先日「子供YouTuberのアクセスが多い」というので見たのですがおもちゃレビューを寸劇仕立てでアップされていました。「なるほどなー」と思いつつ労働、商品、価格などの価値を理解していない年齢がモノだけ与えられて楽しんでいるのも如何なものか…とか思っている今日この頃です。
さてと…
2016年の10月ごろから映像の仕事量を極端に少なくしていました。年が明けてからは大らかにメモを残しておりますが、半年以上の準備期間を経て春からは軸足を地方に置いて再スタート。今まで取り組んでいた映像の仕事は一旦横に置き(というか、既に殆ど触っていませんが)全く別のことを考えています。
去年の3月頃「何か違うことをした方がよい気がする」と書き残しています。
たぶんどこかで書いていると思いますが映像編集もAI化が進んでおり、人間が編集した映像よりも人間が喜びそうな編集をAIで処理した方が、事実として人間が喜ぶ映像になるという編集技術も生まれています。
(探せばネットのどこかにあると思いますが、探し当てるのも大変な時代)
例えばYouTuberの動画は殆どワンパターンで自分をテンポよく見せたい編集なので無駄な間合いをカットして言葉を繋ぎ、それでも退屈しないようにテレビ的テロップ、スーパー、アタック音でごまかし、映っている方の人間性や話術が素晴らしいかは別の話し。他方AIは、AIという自己の立ち位置に関係なく他人を綺麗に魅せる編集に突入していますのでプロでもちょっと頭を悩ますぐらいに進化中です。
こうして毎日量産される動画データを見て、自分でも量産しておきながら「人が多ければ気にならないけど、人が少なかったらメディア露出が多過ぎてうるさいって思わないかな?」とか「地方だと見る必要もないのでは?」と妄想していました。ただこれも都会から見た妄想なので真実はわかりません。
有用な動画が目に留まらず、大食い、破壊、浪費動画が注目されている最中ですが、いずれ誰もが歳をとりそのようなことが無駄であったことに気づくこともあると思います。私は動画に限らずあらゆるネット広告をうるさく感じ始めました。
小さな画面にできるだけ色々な分野の情報を効率良く配置し便利だった記憶が残っています。今はページの中心に位置する情報以外は殆ど広告です。その中心の情報すら分断して広告が入ると見るのも面倒になるというものです。
(東京の渋谷と大阪の梅田でも情報量は大差)
人が多い場所は商売も熾烈。昔は知っていただくのが広告の意味でしたが、今は買っていただく広告になっているのでうるさく感じるのかもしれません。そういう仕事をしていた自分も有用性の低下を感じ、ビジネスに対して疑問が湧いてきた感じ。
そこで誘惑の少ない、中高生から見れば「田舎で、遊ぶところがなくて、つまらなくて、TDLやUSJに行きたい」と言いそうな場所に移動してビジネス再考。場所や展開は追々触れるとして、ささやかでも都市と地方の差をメモする「地方移住」という今までにはありえないカテゴリーを作りました。少なくとも3年前の自分は想像だにしていなかったカテゴリーです。
誰だったか忘れましたが「東京で消耗」といったことを書く気は更々ありません。書かなくてもみんな消耗してることは分かって楽しみも見つけながら暮らしてるわけですから。
いい歳した中年が1人で薄っすらとした目的は持ちつつも、家族がないことをプラスに捉え、同世代が結婚して持ち家があるご時世でどちらも持ってないことをいいことに、普通だったら引越すのも「めんどくせー」という年齢になりつつある中で昭和な世間体を無視して「余生・人生の時間の使い方実験」に突入です。
地方に軸足を移すというだけで、田舎暮らしではありません。ただ、都会と比べればまもなく都市ごと淘汰される時代ですから十数年もすれば結果として田舎暮らしになると思います。さりとて東京でも空き家や高齢化に悩むのは時間の問題ですから、どこに居ても安泰はないよね。
とにかくこのカテゴリーに関しては些細なことから大きなことまで残してみたいと思っています。差異が自分の肌で実感できれば、その差を埋めたり、残したり、繋げたりというストレッチ行為が生まれ、結果として面白い時間の使い方ができるような気がしています。
都会生活さようなら
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