この本は天野芳太郎について調べていたときにたどり着いたもので、たまたま安かったので勢いで買いましたが、なにが書かれているかは深く知りませんでした。著者は田中耕太郎。当時東大教授の著者が外務省の仕事で半年近く南米をウロウロした記録です。
安いといってもタダではないので購入動機がいりますが、おそらくwikiに載っていた下記引用が背中を押したと思われます。
(色々と読みすぎて動機失念が増えておる…)
1949年5月13日、参議院で優生保護法による人工妊娠中絶に経済的理由を追加する事に反対し、「一家が貧乏だから四人の子供を二人にしろ、人口八千万が多過ぎるから六千万にしろ、そういう考えこそ、これはフアツシヨ的、全体主義的の思想であります。
国がそれを指導するに至つては言語道断だというふうに考えるのであります。外国にそういう事例があるとしても、外国ではこの弊害に懲りておる。
日本だけがそういう陰惨な方法を用いなければならないということは国際的正義人道の精神に反する。それを外国で若し日本に押付けようとするものであるならば、我々は堂々と国際的法廷において、それを広く世界人道及び正義の観念から、我我は断乎として今後闘わなければならぬと思うのであります」と発言した。
1949年ですから日本がアメリカの植民地時代のお話ですょ!
し・か・も、人口8千万が多すぎるから6千万にしろという…。
私のようなパッパラパーな人生ですと50を過ぎて田中耕太郎を知ったのですが占領軍がウロウロしている時代の国会でこれを言い放った「田中耕太郎なにもの?」って思いますよね?
昭和24年に「そういう考えこそ、これはファッション的、全体主義的の思想であります」ですよ!
しかも外国がそうだからといっても、その外国もおかしくなっていて、それを追随する日本云々というくだりは平成&令和の日本そのもの。
いまの日本の全体主義かぶれに田中さんも草葉の陰で嘆いてることでしょう。本書は中南米全域にふれていますが今回はペルー部分のみピックアップ。
在ペルー同胞の状態
ざっくりかいつまんで意訳すると…
- いちばん移民が盛況だったのは1905-1908年ごろ
- ブラジルはコーヒー栽培だがペルーは砂糖栽培
- 移民規模はブラジルの10分の1だがアルゼンチンやチリに比べれば盛ん
- 移民23,000人のうち4割が沖縄県人
- 移民の半分は都会(リマやカヤオ)暮らし、半分は地方で農家暮らし
こういった下調べから導き出した田中さんのまとめは…
初期移民と大東亜戦争前後移民で様子はガラリと変わり、この頃の商業移民になるとある程度の蓄えた財を崩せば日本へ帰国できる者も多く「帰国熱は当国に於いても相當蔓延しいる」とも記録されています。
この「蔓延」という言葉遣いに田中さんは制止に動いたのか?それとも単なる外遊か?
戦中戦後の日本人扱いはどの移民先国でも酷いものですが焦土からの再出発を思うと移民先での生活の方が精神的には楽だったと思えばいいのか?いやいや自然相手の開拓移住だから精神も肉体も移民の方がはるかに大変だったのか?
妄想が尽きません。
天野芳太郎氏
わざわざページを割いて書かれています。もちろんわたしにはここがメインディッシュ。
「天野さんが日本のスパイ」という話もありますが…それぐらいのキレ者だったということでしょうね。とにかくツボを押さえるのが「早い、上手い、的確で正確」なんです。
なかなか興味深い内容ですよ。
日本人が少ないパナマを選んだという見立てが面白いですよね。
日本円が基軸通貨時代に育った私としてはこういう思考が働かないので新鮮な切り口。単にその場所が気に入って商売をしたのではなく、為替差益を計算できる場所を選んだという話。もちろんパナマ運河がチョークポイントと知っての行動でしょうし、アンテナ感度おそるべし。
天野さんとまったく関係ないくだりも。
なんて話も。
天野さんは高卒ですが商才に恵まれたようで、はるかに高学歴の田中さんがこれだけへりくだった文を残されたということも興味深く「要するに氏の成功は全く氏の頭脳の良さの賜物であると云わなければならない」という一文に凝縮されています。
そして「お金は稼ぐより使う方が難しい」といわれますが、利益は吐き出して新しいものへ投資した、そういうことが出来たうらやましい時代でもあります。
日本、パナマ、コスタリカ、チリ、ペルーと行きがけの駄賃のごとき起業・成功・投資回収の繰り返しですから…すごい方なんですが、これだけの方なのに当人の動画がひとつも見当たりません。少しぐらい残されていてもおかしくないと思いますが…。
おそらく普段はその辺のおっちゃんと何ら変わらぬ雰囲気でありながら、話すとカミソリのような切れ味で采配するような人かな?と妄想しきり。
大学講演行脚
当時の世界や列強の眺めかた、そして移住移民によるブラジルやペルーなど南米日系社会の捉え方はさすがで、今でこそだれでも簡単に情報を得られますが1940年(昭和15年)に書かれたものとしては驚きの内容。
しかもはっきりとその地域の本でありながらご自身が南米に対する理解が「認識不足」と書いてあります。
今回学術的なことに触れる気はないのですが、この本は単なるラテンアメリカ旅行記ではございませんで、各地で大学に立ち寄っては法曹関連の交流や講演をこなす内容がメインですから色々な大学名が登場します。
サクっと名称抜粋しますとアメリカはスタンフォード大学、UCB、ハーバード大学、コロンビア大学、エール大学、フォーダム大学。ブラジルはレシフェロースクール(現ペルナンブコ大学)、ブラジル大学、サンパウロ大学。アルゼンチンではブエノスアイレス大学、ラプラタ大学、サンティアゴ(・デ・エステーロ)大学、教皇庁立カトリック大学…こんな調子でペルー、パナマ、メキシコと講演行脚。
いまでこそ誰でも知られた大学名ですが、当時の南米各国の教育や文化レベルは未開の地情報でしたから詳細な記述は「アンデス、アマゾン、南米もまた切磋琢磨している」という気づきを当時の日本人に与える本となったようです。
ちょっとおもしろいくだりも発見。
最近こそフリー・メーソンが陰謀論のような話ではなく、ごく普通に実在する組織として理解されていますが、これが第2代最高裁判所長官の文ですから現代日本人の脳みそが昭和、平成と長いあいだイカれた状態であったことがよく分かるというものです。
(戦後ニッポンの壊れっぷりはお見事。焚書効果おそるべし)
これだけの信頼と人脈をもってしても日本は戦争へ突き進んだわけで、その領域にどっぷりと浸かった学界人生だとそれが普通でしょうが、まったく学のない私から見ると戦後の高等教育は極めて政治的に動くビジネス組織へと変容したように思えます。
昔も今もそれが普通だと思っている教授が多いんでしょうね。
人間は権力を手に入れると人格が変わる動物
最高裁は憲法の番人の筈だが、実態は政権の番人。
かつて田中耕太郎最高裁長官は、米軍駐留の違憲性が争われた砂川訴訟で、駐日米大使と密議し一審違憲判決を覆し、合憲判決を出した。司法の独立に逆行する流れは今も続いている。流れを変えるには最高裁裁判官の国民審査でバツをつけることだ。— 弁護士椎名麻紗枝 (@6WnYVIXA0b2aknD) September 13, 2023
- いまも日本がアメリカの傀儡国家であること
- 日本政治が保守の皮を被ったリベラルであることの基礎を作った人
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