分かち合う[SHARE]時代がやって来るらしい。

アクセスエコノミー
この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク

新幹線で移動中にイタリアからのハネムーナーと適当な会話をしておりました。

アメフト選手かと思うほどの体格の割にとても繊細な感性の持ち主で観光地ズレした場所は好きではないとのこと。10日間の日程で観光を楽しんでいるその内容を聞いてちょっと驚きです。イタリアからエミレーツで成田に入り、そこから東京、箱根、京都(美山)、大阪、広島と横断。新幹線チケットを駆使して移動し、最後は築地で(絶対に)新鮮な寿司を食べて帰る計画とのこと。

巷では爆買い(後)といった外国人頼みの消費話しで盛り上がっておりますが、そんな時代遅れネタの数歩先を行く行動力です。箱根と美山では旅館を選び、布団(文化)を堪能されたようですが、それ以外の評価は辛口。美山ですらturisticとバッサリでした。

色々な場所で寿司を食べたらしいのですか、その鮮度にも辛口。広島の平和記念資料館だけは絶対に足を運びたかったとのこと。ワルシャワゲットーの感覚で乗り込んだものの、全ての知識をへし折られて感慨深い…ある意味で満足だったと。このニュアンスは理解できます。寿司は「最後の築地に賭ける!」と言い放って東京へ。考えさせられる時間でした。

さてと…

先日は久しぶりに梅田のナレッジキャピタルで意見交換の場へ。いわゆるコワーキングスペースですが、一頃のような活気は失せていた気がしましたが、それでもきだ順番待ちの人気だそうです。このスペースもある意味シェアです。

ここ1ヶ月はシェアの事を考えていました。困ると行動に移るのはDNAか?

シェアはシスコ辺りでむくむくと生まれたようです。あの辺り、別段何かを生み出そうとという空気を感じる場所でもありませんが、生まれますね。社会インフラの中にシェアが紛れこみ始めてほんの数年、猛烈な勢いで世界的に増殖の一途です。とにかく「余剰(時間)を共有」というお題目で素晴らしい発想ですが、ここ最近のサービスを見るとWEB界隈のオチは低価格化と感じています。

そろそろ無理矢理感満載のシェアサービスも生まれるんでしょうね。荒っぽくいえば未届け老人介護のグループホームもテラスハウスやルームシェアの老後版。さりとて社会の隙間からこぼれ落ちる問題を解決するために一役買っているので一刀両断できる話しでもありません。赤の他人が潰れたホテルを改装した場所で老後を暮らす姿ですら胸が痛い。今年は他人のために何かをすべきタイミングが来た感じです。

このシェア、実に面白い流れです。

シェアの最低要素を考えていたのですが、しっくりくるキーワードが見当たりません。それは「価値観」であったり「お陰様」「互助」「コミュニティー化」「コミュニケーション化」「再分配」「コラボ」などなど、とても一言では片付けられない要素を含んでおります。川下(出口)はシェアだけれども川上(入口)は体験というものもあるようです。

普通預金の金利は振込手数料1回分を補うことも出来ない単なる金庫と化しました。一般にはサービス対価としてお金が回るはずですが、お金があるから対価をよこせというマネー経済袋小路のタイミングでシェア大活況です。総務省にも掲載されるほど生活に近づいてますね。

手っ取り早く「(WEB)スキル」「宿」「車」「バイク」「自転車」「空き地」「空きスペース」辺りは海外モデルをそっくりそのまま輸入展開。流行り言葉?でいえば Share 1.0 が落ち着いたところでしょう。これから和製カスタマイズが始まるところですよね、たぶん。まず日本語まとめサイトが出てきますよね。たぶん。

日本では民間でエイヤーな組織が船出したばかりだそうですが、韓国は国家として力の入れようが違いますね。眠っているスーツを就活中の若者へなんてサービス、アリですよね。家に眠っているモノの全てがシェアですよ。小学校で使った「お絵描きセット」や「お習字セット」なんて、この国に何万セットも眠っていることでしょう。この国は「お下がり」も要らなくなる時代。漢字の国の人とシェアですかね。シェアできるものはゴロゴロあります。

Share Hub

話がダダ逸れですが、もはや何でもシェアという言葉だけが一人歩きし、垣根が低いのが良いのやら悪いのやら。ファンディングも親戚のような位置です。最近お目にかかった未来食堂などは超ローカライズされていてワクワクさせられます。50分という労働分配を赤の他人に移す仕組みがユニークです。既に便利なことでは金にはならない時代です。でもね、これって昭和時代にはどの定食屋でもありましたよね。「お金がないので、皿洗いでもなんでもしますので、食事を…」みたいな会話。変化球シェアに感じたのは私だけかな…。

最近は妄想が過ぎまして…災害時に長蛇の列でバスを待つ横で走る車もシェアできちゃいます。予め都内各所にハブポイントを多数指定し、所有者と利用者の方向を噛み合わせれば、ゴールに近づけるかな、とか。車の動きなんてビッグデータで掴めるでしょうし。戸数の多いマンションなんて、そこに住んでいる人たちだけでクリーニングもシェアしちゃう?とか。もうなんでも出来ちゃいますよね。

個人的には、これから先10年程度で今から4-50年前の生活スタイルがしっくりくる時代に戻ると思っています。特に地方。時代はとくし丸ですよね。先の未来食堂も似ています。デジタルはプラットホームだけが残り、そこに集まった智(コンテンツ)の価値は限りなくゼロに向かう。最後まで使われるのは決済ぐらいかな?カオスなのは人の減り方とテクノロジーの変化スピードが異常なほど速いということ。異常なほど早いので、今までのように悠長に規制審議している時間はなく、結果1-2年で世の中がゴロッと変ってしまうんでしょう。人が増えている時は規律が求められますが、人が減り始めると自主自立が復活します。この意味が理解出来る高齢者はとても有利だと思うのです。

毎日アフタービフォーなことを考えております。


自宅前の様子

家の前の駅では客を待つタクシーが長蛇の列。地方に行けば買物に出かけるのも不便な高齢者だらけ。それほどまでに収入格差が生じるんだろうか?ここにUberが集う日も遠くないでしょうね。

share

コメント