先日「インディオの秘境 ペルー・アンデス登山と探検」という本を読んだ時に「竹田隊のペルー・アンデス遠征隊の副隊長としてアウサンガテ南峰の初登頂に活躍したベテランがペルー新報の編集長におさまっている」という文章が気になって購入した写真集が本日のメインディッシュ。
「インディオの秘境」の読書感想文は書いておりませんが、簡単にいうと関学山岳会が1度目の登山成功に味を占めて2度目もクスコの面々にお世話になったお話です。
話をもどし、写真集の著者はペルー新報の太田宏人という編集者。どんな方かを知りたくて検索すると、なんとも柔和な雰囲気のお方。
太田宏人さんのwiki解説は…
南米、特にペルーの日本人墓地や日系布教史の調査が専門。ペルーの日系紙「ペルー新報」元日本語編集長。國學院大學文学部神道学科卒。曹洞宗僧侶。東京都生まれ。
日系ペルー人、葬送、日本仏教、日本におけるペルー人に関する記事が多い。雑誌「怖い噂」、「SOGI」、週刊紙「仏教タイムス」、季刊雑誌「皇室」等に寄稿。
國學院ですか…そらー、柔和な表情になるわけですな。
しかしもっと驚いたのは、わたしと同世代なのに2018年に48歳でお亡くなりだそうで、こういうことを知ると自分の命も決して長くないことを悟るわけですが、それにしても短い人生です。何も調べずとも事故でない限り「癌だろーな」と予測できます。
40代後半が寿命というのは明治から大正期の話ですから、まさしくペルー移民がスタートしたころの平均寿命での他界。一度も会ったことはありませんが印象に残ってしまいました。
ネット上には動画こそ残ってないものの、写真や記事がゴロゴロ残っており、故人の人望が厚かったことを容易にうかがい知ることができます。
写真集ですから挙げるときりがないのですが、なかでも私の印象に残ったものをいくつかピックアップしてご紹介。
日本帝國海外旅券
静岡の宮原亀太郎さんの旅券です。呼び寄せ移民であることが分かりますが、たった1枚の紙切れを生涯大事に握りしめて波乱の人生を旅されたんでしょうかね。
故 石川タキ 之霊位
解説によると南米に最初にわたり、最初に死んだ日本人女性「石川多喜」の位牌です。元々旗本の娘で日赤の看護婦であったらしく45歳のとき佐倉丸で渡秘し50歳で力尽きたと書かれています。
カニエテの耕地で働く日本人婦人たち
この写真もよく目にしますが、出処はペルー新報でしたか。地獄の耕地カニエテです。
改めて綺麗な写真を眺めながら右側のたすき掛け姿の女性が気になりました。おそらくおんぶ紐で子どもを背負っての状況に見えます。この写真を見ながら私も小さいころ母親の背に背負われていたことを思い出しまた。昔の女性は赤子をおんぶしての仕事が普通でしたね。
これと似た構図がハワイ移民の写真にもあり、仕事内容も同じさとうきびの収穫。しかしペルーは瘴癘の大地。
話がそれますが、ハワイもペルーも頬被りの上に帽子というスタイル。帽子は暑さ対策ですが頬被りは日本人の知恵ですよね。私も最近手ぬぐいの使い勝手がよいことに気づきよく使っています。
ペルー下りの面々
私がペルーやポリビアに興味を持ったきっかけとも言える「ペルー下り」ですがこの写真を見て驚きました。解説によると「マドレ・デ・ディオス県のゴム林で働く日本人」とあります。
解説を鵜呑みにしてアンデス山脈を超えた後の生活だとするとちょっとおもしろいですよね。余裕すら感じます。
上の写真で手にしているのは猟銃でしょうね。それにしてもジャングル奥地、アマゾン川流域のど田舎でハンチング帽、蝶ネクタイ、サスペンダーとは小洒落てますな。
上の写真のようなカメラ目線ではなくあさっての方向へ顔を向けた構図で撮るというのは、予備知識に感化されていることが伺えます。
下の写真で左下の男性はアスコットタイのような、結び下げタイのような。これも時代と場所考えると珍しいでしょうね。今から100年前にアマゾン奥地で働いていた日本人移民の姿と思えばたくましさを感じますよね。
結婚式
人生で一番晴れやかなセレモニーのひとつですが、右の写真のインパクトたるや。花嫁の洋装ではなく背景の「布袋尊、天照皇大神、八紘一宇」。これが日本本土ではなくペルーの写真。
1994 年、クスコ県の山奥で出会った日系二世
確かに背景はクスコの建物。しかしこの御三方が日系2世と言われてもちょっと気付けない…。
フォトグラファー佐藤清
どの日系社会にも1人ぐらいこういう人がいて、日系人の歴史を残してくれています。すくなくとも100年前は自分(たち)の記録を他人が記録していたことが、今では自分で残す時代。
普通の写真集は眺めて終わりでが日本人の歴史の1ページですから解説が興味深くじっくりと読みました。中にはアメリカへ収容されていた時の写真もあります。おすすめの1冊です。
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今回情報を漁っていてたどり着いたのが「伝承」というサイト。
その中の「第二次世界大戦前のペルー人の生活」というコラムに載っていた写真に目を奪われました。探していた情報は1920年代ごろの日系人の普段着ですが、そこには見目麗しい端正な顔立ちの少女が登場。
いわゆる「最後の晩餐」の式典のひとこま。カトリックの聖体記念と思われます。右側にはパンと葡萄酒を手にするキリストが描かれております。この子はその後どんな人生を送ったのか。
確かにペルーに日本人の営みがあったことが写真からひしひしと伝わってきます。
「写真は、記憶である」
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