「墓じまい」終了の巻。永代供養もナシよ。

人口減少
この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク

巷では「墓じまい」というキーワードが賑やかなので「墓じまい」で検索すると「墓じまいのお墓を探す」みたいなわけのわからない文章に当たります。

(墓をやめたいのに墓アフィリエイターが作り込んだサイトに辿り着くアホなことをやっている国)

そもそも日本人のアイデンティティには「自然=神」としてきた歴史があり、長い時間をかけ土に還ることは受け入れやすい考え方ですが、にわかに「墓じまい」が本格化してきたことを受け最近では墓石の代わりに「樹木葬」まで登場。まぁ商売として是が非でも「墓」の概念を残さないと飯の種に困るとはいうものの...どーなんですかね。

事の経緯をまとめると

いつメモしたか忘れましたが、今年は両親の健康寿命に急ブレーキがかかり、当事者自身が準備していた終活ノート情報も陳腐化が見られたので大事なことをキーノート化。それを遠隔家族もデータ共有。その時に判明したのが「墓」です。

実はお墓を買ったのは10年以上前のことだそうで、その額約150万円。それは家系が続いた場合のことを想定してのことですが、バカ息子の私は結婚する気がなく、引き続き日本の生涯未婚率維持向上に貢献予定。私の兄弟は結婚していますが子ナシなので結論から言えば我が家系は全員が土に還って終わる確率が高い。

更に、我が親の言葉をそのまま書くと「終活ノートを書いたけど、恥ずかしいよーなことを書いとる。70代でも若かったみたいじゃなー。」とのこと。おそらく自身の武勇伝をオブラートに包んで感謝の言葉と共に綴られていることは想像できます。

 

誰も管理できない墓は要らない

少々寂しい話しではありますが、考えてもみればどの時代も引き取り手のいない遺体は発生していたわけで、戦争中は生きたまま敵艦に突っ込んで自爆テロで木っ端微塵という時代もあり、無名戦士として儚(墓な)く生涯を閉じた人も山ほどいらっしゃるので墓がないことでギャーギャーいうこともないのですが、仏教ビジネスから見ると檀家という顧客管理マーケティング崩壊危機なので、場所によっては「宗派を超えて、どなた様でも」みたいな無茶苦茶なお寺も出始めております。

この手の話になるとハロウィンとクリスマスと正月を謳歌する宗教概念の乏しい日本人は急にあたふたするわけですが、簡単に言えば自分の家系が眠る菩提寺の墓を更地にして檀家を止めるだけのことですが、docomoユーザーがauに乗り換えても「私の菩提寺はdocomoだから基本料金は払い続ける」みたいな意味フな質問がネットで散見。

お墓についてネットで情報をかき集めてあれこれ悩むぐらいだったらインドのバラナシに行ってガンジス川の側で絶えず焼かれ続ける遺体を眺め、焼き終わればガンジス川に水葬し、その側の水で沐浴するヒンドゥー教徒の姿を見た方が頭の中がスッキリすると思います。

 

多死社会でもお墓が減る理由は少子化

大きな社会変化がなければ墓守は代々続くことで、日本は死亡者数も右肩上がり時代に突入。2016年の自然減は33万786人、2017年は39万4373人、2018年は44万8千人。今年も記録更新予定。そうなれば墓がバンバン売れまくるはずですが現実は真逆。

(追記 ; 2019年は51万2千人、2020年は53万1816人。)

それにしても人間は目に見えるものに左右される動物ですな。

いざ「墓じまい」や「仏壇じまい」となると抜魂供養、魂抜き、お性根抜き、閉眼供養とか。仏壇を正しく処分しないと祟りが有る的思考の人が圧倒的だと思います。そこに魂が宿るというルールからの行動ではありますが冷静に考えると墓石や仏壇に魂が宿ることなんて1ミリも知らずに大人になって、人が死ぬ頃になって「そーいえばウチは浄土真宗だからそんなルール無いんだ」みたいなレベルですよね。

近代日本人は目に見えるカタチにしないと落ち着かない民族かもしれませんし、だからこそ言葉はどうであれお金が動いて寺が栄えた時代もあったわけですが、こういう儀式もいずれは消える運命だろうと思います。

 

墓を処分したら気持ちがスッキリした

結局墓を約150万で買ったものの、それを約14万使って処分。総額「164万円+電話代+切手代+生きている貴重な時間」をドブに捨てられるのが老人国家たるゆえん。それがタイトル写真。

その更地を別の方が買って、どなたか納骨されるかもしれませんが、164万あれば夫婦で2回ぐらいクルーズ旅行でもした方が生きてる時のよい思い出になると思います。

でもね、ほんとにスッキリですよ。

我が親がこんな感じのことを言っていました。

「終活ノートをメモる元気が残っていた70代は何かを残すことばかり考えていた。それだけ自分の終焉が身近ではないからこそ元気なうちに思いを残す作業をしているだけで何も整理していなかったことに気づいた。だけど80歳を過ぎて本当に人生の終焉を感じると何も残さないことが大事なことに気づいた」らしいです。悟りを開いたかのようなことを申しておりました。

(でも趣味は買うことと捨てること)

もちろんこれは口だけで、家の中は要らないものが山ほどあるセルフネグレクト状態。この辺りの世代は渇ききった世代なので無駄遣いが多いですよね。それを証拠に今もカタログショッピング会社が生存しています。

 

永代供養でも32年後(三十三回忌)は合祀なんだしね

墓じまいの一般的な流れは以下のパターンが多いかと思います。

  1. 墓を壊す
  2. 永代供養に切り替える
  3. 32年後(三十三回忌)に他人の遺骨と合わせる「合祀(ごうし)・合葬(ごうそう)」になる

宗派は関係ないといいつつ「三十三回忌」というのは仏教概念です。もはや同調圧力にも感じますが世に永遠なし。法事も同様。

私も供養(弔い上げ)セレモニーに対して何ら疑問を持たずに生きてきました。男はつらいよの映画でも墓参りシーンは定番。柴又帝釈天(日蓮宗題経寺)の坊さんとして笠智衆扮する御前様が「ばか、今日はお前のオヤジの命日だ」なんてセリフに違和感を覚えない昭和という時代。

結論は「全ては無に帰す」ということですかね。

いや、もちろんあれですよ、「死後の世界」とか「魂は永遠にナンチャラ」とか「輪廻ホニャララ」とか「人は死なない」とか全く否定しませんよ。そう思う方はそうすればよいこと。

 

ウチの遺骨はどーするのかって?

基本は粉骨して散骨ですが私が生きてる間は自宅保管でもいいかなーと思います。私が死んだあとは野となれ山となれ。よく「家に骨とか気持ち悪りぃ」とか言いますが、単なる骨ですしね。

ただ、物理的に邪魔ですよね。ある意味。

やっぱり親の遺骨は散骨が濃厚。自然に還るのがよいと思っています。

私が死んだ時?そんなもん知りませんよ。後の人が勝手にやってください。死人に口無し。てなことで墓じまいメモでした。ぼちぼち家じまいも考える必要がある今日この頃です。

share

コメント

トップへ戻る