間愛とか痛みの尺度が如実に現れますね。
大学教授が補助金片手に自分の実績を兼ねて1粒で2度おいしい仕事をしているような本もあれば上野さんのように自分で工面しスポンサーなしで人間の営みや業を記録した本も。どちらも同じテーマの記録ですが世の中には確かに格差が存在し、「結果がすべて」と「プロセスが大事」の格差も私には刺激的です。
やはり自分で金をかき集めて出来上がった本は輝きが違いますね。なかでも上野さんの文章は過去からの連続性を意識した記述が特徴的でグッときますよね。
三井鉱山の歴史は、文字通り”人買い”企業の歴史
こういうストレートな表現の文章を見ますと昭和に言論の自由が残っていたことに安堵を覚えるぐらい令和に言論の不自由さを感じる今日この頃です。ニューカレドニア移民の日本郵船史を辿れば似たり寄ったりの世界観を垣間見る感覚です。
今でこそ高学歴集団の集まりのような上場企業も歴史をたどれば「人買い」。この言葉を使わない時代ですが、早い話が人身売買で金儲けしていたわけで、日本に奴隷制度がなかったというのは詭弁です。辛辣な言葉ですが命がけの仕事でしたからこんな表現でも生ぬるいのかもしれません。
これまた「盗人たけだけしい」の好見本であろうが、もちろんこれは三井の御家芸だから驚くにはあたらない。台風の被害を受けた与論島から三池炭の積込み人夫としてつれてこられ、「第二の囚人労働」といわれる重労働と差別に呻吟(しんぎん)した。
いわゆる「ヨーロン坑夫」の運命も、膨大な数のぼる朝鮮人坑夫の運命も、また同じである。そしていままた「企業の合理化」「業界の体質改善」の大義の下に、「立派な人間」の南米移住を強行するに至ったまでのことである。
当時の日本は本当に貧しい国で生きるのに精一杯。坑夫は女性も素っ裸、男性もフルチンで働いていた時代があるのですよ。嘘のようなほんとのお話です。
石炭時代は諸外国も似たり寄ったりですが、ほぼ素っ裸で労働というのは日本ぐらいだろうと思います。ある意味合理的ですが、究極すぎて…
「ヨーロン坑夫」なんてキーワードが時代を超えて甦る感覚もこの本の凄みだと思います。
あの時代に納屋制度という人買い中抜きビジネスでボロ儲けした現代につながる系譜は日本人なら誰でも知っている元総理大臣の麻生太郎をはじめとし福岡銀行、玄洋社、安川電気、JR九州、日立金属、九州工大など沢山あります。
当時人足として生きた方の「おかげ」といっていいのか「血と汗と涙」といっていいのか。複雑な感情ですよね。ありがたいことだけど切ない。
現代の派遣ビジネス搾取による莫大な企業利益が100年後の日本人に豊かさをもたらしてくれることを願うばかりですが、100年後は7千万人といわれてますから国の存続自体が怪しいですよね。
余談 : ストの町・三池炭鉱ルポ
今では社名も「日本コークス工業」へと変わり三井より住友の色濃さに栄枯盛衰を感じます。HPの企業沿革から大事故や人減らしの様子は微塵も感じられず。
昭和34年(1959)12月、大量解雇の方針が伝えられると、労働者との間で激しい労働争議(三池争議)が発生し、約1年にわたるストライキが行われた。
また、昭和38年(1963)11月9日に三川鉱で炭塵爆発事故が発生して458人が死亡。さらに昭和59年(1984)1月18日には有明鉱坑内で火災が発生し、83人が死亡するなど、おびただしい数の犠牲者を出した。
私のイメージする当時の日本は敗戦のマイナスをゼロに戻した頃だと思います。プラスへの復興本番はこの後からで「事業は人なり」という概念もない時代。
今では上場企業の株主がゴッソリ外国資本のような状況へと変化し「従業員はいつでも解雇OK」という風潮。約半世紀でここまで日本の企業形態がぶっ壊れたことに驚くやら情けないやら。
余談ではありますが、さすがに私が生まれる前の時代の労使紛争なんて誰も興味ないご時世ですが、世の中には「分断工作なんて、陰謀論じゃあるまいし」なんてことが存在する代表例が三池争議です。そういうことは世の中に普通にあるんですね。
(日本人って根は陰湿だと思うよ。ほんとに。)
外部からの労組分裂工作、893による殺人、そして大事故へ。
一般的にはここまでの理解でも十分お腹いっぱいの歴史ですが、最後は2万円で頬を引っ叩かれ、今風に言えばリストラでも「自己都合退職」となり、組合で暴れた人は名簿が一人歩きすることで再就職が難しく、そして本書のメイン「炭鉱夫が海外移住」という棄民へ話が続くわけです。
先日、別の移民本の調べもので購入した「週刊朝日1959年11月29日号」の特集記事をご紹介。
当初は「会社vs労働者」という2極構造に第3極という体で西南大学教授中沢慶之助氏の講演記録が書かれていました。
炭坑に比ぶれば、いまは極楽のげなもん
冒頭で三井史や炭坑史に軽くふれたあとはいよいよ炭坑離職者移民話へと話が最後の1ページまで延々と展開します。
一軒一軒訪ねては苦労話を拾ったわけですが、なにせ500ページ強の大作なのでおいそれと抜粋できないのですが、どこを切り取っても「貧乏」がつきまとう話ばかり。
社会に出た年から現在まで暴風雨に晒されてきた団塊jr世代の私ですら自分の人生が平和であることを思い知らされる文章が延々と、これでもかというぐらい続きます。
冒頭部分で印象的な部分をランダムに抜粋しますと…
それぞれが別人の話です。
私も人生で何度か海外の貧しい地域を歩いたことがあるので様子が目に浮かびます。しかも相手が同郷となると取材時に見えない壁が立ちはだかるのが一般的ですが、著者自身が坑夫であったことによるリアリティの強さがひしひしと伝わってきます。
地底の民の絶望の闇の深さに比べると「地上=天上」と同義語だそうです。
余談 : 政府は国民を見捨てるのがデファクト
と思わざるを得ない話が延々と続きます。
この当時エネルギー政策の転換期で石炭から石油へ、そして石油から原子力へ、原子力から・・・へと変遷の都度人間を奴隷動物のようにコキ使っては闇に葬るを繰り返してきたのが戦後日本の姿です。
おそらくこの流れはいわゆるG7と呼ばれる旧先進国共通手法に思います。
少し前に利用したショートステイに90歳ぐらいの男性がいらして、その方は若い頃に複数の炭坑で働いていた話を聞きました。当時「石炭から石油へ」と言われたとき、その後の人生をどうやって食べて行こうかと途方に暮れたそうですが、「国鉄に拾われて油まみれになって働いた」という話を聞きました。本当にそういう時代があったんですね。
余談ですがその方は「岐阜の亜炭も行ったよ」と話されました。「夕張や三池の石炭じゃなくて岐阜の亜炭ってナニ?」と思いますよね。ざっくり言えば石炭より質の悪いものが亜炭です。それを日本全国で掘りまくっていた時代があるんですね。
この本を読みながら突然思い出したのがダニエル井上と岸信介との会談。これはwikiで知ったことなので真偽不明ですが以下は岸首相の発言です。
繰り返しますが日本国総理大臣の発言です。
前後の文脈を知らなくてもダニエル井上にはそこはかとなく大和魂を感じます。岸信介の発言も理解はできますが、これが日本の首相発言という寂しさたるや。この会話があった1960年代は高度経済成長真っ只中ですよ。
なんですかね、この文章から漂うむなしさは…
去るも地獄・残るも地獄、自然動物園
次々と炭鉱夫移民の紹介がつづく中で私の記憶に残ったお二人をご紹介。
まず一人目はドミニカ移民の桑野義次さん。
「あん時ばっかりは往生しましたばい。なにしろ毎日のごとドミニカやらキューバやらの騒動が、でかでかと新聞に載りよる最中のことですけんなあ。兄弟はもちろん、親類中から猛反対をくらいました」と彼は語った。
にもかかわらず、あえて桑野さんがブラジルへ渡ることになったきっかけはなにであったのか。一人の友人の死だ。と彼はいう。
「ちょうどその時分、うちは胃の手術をしたあとでしたけん、坑外の資材置場で日役作業をしよりました。ところがたまたまその日、坑内棹取の黒木ちゅう友だちが仕事の合間を見て、うちだちの詰所に煙草を吸いにきたとです。それで一服しながら二人で雑談しよるうちに、坑内から“差せ“の合図があったもんですけん、彼は炭函な乗って坑内に下がりました。それがこの世の別れですたい。さがってから一分もたたんうちに、彼は炭車の脱線事故で即死してしまいました。うちもすぐさま入坑して助けに行きましたが、もうつまりまっせんでした」。
桑野さんは昇坑するとその足で労務課へ直行し、退職手続きをしたという。そして亡き友の野辺送りが終わるとさっそく福岡県庁へ出向いて、ブラジル移住の手続きをとっている。
これは大正中鶴炭坑での話ですが、描写が目に浮かびますよね。自分の置かれた状況に自分自身がキレたわけです。地底でのヨロケやドカンが日常茶飯事の人生ですから、地上で生活できるだけて幸せという…これも日本人史です。
なんですかね、この殺伐とした空気感。
二人目はアルゼンチン移民の野北良人さん。
この方は元々ブラジル移民でしたが1年で見切りをつけてアルゼンチンへ移動されたのですが…
「いやあ、私は自然動物園の中で百姓するとは好きまっせんばい」
彼の表現があまりにおかしくて、私は腹の皮がよじれそうであった。
「ほんなこつ、あそこは自然動物園です。毒へびでごされ、毒ぐもでござれ、おらんもんはなかとですけん。夜は夜でレオンが、家の板壁一枚向こうで吼えるとですもんなあ。ペオンが逃げてしまいましたばい。現地人の労働者が逃げだすげな所にとどまっておらるるもんですな」
この方は明治赤池炭坑OB。レオンが「Mico-Leão-Dourado」なのか、それとも猫科表現として「leão」なのか分かりませんが、どちらにしても板壁一枚隔て野生動物が吠えまくる場所はおっかなくて落ち着いて寝られません。
私もアフリカのサバンナテントキャンプで経験したことがありますが、あの独特の気配と緊張感に慣れるには時間を要します。
続く文章に「パラグアイやボリヴィアも自然動物園の中の百姓」とあり、これもまた現場の様子が目に浮かびます。
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いま日本は急激な人口減少ですがその原因を論じず外国人労働者が続々と越境中です。それは間違った政策ではないか?と思うんですね。
かつて地底生活のカテゴリーに属した人は海外棄民として消されました。もちろん自ら消えていった人もいたと思います。
移民政策終了と同時に非正規労働のカテゴリーが生まれました。
かつての「人買い」は「人材派遣」に置き換わりました。社会人スタートが派遣労働の人は国内棄民として静かに生きていますが遅かれ早かれこの世を去り、この歴史もまた忘れ去られます。
その世代がこの世を去ることが薄々理解できるタイミングのいま、今度は外国人労働者が数百万の借金をして日本へ来ていますが、その方々はそれで幸せなのか?そもそも日本人は幸せなのか?
数合わせによるGDP維持に国民は本当に賛成しているのか?
街に外国人があふれ、外人の占める割合が日々増え続ける状態で「ここは日本です」といって誰が納得するのか?日本人はどこにいるのか?本当にそれで日本文化や治安が維持できるのか?
たぶん…ぶっ壊れるまで突き進む民族なんでしょうね。
私と似たことを感じる方に「出ニッポン記」はおすすめの一冊です。
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