8月6日に思う「核抑止論は人類の寝言」

ひとりごと
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久しぶりの更新です。みなさまいかがお過ごしでしょうか?今年もこの日がやってきました。

先ほど買物の道すがら「やっぱり8月6日は暑いな。風がムッとする。この日に爆弾かよ。クソったれが」とか思いながら汗だくで帰宅。

久しぶりに原爆資料館(広島平和記念資料館)へ行ってみた
原爆資料館へ行ったのは昨日今日ではなく昨年の9月ごろ。リニューアルしたことは知っていたのですが、こっち方面に用事がないと立ち寄る理由もなくのびのびでした。ちょっとした用事の合間をぬって突撃。

最近なぜか2020年のハチロク記事アクセスが増えていまして、アクセス解析を放ったらかしなので入口がどこか調べていませんが、なんにせよ戦争と平和の探究は大事なことだと思います。

(まぁ参考になるようなことは書いていませんが…)

 

さて、今年のハチロクは例年とは感情の異なる印象です。

その理由は(おそらく)サミットのせい。

今年は5月19日からの3日間、G7広島サミットが開催されました。

その前段階からいくつかの会合が開かれておりましたが、あのとき直感的に感じたことは「もしかしたら日本で(G7の)ホスト国が担えるのは広島が最後かもしれない」ことでした。

The Inconvenient Truth About U.S. Growth
WashingtonlovestheideathattheU.S.isNo.1.ButthatignoresChina'smeteoricrise,writesGrahamAllison.
How soon and at what height will China’s economy peak?
Estimatesvary,dependingonassumptionsaboutpopulation,productivityandprices

約15年前から言われていることが実現すると2025年頃を境にGDP1位は中国へ、アメリカは2位へ陥落する時代に到達しつつあります。

(今月はBRICs通貨発行年になりそうだし…)

いやいや、中国は大卒氷河期真っ最中で仕事がなく高齢化スタートで頭打ち。次はインドという声も。そんな各国の成長を横目に日本(円)は日々基軸通貨の価値を右肩下がりの人口と共に減らしています。

もし中国が1位にならなかったとしても、日本がひとり負けであることは間違いなく、過去30年実証済みで、今も実証継続中です。

それぐらい日本は危機的状況だと思いますが…

いまごろG7広島サミットを振り返る

G7後のマスコミや御用論客は「G7は大成功に終わった」「岸田さんは運がいい」「今選挙をやれば勝てる」という内容ばかりでした。おそらく、正しくは「政治的建前としては成功した」けれど「中身は大失敗」というのが日本人DNAのジャッジだと思います。

(詳しくはもう少し後で触れます)

私の感想ですが…

開催都市が広島だけあってあらゆる事象に「平和」の文字が踊りましたよね。

たとえば平和記念公園での献花ひとつとってもテレビは「(招待国)首脳が平和記念公園訪問、原爆慰霊碑に献花」といったテロップが視覚に入り、脳が勝手に「平和な行為」と錯覚していたように思います。

(ある意味「広島」の悪用)

しかしゼレンスキー大統領の登場で完全に魔法が解けます。

(解けない日本人が大多数だけどね)

ニュースとしては「速報」ですが、これほど「速報じゃなくて予定通りだろ」と感じるニュースも前例がないぐらい段取り通りに事が進んだ印象。

完璧な警備体制で広島入りし、次々と会談が進み、直接兵器、日本のような間接援助、戦争資金調達など会議内容を知るにつけ平和要素ゼロの来広であったことを思い知らされました。

あのG7映像を無意識にダラダラ見ていると、自然と西側プロパガンダが刷り込まれるはずです。

例えばウクライナが善でロシアが悪のような見方。

(その考え方はファクトに基づいているのか?)

マスコミ情報では常に優勢なウクライナがなぜいまだに勝てないのかは推して知るべし。

 

たしかに各国VIPが続々と原爆資料館を訪れることは歴史的にも異例で、日本の史上最大25,000人の警察官を動員しトラブルなく終えたことはよかったと思いますよ。

これも日本人なら「平和に終えて当然」の気持ちだと思います。

 

さて、同じタイミングで中国新聞は5月17日から3度ラッピング新聞を発行しました。

たしか2,000人から3,000人の報道陣が来広していましたから、それなりに意味があったと思います。そのひとつ19日発行のラッピング新聞が本日のタイトル写真です。

これが私にとってはかなり衝撃的な写真。

たぶん人生で何度か見ていると思いますが、じっくり眺めたのは初めてだと思います。

 

その写真の説明書きには「原爆投下の約1時間後、爆心地から約4キロの広島市宇品町から写した市内中心部(木村権一さん撮影)」と書かれております。サミット開催地の近く。

これが「きのこ雲」の裾の部分です。

人間が丸焼きになっている最中の写真です。

この状態でまともに呼吸ができるはずがありません。

皮膚は焼けただれ、ただれた皮膚をひきずりながら、髪の毛は爆発し、衣類が皮膚に焼き付き、ガラスが全身に突き刺さり、臓器や目玉が飛び出し、水をくださいと言いながら水辺へ向けて歩き、たどり着いた場で息絶えた、そういう惨状のど真ん中。

核だけじゃない 巨大な爆発がキノコ雲を生み出す仕組み
原爆の投下や核実験の映像を見ると、そこには巨大なキノコ雲が写っているでしょう。しかしこの雲は、何も核爆発だけが生み出すものではなく、火山の噴火のような大きな爆発の際にも発生することがあります。サイエンス・チャンネル「SciShow」が今回解説するのは、キノコ雲ができる仕組みと、発生から消失までの過程。レイリー・テイラー...

 

原爆の特質は「大量破壊、瞬間大量無差別殺りく、長期放射線障害」

ちょっと気になりアプリでカラー化。

下の写真は(おそらく)煙を雲と捉えた可能性がある変換で、且つおとなしい部類のAI再現。

戦争データを学習済AIだと煙が立ちのぼっている地面近くを赤色に変換し、それはそれで生々しい延焼現場を見ているようでもあり… (生々しすぎたので今回は不採用)

(カラーになった瞬間に地獄絵図と化します。歴史が現代に蘇る感覚)

まさしくきのこ雲の中心を捉えた1枚です。

鉄が溶けるさらに2倍、3倍の熱さ。

あまりの熱さに人間が溶けて炭化している現場の写真。

たった1発の原子爆弾で歴史的大和民族ジェノサイド。

 

2007年の新聞記事によると、この写真はマツダ宇品西工場の倉庫3階屋上の西端から撮られたそうで、左端は鈴が峰方面、右端は比治山方面、写真の右半分は概ね爆心地を指していることになります。地図を見ると方角が想像できます。

両端間の距離はざっくりと約8キロ。左奥の黒い部分が鈴が峰山の稜線だとすると、約6キロに渡って煙が立ち込めている状態が想像できます。

(息が出来ない!足裏から皮膚が溶ける!)

ご本人の証言によると「おおいかぶさった灰色のなかに、七カ所ぐらいのところから、火災が立っていた」そうです。「熱かっただろーなー」の一言に尽きます。

広島市の原爆被害の概要ページにも書かれています。

地面の温度は3,000~4,000度。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
人類史上初めて、広島に原子爆弾が投下されました。

 原子爆弾は、投下から43秒後、地上600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には半径200メートルを超える大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
 爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
 原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめたことにあります。

この26年後、この写真が撮られた場所の至近で生まれたのが私。

だから…距離感が把握できるだけに、なかなかの衝撃でした。

 

今日の平和が明日も続くとは限らない

タイトル写真の衝撃度合いはそこに生まれていなくても感じていただけると思いますが、実は5月17日と翌18日のラッピング写真が衝撃度合いを高めてくれました。

下の写真が17日の新聞。(商工会議所からの撮影ですかね?)

 

 

これが1945年8月6日、朝8時までの広島です。

大阪の街並みも「八百八橋」と言われますが、水辺(とか海辺)に面している場所というのは相対的に人間にとって心地よいもので、それだけで街並みに華やかさが増します。

原爆を忘れて眺めると、なかなかおもしろい街の形だと思いません?

(あちこち橋でつないで「三方よし」)

左側に写るは原爆ドーム、右側には相生橋。広島を知っている方だと「手前左にエディオン、右手前には郵便局、百貨店、バスセンター」を想像されると思います。

これが秒で吹き飛んだ衝撃たるや…

 

広島城から直線で約10キロ先の似島が目の前に見えたわけですから広島は文字通り全滅。

子どもの頃、似島へ運ばれて焼かれた死体について勉強しながらも、その桟橋で素潜りしてカニを捕まえ、持ち帰って食べたことが思い出されます。その時分「このカニも食物連鎖で原爆の死体を食べて生き延びたDNAかなぁ」とか思っていました。

(もちろん被爆から40年以上が過ぎた平和な似島の桟橋ですけどね)

「ヒロシマが全滅です」原爆の一報を伝えた女性が死去 あの日、14歳だった彼女が見たものは
14歳だった少女は5月19日、86歳で亡くなりました。

 

瞬殺被害7万人、その年の暮れまでに14万人、現在までに33万人が死没

さかのぼること5月12日、中国新聞は街並み復元図も見せてくれました。

これを銅板に復元した(ような)展示物が原爆資料館にも設置してあった(あいまいな)記憶があるのですが、詳しいことを思いだせません。

毎年8月6日になるとテレビに映るお馴染みの場所。私もこの場所を何度も歩いています。

上側は相生通り、赤い丸が爆心直下(島病院の辺り)、下側の色付きの長い道路が平和大通り。

南側の平和大通りは、私ぐらいの中年だとフラワーフェスティバルの印象が強いですが元々は疎開道路です。道幅が100mあるので「100m道路」とも言われます。

平和大通り - Wikipedia

私はこのあまりにも見通しのよい道路を見るたびに「原爆の時もこれぐらい遠くを見渡せたんだろうな」と思うんですよ。

「ただの道路」といえばそれまでですがwikiに見られるとおり、歴史ある道路です。

 

いつも相生橋南側ばかりに目が向きますが、半径1キロで捉えると北は広島城、南は広島市役所辺りまではフルボッコの状態です。今でいうところの県庁、市民病院、中央図書館、バスセンター、本通り商店街などはすべて更地。見渡す限り地平線状態。

改めて目をこらして拝見。

(なぜか男は地図が好き)

 

相生橋のたもとはいくつかの旅館が並んでおり、いまの様子と重ね合わせると確かに風光明媚な場所であったことが想像できます。

北側から相生旅館、相生橋食堂、さがの旅館、吉川旅館、福亀旅館とあり、南へ進むと多様なお店が書いてあります。活気があったことでしょう。

うどん屋、今中果物店、高橋写真館、西村歯科、山田歯科、中島国民学校分教場、第一生命広島者、キク薬局、三井生命広島支店、つるや履物店、恵南海産物、てるてる食堂、沖野洋裁店、唐川自転車商会、浜内金物店、越智小児科、天満屋、おうばん屋、うちわ松山商店、大江商店金銀細工、莫大小(メリヤス)、筒井時計店、長原精肉店、飯山八百屋、平野靴下商、渋谷ふとん店…

中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター
被爆地広島に本社を置く中国新聞の「原爆・平和」に関するニュースや連載記事を載せています。

昭和を感じさせる屋号や個人宅の文字をひとつひとつ眺めながら、これが一瞬で蒸発したことを思うと同時に、占領下を終えて日本という国がかろうじて存在し、沖縄が返還され…

しかし日米合同委員会だの、有償軍事援助FMSだの、挙げ句の果てに駐日大使が堂々と他国にLGBT法案で内政干渉するような国の姿。

それでもこの国を残したいと思うのか…

国なんてどーでもいいと思うのか…

国を復興した先達の思いはいずこ…

 

なんとか78年間は平和でしたが…いつまで続けられることやら…

 

ゼレンスキー来広に思う「戦争は止めるのが大変」

さて、G7サミット最終日にはウクライナのゼレンスキー大統領が(想定内の)来日。

ただね、問題は、わざわざ被爆都市に来て「もっと武器をよこせ」と言ったわけです。

あの時バイデン大統領はF16戦闘機」供与を決めました。

5/21朝日新聞記事。

バイデン氏は21日、ウクライナのゼレンスキー大統領と個別に会談。他国からウクライナへの米F16戦闘機の提供を認め、訓練を支援すると伝えた。バイデン氏は、F16をロシア国内の攻撃に使わないことの「確証を得た」とし、戦争の激化につながるとの見方を否定した。

「訓練を支援する」ということは飛行機と乗組員がセットのお話。

お気持ちは察するが、被爆地広島でウクライナ戦争の仲裁ではなく助長と加速を、広島に由来ある首相がセットアップした悲劇。

もちろん議長国として、政治的、外交的には大成功だと思いますが人間としてはクズ中のクズだとも思います。普通の感覚なら、少なくとも広島県民は怒って当然です。

日本人がそれだけ腑抜けになったということなんでしょうね。

 

いやいや、そうではなくて、日本人はどこまでも素直な国民なんだと改めて感じます。

「偉い人が広島に集まって色々な問題を話し合ってくれてるんだから、広島市民も協力しょーや」ぐらいの気持ちなんでしょうね。どこまでもお花畑星人。

 

そして、日本では報じられていませんでしたがCNNにはこんなことも…

Zelensky says he would like Japan and South Korea to send lethal weapons

From CNN’s Maria Kostenko and Allegra Goodwin

Ukrainian President Volodymyr Zelensky said he would like Japan and South Korea to provide lethal weapons to Ukraine but he understands “there are legislative and constitutional difficulties”.

He said regarding diplomatic pressure on Russia and certain formats of diplomatic resolution of the war in Ukraine “the key is respect for the UN Charter and international law”.  

“Russia has no chance for any diplomatic paths as long as its troops are on our territory in violation of our territorial integrity and sovereignty,” he told a news conference at the G7 summit in Japan.
“We all understand that no one will have anything to do with Russia as long as its troops are on the territory of Ukraine.”

Zelensky made the comments as part of a series of in-person appeals to fellow leaders gathered in Japan to remain united against Russian aggression.

ゼレンスキーさんは日本(と韓国)に対して「殺傷能力のある兵器をよこせ」と言いました。

表では核軍縮といながら裏では「もっと武器をよこせ」です。

 

日本(人)は異常なまでにウクライナ寄りですが世界市民はバランスの取れた発言も多く、日本人のメディア洗脳が徹底していることを思い知らされるG7でもありました。

もっと想像力を働かして情報を取りにいかないと洗脳されていることにも気づけないで一生を終えることになります。

 

世界市民全員が「ウクライナ頑張れ、ゼレンスキー頑張れ」ではないですよ。

ネットにはこんな言葉をよく見ますから。

Zelenski is quite the “President”. He dresses like he thinks he’s in the military and travels around the world bumming money and weapons from other countries besides Russia

訳 : ゼレンスキーは、かなりの「大統領」である。軍隊にいるような格好をして、ロシア以外の国からお金や武器をせしめて世界中を飛び回っている。

 

先日とある戦争体験インタビューを聞いていてハッとしたセリフがありました。それは戦争中は「敗戦という概念がない」という経験談。

そうなんですよ。まさしくこれが判断を鈍らせます。

負けると思って戦っていませんから、その概念が脳から消し去られて事態は悪化し泥沼へ。あとは資源と兵糧差。日本人だからこそ瞬時に理解できる感覚です。

 

広島が平和文化都市である理由を忘れてはならない

あまり話題になりませんが、いまも広島市内を掘り返せば遺骨だらけの街です。あちこちで遺体に油をかけ、焼いても焼いても追いつかないぐらい死体の山だらけ。

私が生まれた宇品のあたりは海が引き潮になったときに遺体は海へ流れ、満ち潮になったら遺体が戻ってくる惨状。想像したくないですが想像できますよね。遺体が戻ってくる様子。

黒焦げの死体もあれば、腐乱死体もあれば、数日後に息を引きとった遺体も。死体には黒いハエがたかり、全身にウジが湧き、口や鼻からうどんのような回虫がうじゃうじゃと飛び出し、年齢・性別不明。太田川の死体をウナギが食い散らかしていた話も聞いたことがあります。

町中に溢れかえる遺骨を顧みる余裕はなく、骨をシャベルやスコップで叩いて粉々にして適当な場所に捨て、その遺骨まじりの土で出来た街が広島です。

だから今も「遺骨が見つからない」という遺族の声を聞くわけです。

倒壊した建物の下敷きになり、3,000度の熱で焼かれ、黒焦げにもならず、一瞬で土に帰った人もいると思います。

 

その遺骨の上を毎日踏み歩いて生活しています。

各国首脳も同様に踏み歩いての献花。

 

1度の死者数という意味では東京大空襲の方が圧倒的残酷さですが広島や長崎が際立つ理由は遺構が残っているからだと思います。それだけ広島や長崎の被爆者が声を上げ続けてくれた結果による平和なんだと思います。

それだけ広島は経済だけではなく、平和を貴いものと見続けてきたわけです。

 

広島平和記念公園の周囲にいまも眠る遺骨、眠ることもできず秒で蒸発した人々。その場所で再び「もっと殺傷兵器をよこせ」という会話に何を思うか?

そして18日のラッピング写真がこちら。

 

 

G7最終日の現場でそんなことが起こっているのに広島市民は寝ぼけ、広島のジャーナリズムは崩壊し、市民は手をふって見送るという情けない3日間でした。

(まぁお見送りは礼節ですが…)

間違いなく実現しない、非現実的と分かっていてもプーチン大統領に「一緒に広島で話し合わんか?」と言うべきが日本のあるべき姿であり、来ないならゼレンスキー大統領も呼ばず、少なくとも両者同時着席を促し、仲裁役をとりもつ声明を出すぐらいのG7協調を取りつける。

それこそが「広島」の正しい使い方だと思いますよ。

(よりにもよって「殺傷能力のある兵器をよこせ」ってね…)

 

平和教育が必要なのは子どもではなく大人

他人を平和ボケ呼ばわりする前に原爆資料館へ行って自分の目で見ればよくわかる。

まもなく被曝者全員が鬼籍に入り、生きた声として平和が語られなくなり、気がつけば日本が再び戦争の波に飲まれたときに「そーか、あのとき理想論だの、平和ボケだの、非現実的だのと言われてもネバーギブアップで反核を言い続けてくれた被爆者のおかげで平和が続いてたのか」と気づいても時すでに遅し。

自分の目で見れば、被爆者の立場に心を寄り添えば、政治家が2枚舌どころか20枚舌ぐらいで事を進めてることは見抜けて当然ですから。

 

私の世代だと、テレビで「被爆者が抗議の座り込み」映像を見た人も多いと思います。

8月6日に限らず核実験の度に行われていた被爆者の方々による座り込み。

そのことを今この文字を見て「あぁ、そういえば事あるごとに座り込みのニュース、たしかに見たな」と思い出された方もいるでしょ?

どんなに暑い日でも座り込みをしてまで抗議するあの姿。

私も小さなころ「この人たち、なんでわざわざ暑い日に暑い場所に座って抗議?」と思っていましたが、自分が成長するにつれてようやく暑さの次元が違ったことを理解し、それを続けることで座り込みに意味を持たせた行為も見なくなると忘れる。

日本人は四半世紀を要すことなく数年で忘れる稀な民族。

 

まぁ、ウクライナのカラー革命から脈々と続く台本のシナリオライターがボスのG7でポチが戯言を言うのは至難ですが、6月、7月、8月…しばらくウ戦争は続く様相。

ゼレンスキーさん来広の事実が「ロシアの核使用抑止につながる。それが広島開催の意義」という見立ても理解はできますが、広島での打ち合わせ内容は絶賛戦争継続ですし、ロシアも本気になれば問答無用でしょうし、そんな都合の良い西側理論が通用するのか?と思ってみたり。

(だって下手したら世界戦争の火種でもあるわけだし…)

 

私も核抑止力論は理解しています。中立が成り立たない世界情勢というのも分かります。

ただね、被爆者の視点に立つとガチで成立しない話なんですね。

事実として広島や長崎でリトルボーイやファットマンを使われた被爆者からみれば「核を持つことは戦争抑止にならない。人間はあっさりと核のスイッチを押す」ということです。

だから広島や長崎の被爆者が年中「核は要らん」と言い続けてるわけです。

 

たまたま戦後78年間は使わなかったけど、少し先の未来からふり返り、「また使った」ということはあり得る話。「使ったら最期、人類が終わると知っているから保有国は使わない。使えない」論を語るのは戦争を知らない世代。

(今は戦争と戦争の中間に位置し、たまたま平和なだけ)

私たちはあと少し「万が一」の想像力を働かせる努力が必要でしょうね。

 

いま、もし自分の親や子が目の前で原爆で亡くなったとしましょう。手足がもぎ取れ、目が飛び出し、鼓膜が破れ、腸がソーセージのように外へ飛び出し、全身にガラス片が突き刺さり、顔はケロイドで人間と認識できず、皮膚が壊死し、ウジが沸き、歯茎から血が滴り、ボロ雑巾のように死んでゆく姿。

もしくはどこで消えたのかも分からない、跡形もなく、別れを惜しむこともできない親子。

それでも「核抑止力は機能する」「核を共有してでも持つべき」「持っていれば戦争は起こらない」「うちの子や親が死ぬのはしゃーない。核戦争やから」と肯定できるのであれば持って使って問題なし。

使った後で「やっぱアカンかったな」では遅い。

やはり被爆者が語りたくもないことを約80年にわたって語り続けてくれたことには意味があり、死んだあとに感謝しても死人は戻らない。

 

しかし正しい情報を知らなければ正しい判断ができないとも感じ、G7が終わったあとで思い巡らしたことは「あのときのG7広島がきっかけで脳裏に1ミリでも記憶が残り、少しでも広島の機微が働いて良心が呵責し、争いが1つでも減れば会議は成功なのかもな」なんて思っていました。

(NATO事務所を日本にとか要らん話かと…)

 

余談ですが中国新聞は敗戦翌年から現在まで原爆の日(8月6日)と翌7日の朝刊紙一面が無料公開されています。1945年から1952年はGHQによる日本国体絶賛解体期間ですが、そういった視点で紙面や広告を眺めると感慨深いものがあります。

中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター
被爆地広島に本社を置く中国新聞の「原爆・平和」に関するニュースや連載記事を載せています。

 

歴史は断片的な暗記学習ではなく横断的探究の生涯学習が大事

最後に、今回初めてじっくりと目を通した広島の第一回平和宣言をペタリ。

第一回平和宣言

本日、歴史的な原子爆弾投下二周年の記念日を迎え、われら広島市民は、いまこの広場に於て、厳粛に平和祭の式典をあげ、われら市民の熱烈なる平和愛好の信念を披瀝し、もって平和確立への決意を新たにしようと思う。

昭和二十年八月六日は、広島市民にとり、まことに忘れることのできない日であった。この朝、投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして壊滅に帰し、十数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。

しかしながら、これが戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く要因となったことは、不幸中の幸いであった。この意味に於て八月六日は、世界平和を招来せしめる機縁を作ったものとして、世界人類に記憶されなければならない。

われらがこの日を記念して無限の苦悩を抱きつつ厳粛な平和祭を執行しようとするのは、このためである。けだし、戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し、自覚する者のみが、苦悩の極致として、戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから… 。

又、この恐るべき兵器は、恒久平和の必然性と真実性とを確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。すなわち、これによって、原子力をもって争う世界戦争は、人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、世界の人々に明白に認識せしめたからである。

これこそ絶対平和の創造であり、新しい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない。われわれは、何か大事にあった場合、深い反省と熟慮を加えることによって、ここから新しい真理と道を発見し、新しい生活を営むことを知っている。

然りとすれば、今われわれが為すべきことは、全身全霊をあげて、平和への道を邁進し、以って新しい文明へのさきがけとなることでなければならない。

この地上より、戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して、真実の平和を確立しよう。

永遠に戦争を放棄して、世界平和の理想を地上に建設しよう。

ここに平和塔の下、われらかくの如く平和を宣言する。

昭和二十二年八月六日 広島平和祭協会会長  広島市長 浜井信三

これを読んで皆さんはなにを思われますかね?

わたしは「世界最初の原子爆弾…これが戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く要因となったことは、不幸中の幸いであった。」という文が気になります。

第一回平和宣言から敗戦国として反省文を読まされている印象です。

この歴史観はいまも続いており、たしかに「戦争の継続を断念させ」たかもしれませんが、それがすべてではないことも理解すべきだと思います。

この平和宣言に続いて、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥のメッセージが読みあげられた。

ニ年前、次第に高まりつつある暴虐の暗影が世界を覆っていた。

人々も民族も各大陸も、戦いの結着をつけようと、必死になってもがいていた。

その時、広島の上に今迄にない強力な武器が投下された。かくて戦争は、それが致命的であり破壊的である点に於て、そうしてまた戦争が人間の理性や論理や目的、理想などに対する挑戦である点に於て、新たな意味を持つことになった。

即ち、あの運命の日の諸々の苦悩は、凡ての民族の凡ての人々に対する警告として役立つ。それは、戦争の破壊性を助長する為に、自然力を使用することは益々進歩して、遂には人類を絶滅し、現代世界の物質的構造物を破壊するような手段が、手近に得られるまで発達するだろうという警告である。

これが広島の教訓である。この教訓が等閑にふされないよう、神よ、みそなわせたまえ。

一九四七年八月六日 連合軍最高司令長官 ダグラス・マッカーサー

それにしてもアメリカという国は酷いことをしてくれました。

核爆弾だろうが焼夷弾だろうが1度に数万人規模での民間人殺害をなんとも思わない、そういう国家なんですね。戦争とはそういうものなんですが、平和な時に振り返ると狂気です。

下のデータベースには見慣れた映像や写真も多々ですが、あまり見慣れない米国戦略爆撃調査団の写真などは興味深く拝見しました。

広島平和記念資料館平和データベース

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