本日のありがたい一冊はタイトルどおりアンデス旅行。
過去に野内与吉のエントリーで日本映画「アンデスを超えて」が気になったことを書いております。どうやらロケ地にクスコが使われていた気がし、クスコといえばマチュピチュの玄関でもあり、気にはしたものの肝心の映画が見当たらず。
その後別の読書で「アンデスの花嫁」が気になったのですが、そのデータも見当たらず。どちらも「予告編ぐらい公開されててよくね?」と思ったまま何も解決せずケースクローズ。
しかし1960-77年ごろの布哇タイムスには時折「羽仁進、左幸子、額村喜美子」について記事が書かれています。ゴシップ系の話は横に置き、布哇タイムス1967.04.29号には今週の映画として東寶劇場での公開案内が載っていました。「異色の大作として好評」だと。
(それよりも「シチー・バンク」ADや「東寶劇場」の場所が気になる…)
本書は「アンデスの花嫁」ロケの思い出話が綴られているものでした。半年間の長期ロケだったらしいのですが本書には「ロケの半分はボリビア国で行われる」と書かれいます。
(絶対に映画のフイルムが残ってると思うんだけどねー…)
ここにも”日本”があった
いまでは「平成も遠くなりにけり」なタイミングで昭和を大昔に感じますが次の文章は私自身が生まれてないにもかかわらず、どこか懐かしさを感じるフレーズです。
こうしたホテルや山のレストランなどで、私たちはときどき日本を身近に感じてなつかしい思いをさせられることがあった。
たとえばラジオをひねると、聞きなれたCMソングのメロディーが流れてくる。歌詞はスペイン語になっているけれども、それは間違いなく「明るいナショナル……」というCMソングである。
レストランで、さっぱりおいしくないカツなどを出されて、うんざりして顔をあげると、壁に日本の女優さんのポスターがあったりした。
そういえば、ある町で薬屋に立ち寄ったら、その店には、顔なじみの女優さんの顔があった。彼女は肩にサロンパスをベタベタはりつけてにっこりと笑っている。
なんだかうれしくなって、それを見ていると、店の主人は、日本製のこのサロンパスがいかにきくか、を語り出した。そのおおぎょうな話しぶりに、私はもっと彼を驚かせてみたくなり、持っていたエアサロンパスを取り出して「これだとはらなくていいのよ」と、シュッと吹きかけてあげると、彼は全く驚いてしまい、日本はなんてすごい国だ、とゴキゲンでほめちぎるのであった。
この文章のあとに「石鹸」「味の素」「鞍馬天狗のスペイン語テレビ番組」などの話題が続き、さすがに「嵐寛寿郎の世代ではないが…」と思いつつも、頭の中では「明るいナショナル〜♪」が流れておりました。
ところで、その「明るいナショナル〜♪」が気になって調べていたら、当時の日系ラジオ放送について個人研究されている平岡さんのサイトにたどり着いたのですが、その中身の濃さにびっくり仰天です。南北アメリカ大陸日系ラジオ縦断調査。
大変な情報量が無料公開されておりますが…。
たしかに私が子どものころは「アマチュア無線」とは別に「パーソナル無線」というカテゴリーもあり、著者のマニアックなデータも理解できますが、それにしても膨大ですね。とてもおすすめの資料です。
チチカカ湖の原田ご夫妻
チチカカ湖の日本人という切り口が新鮮です。それもそのはず…
22か23歳のころ、ワンカイヨからジャングルを降りてゆく道にあるチンチャマイヨにいたとき、大コーヒー農場未亡人からラブレターをもらったそうです。当時言葉に不自由だった原田さんは別の日本人に頼んで手紙を読んでもらうと、中身は結婚申込のラブレター。今風に言えば逆玉!
個人的に気になることは、この時スペイン語が不自由だった原田さんを助けた日本人が誰か。その当時ペルーの僻地でスペイン語ができる日本人は希少な存在。
話を戻し、当時原田さんは熱烈なラブレターを受け取っても結婚など考えも及ばず「チンチャマイヨから出ていくほかない」と思ったそうです。ここで結婚していたらまた別の人生ですよね。縁とは不思議なものです。
そこでチンチャマイヨから出てアンダワイラス(Andahuaylas)へと向かったそうです。向かったとはいっても東京から名古屋へ行く距離。
そこへ到着したとき原田さんはマラリアを患い震える寒さでしたが生活はその日ぐらしの日々。道端に風呂敷を広げて行商を頑張ったそうです。商品を並べて寅さん状態。
そこで一人の少女が「レースのテーブルかけ」を欲したので「1ダース(12枚)で60ソレーロスだ」と説明したそうですが、実際はそう伝わっておらず1枚が60ソレーロスで買ってくれたそうです。そして、その子は別の友達を紹介してくれ、さらに売れたそうです。そして食事に招待され、その少女の家でペルー風のご馳走を食べ….。
でね、上の夫妻写真と共に文章が続くのですが…この写真の女性が若き日の少女かどうかは書かれていません。つまりオチなし文章。
ですがおそらくこの写真の女性がその時「レースのテーブルかけ」を買った少女ではないかと…。
砂金をもらった話「バザール・オームラ」
この話題は金採掘話の延長ですが唐突に始まります。
ペルーは戦争の時にアメリカに味方して日本と戦ったので、日本人や日系移住者は苦しい立場に追い込まれた。有力者とみられた人は、逮捕されてアメリカへ送られた。逮捕をおそれて山の中に逃げたり、店をとりあげられて商売のできなくなった人たちのなかには、砂金を集めながら戦争の終わるのを待っていた例がいくつかある。
インカ帝国の都だったクスコで、バザール・オームラという、町中の人が知っている店を出している大村さんも、その一人だった。
- 川が急に曲がっているようなところが一番よい
- 標高差のある場所の滝壺とその先
たったこれだけの情報ですがかなり重要なことを喋ってますよね。ダイヤモンドのような宝石も似た場所から採れたりします。急流や激流後の窪みをさらうとお宝が出てきますょ。
日本人移住地 サンファン
話はボリビアのサンファンへと移り映画撮影に参加された日系移民が紹介されていましたが、その中には以前に読んだ「ホリフエ・ヨシダ」についても詳しく書かれていました。そのことに触れる前に印象的なくだりを発見。
前回ご紹介した「出ニッポン」のおひとり。おそらくこの事実は私がガキのころであれば身近な話だと思いますが、いまでは忘れ去られた歴史です。
この方について著者の左さんは「とにかく福盛さんの生き方はちょっと無謀で、多分に山師的だった。いつも心に、さっとひらめくものがある人のようである」と、どっちともつかない表現でまとめてある辺りに「炭鉱夫、移民…」色々と思い巡らすのでした。
そして話は吉田さんへ。
捜しているのは、一人の人の署名なのだ。一人の人、それは、ヨシダという名前を持つボリビア人。そして彼は、吉田という日本人の息子なのだ。
ヨシダさんが国立銀行の責任者として、一枚々々に自分の署名をいわば一つの保証のように載せている一万ボリビアーノ紙幣。その評判は、アンデス山脈をはさんで、お隣のペルーの首都のリマでも、高いのだった。
本書ではホリフエ・ヨシダではなく、正確に「ホルヘ・ヨシダ」と紹介されています。
予想外に深く紹介されておりなかなか興味深い内容ですがすべてをご紹介しきれないのでエッセンスだけ書き出すと、かの1万ボリビアーノ紙幣署名のヨシダさんは5人兄弟ですがWWII開戦時にお父さんが3姉妹を連れて日本へ帰国したそうです。
ボリビアへ残った兄弟の長男がその人。結局吉田親子は戦争が原因で今生の別れとなりました。ここで「アンデスの花嫁」の台本が少し紹介されています。
ぜひ映画を見たいものです。そして著者は本人と会うことになります。これがその時の写真。
右から2人目がホルヘ・ヨシダその人。
本書で「ヨシダさんはホルヘというスペイン風の名前と正義という日本の名前の両方を持っている」といったことや、その人柄についても詳しく触れられています。
どこかにもっと情報がないものか?と捜していたら、たどり着いたのは在ボリビア日本国大使館のPDFデータでした。以下のように日系著名人のひとりとして紹介されていました。さすがに外見だけでは日本人DNAを感じる要素が小さく道ですれちがっても気づけないですよね。
ここには「1957年、銀行監督に任命された」とあります。本書では国立銀行副総裁と紹介されていました。どこかに名前が残ってないものかと探しまくってようやく見つけました。
たかが人ひとりの名前と情報を得るのにここまで苦労するか?といった感がありますが、ここまでくると1万ボリビアーノ札を入手したくなりますよね。
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映画を見たいと思っていたらロケ裏話の本に出会ってしまいました。
おそらくこの映画は移民助長プロパガンダも担っていたと推察しますが、ほんとに見てみたいんですよ。アンデスの映画。デジタルリマスターを期待しています。
さて、本書には先に紹介した「チチカカ湖半の町プーノの原田正(トーマス)」以外にも「リマから撮影隊に同行している日系三世のダンテ・新井」「日系二世のアンセルモ・福田」という名前も載っていました。世代が続いていればいま五世ぐらいでしょうかね。
下の動画はアルゼンチンの花嫁移民話ですが…
話の途中で「写真はないの?」という娘の質問に「写真はいっぱいある」という母親の返事が印象的です。今はスマホに大量保存できますが、当時は1枚の重みが違います。
こういう映像を見ますと、やはり人間は「生きようとする人は生き延び、生きようとしないものは消える」というのがよく分かります。戦争で旦那が死に、食うや食わずで移民し、移民先で嫁ぎ、そういう状況を「綱渡りの人生」と見てしまうわけですが、当時はそれが普通なんですね。
「生きるということは苦労するということなんだな」と思いながら読了。
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