北京で冬のオリンピックが始まっておりますな。
開会式をライブで見なかっので探し当てたら「トーチのまんま?」というもので、あまりの斬新さに浸ることなく「あれ?、そーいえば平昌(ピョンチャン)オリンピックっていつだ?」と思い始めましてね。開会式の記憶が全く無いわけですよ。それが今開催の北京の後先すら記憶が…。
(完全にアルツハイマー)
(いや実は理由がありオリンピックなんて見てる余裕のない生活でしたな)
そこでアーカイブを見るとキム・ヨナ氏の演出を目にし「んー、マジでピョンチャンオリンピック見てないかも」と思いながら同時に耳でスキージャンプ団体のラジオを聞いてますと「高梨沙羅スーツ規定違反失格」とか言ってるわけですよ。
(なんだそれ)
と思って検索すると結構出てくる「あるある」ネタなんですね。スキー界隈では。
さすがにラジオのアナウンサーも歯切れが悪いよね。応援したいけど「10組中10位」なんて勝ち目がない。だけどラジオ故に妙に描写が細かい。
(失格ってキツいよね)
オリンピックという場のプレッシャー、団体というチームプレイのプレッシャー、競技人生が長いほど名が知られてるプレッシャー、所属会社に対するプレッシャー、スポンサーの期待に対するプレッシャーなどなど。
(ぶっちゃけ逃げたいと思うよね)
ニュースによると「泣き崩れた」とあるけど、私だったら茫然自失で気絶してるな。マジで。完全に昇天して白目むいて天を仰いでポカーンとしてるに違いない。いやホンマに。
(なんていうか「人生終了のお知らせ」みたいな瞬間だよ)
昨日はそのまま寝ちゃいましたが、今日のニュースで「4位」とか言うから「よいチームに恵まれたな」とか思いました。
高梨沙羅が1回目失格 ジャンプ日本、執念の団体4位https://t.co/pTIT65HNxk
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) February 7, 2022
このニュースを聞きながら思い出したのがソチオリンピックの浅田真央さん。木っ端微塵に散ったSPと完璧に演じた伝説のフリー。
両氏共にメダルを逃しても記憶に残る理由はひとえに「今日の自分に明日は勝つ」なんですよ。
オリンピックという逃げられない場が持つ強烈なプレッシャーで潰れることすら許されない状況においてなお前を向いて進む姿というのは「自分、ダメな人生送ってんなー」なんて叱咤激励されるわけです。
自分で自分を鼓舞しながら歩む。絶対に諦めない姿勢。
(今回はリアルにコロナウイルスのバブル方式で脱走でけんかったけど…)
一連の映像や写真を見せられますと色々と考えさせられます。
高梨さんもドベの10位が8位に食い込め最終的に4位で終える。浅田さんも言わずもがな。残る映像を何度見ても鳥肌で涙腺が緩む。こういう極限の重圧とか自分史上最大の生き恥とか、数えきれない挫折のお陰で「プロ」になれる。そういう忘れかけていた大事なものを思い出させてくれるのがオリンピックの良さかもしれんですな。
オリンピックという地球最大の商業イベントは今となっては政治忖度が透けて見える時代においてあえて価値を見いだすとすれば「メダリストではない選手の諦めない努力」と感じた日でした。
追記(2022.2.9)
なんでも本人がインスタに謝罪文のようなものを掲載したそうで、そういう空気を醸成する日本人独特のメンタリティを垣間見ますが、やはり想像を絶する重圧なんでしょうね。フィギュアもエースがSPでズッコケたらしく、それで団体の表彰式がやいのやいの言われてるそーですが…
しかしですな、25歳の若者が「みんなの人生が変わってしまった」と仲間の気持ちを察する優しさは敬服に値しますが、そんなことを深く気にする必要はないよね。
世の中には何百人という社員を一瞬で路頭に迷わす経営者もいるわけで、そーゆー経営者こそ反省して欲しいけど、実態は取引銀行経由で図々しく別会社の雇われしゃちょーとかやって生き延びてたりします。もうカス中のカス。
さりとてそーゆー経営者も人の子。世に永遠はないので会社も潰れて当然。クビになった社員も腐らず頑張って生きるのも大事なこと。それが社会。
いずれにせよ未だグランドデザインが見渡せない、競技に集中すべき25歳を矢面に立たせ続けてはダメでして、普通は監督や役員が前に出て一旦はビシッと決めるべきタイミングなんですが、この辺りのダメさ加減がなんとも日本的で困ったものです。
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