タイトルを考える気力さえ湧かないニュースの数々

ひとりごと
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約1ヶ月辛抱して聴力が回復しつつあり少し気分的に晴れやか。難聴で自分の足音も拾えなくなると音がラップで包まれている感が嫌ですよね。憂さ晴らしにドライブしましたが、なんともやるせないニュースの連続に再び難聴になりそうですが、自戒の意味を込めて無題メモです。

 

ちょっと胸騒ぎを感じた2018年5-6月のニュース群

ここ2-3年ぐらいは意識してネットとの距離を置くことをしています。

時速300キロで走っているように感じる仮想通貨やブロックチェーンのことを知る日、車を駐車場に止めて文字通り野良仕事のような真似事をする日、100キロで海外旅行を楽しむ日、60キロぐらいで何も特別なことをせず仕事の合間にとりとめもなく考えて整理する日。そんな感じです。

そこで気になったのが最近のニュース。ちょっと自分のアンテナがあまりにも敏感に反応したので数日間新聞を購入。2-30代の若い方だと「ネットと距離を置くと寂しくて死んじゃう」感覚は理解できますが、実は距離を置くことで見えていない大切なものが見えることがあります。

 

自由に働き自己表現溢れる時代というフィルター

ちょいちょい触れる動画ネタですがそれ自体を仕事としていなくてもそういうサービスが日本に上陸する前から触れていると「使用前/使用後」みたいな目が養われるせいか色々な変化や違和感というある種気づきのような信号を受け止めることがあります。

  • 20代の若夫婦が日常生活を面白おかしく赤子と共に自己表現
  • 生産性の無い誰もやってないことを見せて驚かす人
  • ひたすらゲーセン、爆食などで消費し続ける人
  • 他人の権利があるであろう素材で作られるミステリーやモチベーション動画
  • 日々のニュースをネタに思っていることを言う人
  • 親子総出でなにかを表現している人たち
  • ひたすら深夜にゲームライブする人
  • 相談室のような体でフォロワーと会話を楽しむ人
  • バーチャルユーチューバーという透明人間的表現者
  • 子供による子供向けおもちゃ紹介 …etc

十人十色ですから書ききれないぐらい色々ありますが、これを一言で表層的に片付けると「好きなことで生きている」ということだと思います。そういうことをする人を仮に表現者とします。

今まで非常識であった視点で見ると、それこそ無かったことが進行中なので色々書けますが「今までの常識では見せない、見えない、隠されていた部分を表現者という言葉のフィルターを通して情報マネタイズし、世代に関係なく、良し悪しに関係なく見られること」がブームといったところでしょうか。

 

「今の時代は◯◯」という言葉の行間を考える

いつの時代もこの表現は使われ続けていると思いますが「何かが大きく変化している」から「今の時代は◯◯」と受け止めるのが私のアンテナです。しかもこの言葉は多くの人に浸透しつつあり常識となりつつあるからこそ使われるので間違った方向に舵を切っていたとしても同じ表現です。

つまり先の例でいうと「好きなこと」「自己表現」「動画」「見せる」といったことが当たり前になってしまったので「今の時代は◯◯」ですが、それが無かった時代から見ていると違和感を感じます。

これらに共通していることは「今この瞬間という時間共有」行為の非連続性。作る側は撮影編集を繰り返し、見る側はザッピングして登録新着動画を見る。これがメタップスさんのブログによると平均4分の動画が多いらしく、18-20時にアップされると書かれていました。

これを昭和世代の私に例えると「毎日が8時だョ!全員集合」です。何か用事を済ませながら横目でお気に入り動画を再生すれば1時間が過ぎ去るのはアッという間。腰を据えてしまうと2-3時間が消えます。

かつて「消費する世代」という言葉があり、行間は「モノを消費する世代」ですが今は「情報を消費する世代」となり消費量とスピードが止まらない状態でよほど自分をコントロールする意思がなければ人生に1度しかない時間が吹き飛びます。私が「車を停めて文字通り野良仕事のような真似事をする日」はそういうことかもしれません。

 

時間消費が増える時は思考がリラックスしている時

昔は1つの番組を全国民が見てゲラゲラ笑ってストレスを緩和し「翌日の学校での共通の話題だった」と記憶する人が多いと思います。中には今で言うところのフォロワーに似た視聴率が50%番組だと、それを見た1人が見ていない1人に伝えたら国民全員が知っているという時代。

しかしリラックスしているが故に思考停止して他のことが見えず、考えるための要素すら欠落します。別の言い方だと行間を読む必要がない時間です。

テレビが最強だった時代は提供されるメニューが少ないですから限られた中から選ぶしかありませんが、ネットは無尽蔵に動画がありますから連続再生すると死ぬまで見続けても終わらない量です。なかにはテレビ局でも廃棄しているであろうデータがアップされており、そんな視聴時間はあっという間に消えます。そういうコメント欄を見ると「何度見ても楽しい」と書かれていたりします。

もちろんネイティブほど処理能力が長けていると思いますが、処理過程の目には見えていない負荷や問題点はどこかに隠れているかもしれません。

 

そこで気になったのがニュース

テレビが無い状態でも爆音並みに感じるニュースは米朝問題、日大アメフト、モリカケでした。米朝問題はスポット的ですが、その他2つは異常な雑音で、日本にはニュースが2つしかないような雰囲気はネットだけで伝わってきます。

そんな中で気になったキーワードは…

5/29 ものづくり白書 : 経産省は製造データを利用したトレーサビリティーシステムなど「うそのつけない仕組み」をトップ主導で構築することを企業に求める
 
5/30 2025年頃までに約50万人の外国人労働者の受け入れへ
 
5/31 定年のない社会 最低でも70歳
 
5/31 衆院本会議で働き方改革関連法案が賛成多数で可決 (揶揄 : 定額働かせ放題)
 
6/1 2017年に生まれた赤ちゃん94万人
 
6/1 原発事故に伴う除染土を、園芸作物などを植える農地造成にも再利用する方針を決定
 
6/2 NHK番組ミッシングワーカー 103万人
 
6/2 就活解禁形骸化 42%が内定

 

個別に行間を読み、全体としてまとめると答えは書くに及ばず。

歴史とはいえこれらのニュース全てに関連性が見いだせる恐ろしさ。あえて未来に向けて1つ選ぶなら「働き方改革関連法案」は胸が締め付けられるような苦しさとでも申しましょうか…。

この発生原因の本質は色々と考えられますが、雰囲気に流されて行動してバブルを作った人たちだろうと思います。

 

考えることだけは止めることなく、洞察を繰り返す時間を持つ重要性

どのニュースも一様に暗いニュースですが、とどの詰まりが「お金」。そのお金を中心に動く社会構造自体が衰退し、縮小させながら高機能化を進め、情報社会が加速し、誰もが歳を重ねる時代。

大切なことは何かを考えさせられるわけですが…こうなってくると「考えない人は知らん」とドライに切って捨てることもよく理解できます。そんなことをしている暇はない非常事態の真っ最中。

これを無理やりまとめると「創費者としてのコンテンツを生む人」にならなければいけないが、事は単純ではないのでそれこそリーダーシップが問われる中のニュースとしては悲劇も喜劇も通り越し絶望かと。たったひとつの「ネット動画」というカテゴリーからでも未来は予見できると思います。厄介なのはパクリまくったコンテンツで時間を浪費しまくっているという状態。節操なく家族で配信しまくっている消費動画の行く末が心配でならないが、私ができることは見ないことだけ。

「ガイア、それは息づく大きな生命体。混沌の時代にも希望を見出し再生を果たして未来へ向かう。そこにきっと夜明けがやって来る。」が釣りじゃないかと思うぐらい言い得て妙。問題は最後の一節で「しかし夜が明けることはなかった。」かと。

久しぶりに「清濁併せ呑む」という言葉が突き刺さる今日この頃。

今、井上陽水の最後のニュースが流れている…

 

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