なんでテレビって見られない(敬遠されてる)んだ?

会議
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ご無沙汰しておりました。すっかり6月です。

5月は仕事の人間関係調整に走り回って終わってしまった。

感度のアンテナが低いとか高いという会話は楽しいのですが、アンテナは?という会話を詰めるのはとても難しい。ガタガタ言っても仕方ないので動くわけですが「上手く進むといいなぁ」と思う今日この頃です。

さてと…

本日はテレビの制作側の方と打合せ。とても有意義な頭の回転でした。

脳の半分は話しを聞きながら、半分は「なんでテレビって見られない(敬遠されてる)んだ?」ということを考えていました。私は「テレビっ子世代」ですが、最近プライベートでの接点は殆どなくなりました。

この謎に立ち向かうべくネット検索しまくったわけですが答えに辿り着きませんでした。「これは核心を突いてるなぁ」という幹の情報ゼロ。問題は主語が「テレビ」にあるからですが…。

他人の参考は止めて「自分はどうなのさ?」と考えていたのですが…

  1. 決まった時間にテレビの前に座る行為が有り得ない
  2. 知りたい欲求を満足させてくれない

他にも枝葉の要素はあるのですが、結果この2つに辿り着きました。つまりスレ違いのカップルのような展開。

最近仕事を密にしているWEBデザイナーもテレビを持ってないそうですが「画面の手前でディレクターがカンペを持って発言を誘導している姿まで想像できる番組ありますよね」とのこと。

(実に鋭い)

要は互いの目的が違う情報が行き交っているんだろうな、と。

(押し付けがましい愛の交錯)

一頃製造業ばかり撮影が続いた時期がありました。その時印象的だったのは「誰のために、何のためにモノを作るのか」という言葉。

今でもこの言葉が漠然と頭にこびりついて離れず仕事を進める時にチラチラと浮かんできます。これを無意識、無計画、無作為、不自然に結合を試みるとステマになるんだろうな、と。

 

最近打合せ場所に登場する社員猫。毛が抜ける時期だそうで…愛するペットに向ける愛情に似てるかな。どんなに猫なで声ですり寄られても、その真意たるや全く分からず。

こちら側も勝手に愛情を注いだという自己満足でしか自分を納得させられない。それは言葉が通じないからですが….同じ言語で話しても通じないということは在るんです。

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