アメリカではトランスジェンダーが話題というか、問題になっているのでは?と思います。しかも、かなり広範囲な州で。トランスジェンダーの乱暴な映像が続々と湧き続けており、それは異常で異様に見えます。やたらと目にする単語が「puberty blockers」「Hormone blocker」「hormone therapy」など。もちろん日本でも話題のトイレ問題はアメリカでも発生中。
完全にイデオロギーと化しております。簡単に言えば「新たな利権」ということですかね。
しかし看過できないのは堂々と子どもを巻き込んだ話へと醸成される雰囲気作り。
ざっくり言うとあらゆる面で大人になりきっていない、大人の階段のぼる〜♪、分別がむずかしい思春期に「性的マイノリティかも?もしかして無性?」みたいな問題に直面したとき、ある種日本人のようなお花畑脳で「じゃあ、ちょっとお医者さんに診てもらって…」という思考回路が働くアメリカ人も多いようで…
するとトランスジェンダーの医療センターで「じゃあホルモン注射を」となり…
それらのことに対して「その考え方を私は支持しない」という人がトランスジェンダーの方に噛みつかれてフルボッコにされている動画などをみますと…「アメリカよ、それでいいのか?」と言いたくなります。
だって殴り合う映像が世に出回ることがおかしいから。暴力許容にジェンダーは関係ない。
マイノリティだからといって暴力は許されない。
「心は女性だ」といっても「体は男」ですから暴力映像もガチなファイトでして、男の私が見ても「これ、まともな精神状態でこんなことしてんの?」と思う動画もチラホラ。もう女性スポーツ系はめちゃくちゃ。
生まれ持った骨盤が違いますから、特にスポーツでのトランスガールを含むチームプレーなどは各州かなり揉めている様子。こまでくるとジェンダー別競技にしないと全競技プロレス状態。
アメリカの学校教育カリキュラムとして性同一性、性別、生殖の授業参加が求められるが、それに不参加だからといって成績には影響しないとか、学校が定めたルールにそって生物学的女性として生まれた者のみが女子スポーツに参加できるとか、そういった補足をいちいち書くニュース記事というのも異常事態。
特にトランスジェンダーに関する制約的法案提出は全米で400件を越してるとかいいながらG7ではLGBTを推してるという、正反対のニュースが流れております。
首相は世界からやいのやいの言われておりますが…さて、この国の首相が売国奴かどうか、来月には判明します。当たり前。なんでもかんでも世界共通が正しいとは限らない。
つい先日トランプ元大統領も全米ライフル協会のスピーチで自分が復帰することがあれば「トランスジェンダーのホルモン治療とイデオロギーが極度のうつ病、攻撃性、暴力のリスクを高めるかを調査することをFDAに指示する」と語っていますが、たしかにそう感じざるを得ない現象を日本からも感じます。
2月には「イギリスでジェンダーが73種ある」という話に鼻血が出そうになりました。かなり昔にFBがジェンダーを60種類ぐらい用意していることが話題でしたが、それ以来の衝撃。
そういう分類まで言いだすと、おもわず「そもそも全員ちゃうわぃ。それが個性じゃ!どアホ!」とか思ったのですが、それっきり気に留めることもなく日は流れ、すでに記事が削除されていたので掘り起こして読み返したら、なかなか過激な内容に再び鼻血ブー。
ザ・テレグラフのタイムスタンプは「By Louisa Clarence-Smith, Education editor 」。
タイトルは「School suspends sex education after drag queen ‘told 11-year-olds there are 73 genders’ Isle of Man suspends sex education after performer leave youngsters ‘traumatised’ with ‘age-inappropriate material’」です。
細かいことは書きませんが、11才の子が学んだ内容は「オーラルセックス、アナルセックス、性転換手術、皮膚移植を人工ペニスに使用する方法」だそうです。
(そらートラウマになるよね)
類似例はアメリカの学校でも問題になっておりまして、小学生のオーラルセックス授業が画像流出しております。その授業は必要なのか?と。ポイントは「SEX(性別)」で捉えませんから、内容は同性で展開される話です。
えーっと、オツムは大丈夫?世界のみなさん。これを小学生に教える必要性は?ほかにもっと大事なことを教えておくべき年齢ではないですか?と。
いや、その、今日はそんなことをメモしたかったわけではないのですよ。
タイトル通りでして、1995年に公開された「A Little Princess」という映画の思い出を書こうと思っただけなんですが、この映画が始まって冒頭3分に達しない手前の有名なセリフ。
この言葉とトランスジェンダーがリンクしなかったのですよ。
だって人生の途中から急にお姫様になったり王子様になったり、そういった「自認」を法律化されても、その人がどのタイミングで変身するかなんて他人の私には分からない。
中年独身オヤジがジェンダーや性の話から子どもへ話題をふると、若干危険な空気を漂わすことを多少気にしながら若干補足しますと…
この動画が公開された時、私は25歳ぐらい。
人生で一番怖いもの知らずで生きられる年齢ですが、この映画を機内映画で楽しみました。どのフライトで見たかは覚えていませんが、間違いなく観ました。
ストーリーは女の子であれば読んだことがあるだろう「小公女セーラ」です。
この映画で流れる曲がずーっと脳裏に焼き付いて離れなかったんです。25歳の時に機内で聴いた曲が50を過ぎても気になって頭から離れない。それが下の曲です。
この曲がこの歳になっても思い出されます。みなさん、どんな印象ですか?
今はこうして簡単に曲を聴けますが、当時はデジタルで調べる術のない時代でしたから放ったらかしで月日は流れ、今年ふたたび脳裏に曲が戻ってきたので久しぶりに映画を見たわけです。
そしてたまたま冒頭の「トランスジェンダー」と「女の子はお姫様ですよ」という言葉を結び付けにくい風潮の時代を作っていいのだろうか?ということを考えていました。
だって、なんだかこの映画が発禁になるような空気なんですもの。
とても魅力的なストーリーですよ。未婚ジジイが書くのもアレですが、子どもには子どもとして過ごす時間、その権利があるわけで、色々と想像力を掻き立てるストーリー。だからこそ何度でも映画化されちゃう。
私は悪ガキでしたから小さな女の子の気持ちなどは到底想像できませんが、男としてこれを読んで「女の子は誰だってプリンセス」という表現はあってよいと思うんですね。
かわいいし、素直だし、素敵だし。
そして同じタイミングで童話「ちびくろサンボ」も脳裏に浮かびました。
私が小さい頃は普通に読めた本ですが、後に黒人差別を助長するといわれ発禁になりました。トラがぐるぐる回ってバターになる話。小さいころにこれを何度も読みましたが、だからといって黒人差別する脳にはなっていないと断言できます。
(ものごとが細分化される時、それは商業ベースの金儲けへ続く伏線ですよね)
日本ではそもそも「西郷隆盛や武田信玄がゲイだったかも」というのはよく知られた話で、だからといって村八分にはなっておらず、たぶん日本は世界最先端で寛容な素養がある国だと思います。
いまから500年ぐらい前の日本で「衆道」という男色があったことは事実で、どうみても世界最先端で多様性を許容してきた国が日本です。
トランスジェンダーの議論に関して2つ思うことがあります。
違う土俵の話ですが、日本では子どもの自殺が爆増しています。
去年1年間で自殺した小中学生や高校生は暫定値で512人となり、初めて500人を超えて過去最多になる見通しです。文部科学省は全国の教育委員会に対し、悩みや困難を抱える子どもたちにいち早く対応するよう通知しました。
厚生労働省が2月に発表した統計では、去年1年間で自殺した児童生徒の数は暫定値で512人となり、前の年の確定値を39人上回り、初めて500人を超えて過去最多となる見通しです。このうち、高校生が前の年より38人多い352人、中学生が5人少ない143人、小学生が6人多い17人でした。 – NHK NEWS WEB
子どもは声をあげても届かない、声をあげることなく自死しており、実態はもっと多いことが予想され、「社会(ルール)に合わせなさい、管理教育に合わせなさい」ということに息苦しさを感じる子がいることも事実。
それに対する寛容性、思いやり、対応は考えるに値すると思います。片付けるべき優先順位は自死が先だと思います。命の話ですから。LGBT法案は後回しでよいでしょう。
この国の大人はいつから命を大事にしない国になったのか?子どもが死にたいような国で大人がLGBTで騒ぐなどというのは愚の骨頂。
もうひとつ気になる点はホルモン治療や性転換手術。詳細は知りませんが、間違いないことは誰もが男か女のどちらかに生まれるはずで、それを否定すると生命学は破綻します。
いまの時代、性別はスペクトラムなんだそうです。
(なんだそれ)
すると当然自然界の生命体にもスペクトラムが有り得ると思いますが、それはどうやって見分けたらいいんですかね?人間以外の生物のLGBT。だれか教えてくれ。
人間だけにトランスジェンダーが通用すると言うのは傲慢でしょ。これも馬鹿げている。ライオンでも、ゾウでも、クジラでも、なんでもいいのですが、生命学もスペクトラムも人間が定義しているだけで、自然界にそれを意識して生きている人間以外の動物っているんですかね。
人工的であれば女性が子どもを授かれ、人工的であれば男性も出産できると言われています。
自然ではない、人工でそれらを望むことを否定しませんが、無為自然に考えると地球上の半分しか妊娠、出産、授乳ができないわけです。
(それが自然の摂理)
だとすると、幼いときのいきすぎたジェンダー教育は人工的に混乱を生むことになります。
人工的に人工的なことを教えるのか?人工的に自然の摂理を教えるのか?しかも、その教え手はどういう立場の人か?まさか活動家に任すなんて愚策はないと思いますが、ここにきてトランスカルトなる表現まで爆誕し、…なにをしたいのかよくわからない。
完全にイデオロギーと化しています。
「心の性別」なんて言いだすと、そもそも「心」が抽象的であり、さらには「私は男性9、女性1な感じ」「私は半々」「見た目は男だけど心は女なの」みたいなことを言いだすと定義は複雑化へ。その定義がないのに地域条例とか州法が先に決まる。それらが決まる前にホルモン注射が打たれている。
(なにもかもやったもん勝ちの様相)
混乱を招いて当然の流れかと思いますが、今このタイミングでザワザワとニュース化される理由はなんですかね。なによりおかしな状況は、当事者の方々が「べつにトイレの件で揉めてないよ」と情報発信しているのに、米駐日大使が「LGBT法案を通せ」と言ってるんですね。
当事者として悩んでいる人に対しては解決すべきですが、これを政争の具にして大事な議論がなおざりにされて…そんな余裕は日本にない。
この「多様性だからLGBT法案だ」が令和時代の日本でもしっくりこない理由ですが、おそらくそもそも論として法律よりも自律が優先した歴史にあるんだろうと思います。
自律は道徳教育で成立しますから、法律を議論する前に個々人が各々考えて行動すれば波風はたたないはずなんですね。それは当事者も同じ立場です。
いちいち欧米のように法律でかんじがらめにしなくても民度が機能する日本をアメリカのようなブッ壊れた国に合わせろと言う方がおかしな話です。
初めから「自律が機能しないアメリカでは法律が大事だ、ピストルがいる」というのは分かりますよ。日本は真逆ですから自律できないクズ思考と一緒にしてくれるなと言いたい。
そんなことはさておき、おおよそ30年ぶりに映画を見直しました。
自分では勝手に「映画の内容がよくて音楽も記憶に残っている」と思っていのですが、実際はさほど感動するでもなく…。
改めて観直すと、最後のハイライトは謎のインド人によるマジック(念力?)で問題が解決するという西洋のお話ではありがちな展開に「こんなんだったっけか?」と苦笑。
でも、やはりこの映画は「女の子はお姫様ですよ。だれでもみんなそうです」この言葉の強さに尽きます。それにしてもジェンダーが73種類だとこういったセリフもビビって使えないなんて社会にならなければよいが、とか思う1日でした。
ちなみに…
余談ですが…
この綺麗な、端正な顔立ちの女の子。「リーゼル・マシューズ」という芸名の子役ですが、本名は「リーゼル・プリツカー・シモンズ」という女の子。
ここで余談に気づいたあなたは相当鋭い感性!
そう、プリツカー家といえばハイアットリージェンシーホテルで知られる大富豪一家のおひとり。
リズはいまも子どもの頃の面影を感じる美しい方です。笑顔が素敵。
この名前は建築界のノーベル賞「プリツカー賞」でも有名な一族。
このプリツカー家には「世界初のトランスジェンダーのビリオネア」もいらっしゃいます。
プリツカーは生涯に渡って共和党支持者であり、ジョン・マケイン、ミット・ロムニーなどの共和党候補者や全米ライフル協会などの共和党寄りの団体に対し多額の寄付をしてきた。
しかし、ドナルド・トランプ大統領がトランスジェンダーのアメリカ軍への入隊禁止などの反LGBTQ政策を掲げたことを理由に共和党支持を見直すことを表明し、2019年には「(トランプ)大統領が2020年の選挙に6桁・7桁(ドル)の献金を私に求めてきましたが、『なぜ(トランスジェンダーである)自分の破滅の原因に対して貢献しなければならないのか』と思いました」と述べた。
2020年8月、プリツカーは民主党の大統領候補であるジョー・バイデンの陣営に2千ドルを献金した。
2020年10月、プリツカーはリンカーン・プロジェクトに10万ドルを寄付した。これは共和党のストラテジストたちが主導するプロジェクトであるが、その中にはトランプの再選を阻止するためにバイデンを支持している者もいた。
2020年の第3四半期、プリツカーはリバタリアン党へ2万5千ドル以上の寄付を行い、同党のチェアマンズ・サークルの一員として認められた。
こういうのを知りますとね、ジェンダーが政争の具に昇華していることがよくわかります。
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