末期ガンの伯父さんを見舞い自分の余生を考える

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世間はお盆休み。久しぶりに山間部をロングドライブ中に親子で墓参りされている光景を目にしました。なんとなく盆休みを感じますが高速道路を利用したのに渋滞ゼロでやり過ごすことができました。おそらく「盆休み」という概念や行事はこれからの半世紀で大破するだろうと思います。

(人が減り、車が減り、墓が減り、墓参りが減る)

本日は私のリアル伯父さんを訪問。

それは人生を終える時が近づいており、自ずと親類が集い、各々が覚悟を決め、タイミングを見計らって逝く準備ですが、利用している病院の在り方も大変なようで、色々と考えさせられました。

タイトル写真の通りまもなく緩和ケアを考える必要があります。そのギリギリ手前の状態。

一応まだ正常値

その病院がある場所はかろうじて近所にJR駅が存在する場所で、古くは人が行き交う宿場町の活気があった場所。そんなセリフが似合う場所は日本のあちこちに残っていると思いますが今では閑古鳥の町で、地域の学校が閉校するのも時間の問題です。

真面目な話し、半世紀後に人は全て消えていると思います。そんな場所を車で走っていたら「開校から100周年」という垂れ幕を見ました。1世紀で世の中はガラリと変化します。それは病院の在り方も一緒。

伯父さんがお世話になっている病院は流行りの「地方独立行政法人」です。その歴史が気になって調べ倒しました。

そもそもの始まりは太平洋戦争で大本営が大嘘のニュースを流して戦意高揚を煽っていた頃、中山間部の小さな病院は10床からスタートし、高度経済成長と共に昭和末期には100床超えの拡張。

しかしその勢いはバブル崩壊と共に大破し平成10年頃から少しずつ病床調整が見られます。別の見方だと時代のニーズに合わせて変化してきたことですが、いずれにしても一般病床は少しずつ減り、現在は「地域包括ケア病棟」のみの病院。つまり一般病床が無い病院です。

ある意味高齢者だらけになり若者が居ない場所とも言えます。

でね、タイトルの写真です。

もうね、ステージ4の末期患者です。

意識はありますが覚悟を決めた会話です。既に絶食で口から栄養を摂ることが出来ない状態なので、さほど遠くないタイミングでより多くの鎮静薬が必要になると思います。今は生きているというよりも生かされている割合が多い状態。問題は末期患者が利用できる病院が近所に地域包括ケア病棟としてしか残っていないこと。つまり一般的には「2ヶ月いたら出ていけ」という病院です。

(リアルに超田舎の山間部に居を構えていると医療を受けるのも一苦労)

実はね、ひょんなことから昨年の春過ぎに伯父さんに会いました。

そのとき既に覚悟は出来ていたのですが自宅に戻り自分の足で歩いていました。肉付きもよく会話も弾みました。それが1年後の今はガリガリに痩せて逝くのを待つばかり。聞けば半年前には調子を崩し、なんとか夏まで持ちこたえたようですが、人間の体が1年でここまで変化するとはね。お腹と背中がくっつくぐらい痩せていました。

人生は儚いですね。世間では人生100年とか言ってますが頑張ってもせいぜい100年しか生きられません。たったの100年です。そのうち自分の意思で自在に行動できるのはほんの一瞬です。

(このモルヒネだって自分の意思ではない)

こういう薬を使う時は自分が判断できなくなっている時です。

人生時間を無駄にしてはいけないと痛感しました。

伯父さんに「痛みはどーよ」と尋ねると「もうボケてしもーて、もう何もわからんのよ」と。

名言ですよ。人生は実に面白い。何もわからない状態で生まれ、分かったような気になって楽しみ、何もわからない状態で死ぬ。こういう会話を聞くと、ネットで流行現象は全てカスみたいなことです。

それにしても生きている時、互いを認識し合える状態で会えてよかった。

痛みなく逝けますように。

人生は儚い。壊れるときは一瞬。 
8.11に伯父さんの体調が悪いことをメモしましたが8.21に亡くなりました。まぁ85歳ですし大往生でしょう。タバコは吸わなかったと記憶していますが酒は浴びるほど飲むタイプだったそうです。あまりにも悪態をつくので私の父親がなだめに行くほどの酒豪だったそうですが、そんなことが出来る時が人生のピークです。
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