すっかりご無沙汰しておりますが最近は老健(介護老人保健施設)と格闘しております。それについては追々メモしたいと思いますが、今日は震災から8年だったそうで、車を運転している時にラジオで気づきました。すっかり失念。
あの日は撮影の帰りで名神を走っていて米原か大津か忘れましたがSAに入ったら様子がおかしくて、あの時も車内のテレビで知ることとなりました。あの揺れは関西まで到達しましたから凄まじかったことは言うまでもないのですが大津波の映像に口があんぐりでした。
色々と印象に残る動画も多いですよね。
自分の家が流されるのを見ながらうなだれる人
津波に突っ込む海上保安庁の船
間一髪で助かる人
黒い津波
救助する自衛隊員の列
揺れる都内のビル群
液状化する埋め立て団地
原子炉が爆発する瞬間
どれも印象的なものばかり。中でも私にとって印象的だったのが下の動画です。原発で完全に孤立した南相馬市がYoutubeでSOS発信したわけですが物事を知らないとこんなことが起こるわけです。
サムネイルの右上に薄っすらと読めますが3月24日に撮影された動画です。それが26日に公開。いかに異常事態かわかりますよね。地震発生から半月後にSOS動画がネットから上がったわけです。つまりマスコミが及び腰で情報が出てこないわけです。おかしな話しですよね。
確かこの時ユーチューバーという言葉は無かったと思いますがこの動画を仕掛ける発想がありますからネット動画爆発前夜。それでもネット動画の技術が進んでいなければこの動画も公開できませんから震災が2-3年早いと災害規模把握にはずいぶん時間を要し被害が広がっていただろうと思います。ちょいと話が逸れますが、次に日本が大災害に見舞われた時ユーチューバーのアホ動画は瞬殺され今の常識は非常識へと変化します。
今は放射性物質や放射線が人体に対してその量が許容範囲であれば「だだちに影響が無い」という意味を把握して行動できますが当時はほぼ全国民が把握していないのに原発列島になってたんですね。暫くは計画停電といってピリピリした空気でしたが私は停電を未経験のまま計画終了。人口は暫く減り続けますから原発の需要も日本人としては減ると思いますがまだやってるわけです。
それにしても凄い国だと思います。探せばいくらでもリークな記事がゴロゴロしているのに無かったことにしているかのような感じ。事なかれ主義の極み。これが今はまだ生まれていない子が何人死んでも900トンのデブリが片付かない代物でも皆さんハッスルされております。どーなるんですかね。だいたい世の中の問題はお金と時間で解決するわけですが原発だけはどちらでも不可能。
考え方によっては既にオワコンですよね。日本が。それにとゞめを刺している最中。
普段どうしても生きるためにお金がある程度必要で、そのことに費やす時間が自ずと増えますが、たまに震災などの自然災害を思い出す時間を作ると人生で大事なことを思い出せます。やっぱり甲状腺癌とか増えちゃうんですかね。気になるところです。
平和というのは有難いことですね。
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