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「墓じまい」終了の巻

今の日本で人が死ねば焼かれます。さてその次は?

ほとんどの方が「墓に入れる」で終了だと思いますが、巷では「墓じまい」というキーワードが賑やかなので「墓じまい」検索すると「墓じまいのお墓を探す」みたいなわけのわからない文章に当たります。墓をやめたいのに墓アフィリエイターが作り込んだサイトに辿り着くアホなことをやっている国です。

そもそも日本人のアイデンティティには「自然=神」と見てきた歴史があり、長い時間をかけ土に還ることは受け入れやすい考え方ですが、にわかに「墓じまい」が本格化してきたことを受け最近では墓石の代わりに「樹木葬」まで登場。まぁ商売として是が非でも「墓」の概念を残さないと飯の種に困るとはいうものの...どーなんですかね。

 

事の経緯をまとめると

いつメモしたか覚えていませんが、今年の我が親はいよいよ健康寿命にブレーキがかかりはじめ、当事者自身が準備していた終活ノート情報も陳腐化が見られたので大事なことをキーノート整理しました。それを遠隔家族もデータ共有。その時に判明したのが「墓」です。

実はお墓を買ったのは10年以上前のことだそうで、その額約150万円。それは家系が続いた場合のことを想定してのことですが、バカ息子である不良品の私は結婚する気がなく、よっぽど道を誤れば結婚もありえますが、基本生涯独身で進む予定です。私の兄弟は結婚していますが子どもはいないので結論から言えば我が家系は全員が土に還って終わる確率が高くなりました。

更に、我が親の言葉をそのまま書くと「終活ノートを書いたけど、恥ずかしいよーなことを書いとる。70代でも若かったみたいじゃなー。」とのこと。おそらく自身の武勇伝をオブラートに包んで感謝の言葉と共に綴られていることは想像できます。

 

誰も管理できない墓は要らない

少々寂しい話しではありますが、考えてもみればどの時代も引き取り手のいない遺体は発生していたわけで、戦争中は生きたまま敵艦に突っ込んで自爆テロで木っ端微塵という時代もあり、墓なく生涯を閉じた人も山ほどいらっしゃるので墓がないことでギャーギャーいうこともないのですが、一般的に仏教ビジネスから見ると檀家という顧客管理マーケティング崩壊の危機なので、場所によっては「宗派を超えて、どなた様でも」みたいな無茶苦茶なお寺も出始めております。

この手の話になると宗教概念の乏しい日本人は急にあたふたするわけですが、簡単に言えば自分の家系が眠る菩提寺に墓を持っていても家系が途切れて管理できないので墓を更地にして檀家を止めるだけのことですが、docomoユーザーがauに乗り換えても「私の菩提寺はdocomoだから基本料金は払い続ける」みたいな質問がネットで散見。

お墓についてネットで情報をかき集めてあれこれ悩むぐらいだったらインドのバラナシに行ってガンジス川の側で絶えず焼かれ続ける遺体を眺め、焼き終わればガンジス川に水葬し、その側の水で沐浴するヒンドゥー教徒の姿を見た方が頭の中がスッキリすると思います。

 

多死社会でもお墓が減る理由は少子化

大きな社会変化がなければ墓守は代々続くことで、日本は死亡者数も右肩上がり時代に突入。2016年は33万786人、2017年は39万4373人、2018年は44万8千人。今年も記録更新予定。そうなれば墓がバンバン売れまくるはずですが現実は真逆。

お墓は不動産とはちょっと違いますが「墓じまい」ならぬ「家じまい」も早く手を打たないと廃屋だらけの国まであと少しです。

それにしても人間(日本人?)は目に見えるものに左右される動物ですね。いざ「墓じまい」や「仏壇じまい」となると抜魂供養、魂抜き、お性根抜き、閉眼供養とか。そこに魂が宿るというルールからの行動ではありますが冷静に考えると墓石や仏壇に魂が宿ることなんて1ミリも知らずに大人になって、人が死ぬ頃になって「浄土真宗ってそんなの無いんだ」みたいなレベルですよね。

近代の日本人は目に見えるカタチにしないと落ち着かない民族かもしれませんし、だからこそ言葉はどうであれお金が動いて寺が栄えた時代もあったわけですが、こういう儀式もいずれは消える運命だろうと思います。

 

墓を売り飛ばしたらスッキリした

結局墓を整えるのに約150万使ったものの、それを約14万使ってドブに捨てたようなものです。総額164万円。それがタイトル写真。その更地を別の方が買って、どなたか納骨されるかもしれませんが、どうでしょうね。164万があれば夫婦で2回ぐらいクルーズ旅行でもした方が思い出に残ったかもしれません。

でもね、スッキリですよ。

我が親がこんな感じのことを言っていました。「終活ノートをメモる元気が残っていた70代は何かを残すことばかり考えていた。それだけ自分の終焉が身近ではないからこそ元気なうちに思いを残す作業。だけど本当に人生の終焉を感じると何も残さないことが大事なことに気づいた」らしいです。悟りを開いたかのようなことを申しておりました。

 

結局遺骨はどーするの?

基本は粉骨して散骨ですが私が生きてる間は自宅保管でもいいかなーと思います。私が死ねばあとは野となれ山となれ。よく「家に骨とか気持ち悪りぃ」とか言いますが、単なる骨ですしね。

ただ、物理的に邪魔ですよね。ある意味。

やっぱり散骨が濃厚ですね。自然に還るのがよいと思っています。私が死んだ時?そんなもん知りませんよ。後の人が勝手にやってください。死人に口無し。てなことで墓じまいメモでした。ぼちぼち家じまいも考える必要がある今日この頃です。

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