北海道、今が最高に素敵な時期ですよね。
昨日写真整理をしておりまして、出てきたのがオジサンが生まれる前の北海道地図でして、昔の地図はネットにもゴロゴロあるので気になる方はググってください。たぶん戦前の地図もネットで綺麗なものが見られます。超ザックリと1世紀前に北海道の国鉄(現JR)路線網は完成しているのですが、後日調べてたどり着いたのが下のサイトです。
全く笑えないお話しでございます。世界広しと言えど、ここまで鉄道を敷設して廃線にした国も珍しいと思います。創造的破壊というよりは単なる破壊。
ちょっとだけ話がそれますが…さすがにオジサン年齢でも鉄道旅を語れない年齢になりつつありますが、一応ガキの頃に寝台特急列車のブルートレインに乗りました。約半世紀前の話し。その後は銀河やカシオペアぐらいは乗っておりまして鉄旅の醍醐味を知っているつもりです。40代は寝台特急を語るにも背伸びが必要な世代だと思います。
もちろん以下に書くことは鉄道に関してど素人な内容です。
北海道へ一番よく出かけたのは20代。圧倒的仕事で。
その後も5-10年に一度のペースで上陸しており、鉄道も室蘭線、函館線、深名線(たぶんもう無いけど)ぐらいは乗っているのですが…先のサイトに書かれている未来予想図は高確率で当たると思います。つまり南の襟裳岬、北の稚内、東の納沙布岬や知床岬、いずれも鉄道では行けない場所になりそうです。そのことを考え始めて妄想が膨らみまして「電気、ガス、水道が止まっても生き延びるために…」とか妄想特急です。なんだか今という時代が凄いタイミングであることをひしひしと感じます。
この歳になっても当時のバスガイドさんの名前をフルネームで思い出せるぐらいプロの技に助けられましたが…昔も今も一緒のことをしているとすればバス前方のテレビの場所に地図を貼りまして行く先々を色鉛筆で塗り分けた手作りマップを見せながら観光地を説明してるんじゃないかと思います。そして空港へ送る道すがら旅を振り返るアレです。
人口減少を全国民が肌で感じるまであと少しなんでしょうね。
北海道の廃線がネット的にも話題になり始めたのは2010年ごろだったと記憶しているので改めて書くようなことでも無いのですが団塊Jr世代でも「え?そーなの?」みたいな感覚に襲われることを書きますと、北海道の鉄道網が最高に賑やかだった最後と言えば日本のロードムービー代表作のひとつ「幸せの黄色いハンカチ」に見る映像の時代です。中身はマツダのファミリアが活躍するロードムービーですが、今思えばあの頃から加速度的に路線縮小が始まっていたかと思うと「え?そーなの?」なわけです。そういうことに詳しい方のサイトなどを覗きますと、もはや戦後から一貫して衰退の一途のようにも感じます。
そういったモータリゼーションの大津波に飲み込まれながら徐々に廃線を繰り返したのですが、ここにきて利用者自体が消え去るという大問題に直面しております。大都市で生活してると北海道の僻地のローカル鉄道なんて人生に全く関係ない話しでして「今日のランチどーするー?」な日々ですが、国家や国土の視座で見ますと非常事態宣言級の衰退スピードだと思います。
今のオジサンはやんごとなき日々故に思いつきで行動出来なくなりましてね、おそらく高確率で廃線になるであろう地図を眺めながら「やっぱりしたいことは若い時にしないとダメだな」と後悔先に立たず。だってね、寿命が100歳とか言ってもね四半世紀後は廃路線ばかりで、列車で簡単に行けない場所が増えまくるわけですよ。つまり令和生まれの赤ちゃんが二十歳になった頃には無住地域が増えまくっておりその時点で北海道を列車旅した経験が希少価値です。今はかろうじてだどり着けるけど、ほんの少し先の日本では超難しい旅のカタチです。
地域で言えば釧路、根室、オホーツク(北見)、上川、宗谷辺りは今行かないでいつ行くの?ですよね。ザックリと北海道を菱形に見て右半分が壊滅してもおかしくない廃線の勢いに驚きます。なによりこれから廃線になる話しではなく既に廃線になった場所の多いこと。
これは…人生のどこかで時間を作ってでも行った方が良さげなアンテナ感度1000%です。
今まさにベストシーズンへ突入する北海道ですが、少々気候が悪い時期でも選り好みしていられない緊急事態的旅行ですね。
例えばね、同じ状況がアフリカで起こってもバス移動で済む話しですが、それは運行可能なローカル人口の恩恵を旅人が受けるだけでして、同じことは北海道(というか日本全国)では起こりません。バスの利用者は減りつつげます。なにせ人が消えますから。先ごろ夕張から知事へ昇格した若きリーダーは何を感じてますかね。かなりドラスティックな改革で強い痛みを伴いそうです。
調べすすめますと蝦夷地の歴史を感じますね。これだけ広大な大地を切り開いて鉄道敷設したにも関わらず、人間の営みの結果とは言うものの、造ったものを全て捨て、壊れ…戦前の勢いを見ますと樺太へ繋ぐ日本最後の中継地点として稚内も存在しておりましたがそれが無くなると廃れるばかりで「日本最北端に来たよ」というだけの場所に…。
上の古い資料などを眺めておりますと浪漫とノスタルジーですよ。稚内から大泊(おおとまり)へは九◯浬(八時間)、本斗(ほんと)へは七五浬(七時間)なんだそうです。その先には真岡なんて有名な地名も。この場所を日本最強の砕氷船で往来した時代があるわけです。更に左上の注意書きされた赤文字に驚きます。
上野驛午後一時發ノ急行列車二乗車スレバ
三日目ノ午後四時樺太大泊二上陸スル。
汽車汽船二要スル時間約四十七時間。
上野駅を午後13時に出発の急行列車に乗車すれば
三日目の午後16時に樺太の大泊に上陸できる。
汽車と船の総所要時間は47時間。
じっくり地図を眺めますと昔の北海道は船で一周できるぐらい連絡船が走っており、「そういう旅を試みた若者もいるだろぅなぁ」とか思うと感慨深いですね。おそらくは列車の大量輸送に負けて消え去ったと思いますが…北海道は1世紀前に観光立国しております。少し前のインドネシアみたいなな感じでしょうかね。
今ニセコが外国と化していることは知っておりますが、もともと位置的に可能な場所でして、「これを道東で展開していれば育て甲斐がある観光資源なのに」とか思いつつ地図を眺めてはあれこれ考えてGWが終わります。
日本国内の移動と宿泊ですから多めの予算が必要ですが可能であれば周遊タイプの旅を企んでみたいと思います。弾丸であれば1週間程度で片付けられそうですが、できれば2週間以上費やして…人が残っている場所、残るかもしれない場所、消える場所などを確かめながら海産物でも食べながら巡ってみたい衝動に駆られました。問題はとういう列車のチケットが無いのでレンタカー駆使でしょうね。
マジマジと地図を眺め、人口が数千人レベルの自治体が続出することを想像し、そこへ向かう公共交通機関がどこまでも減り続けることを考えるに人間中心思考を止めて、逆に陸路で人間が入れない場所だらけの超巨大な国立公園にしちゃうとか…色々と妄想が尽きません。おそらく国も手をこまねくどころか及び腰で手が出せないレベルですから道内ルールを決めた方が早そうです。経済やら国防やら自然やら…北海道も大変でございます。
オジサンも未だ見ぬ丹頂鶴とか…見ずに死ぬのはもったいないよね。ヨウツベupされてる鶴の一声動画とかJALの2代目ロゴマークとか、何かしらこっそり生活に入り込む北海道ですが、自分の肌で触れときたいと感じたGWでした。たぶんそのうちやらかすと思います。
てなことで「北海道は若いうちに行け」というメモでした。
それにしても美しい景色だこと。素晴らしい。
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