実は105年以上の歴史を持つ「日本人ボリヴィア移住史」

ありがたい一冊
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五大陸どの地域も内陸部は経済発展が遅れる傾向ですが、ボリビアも御多分に洩れず貧しい国のひとつ。その程度の知識しか持っておりません。あとは「ウユニ塩湖」ぐらい。人生で疎遠な国ボリビアです。

本日はボリビア移民史の本ですが、改めてこの地域の本を探しても中身の濃い本と出会うことは皆無。それだけ他と比べられない移民事情を感じるのがボリビア。

この本は外務省と民間とによる「移住史編纂委員会」によって1970年に発行され、タイトルこそ本格的ですが中身の半分は座談会や対談です。私が生まれる前年に作られた本ですから令和から見て半世紀前の本ですが、その昭和45年時点をもってしても内容が薄いと言わざるを得ない構成。

そもそもボリビア移民は大きくは戦前戦後で分けて考えられるわけですが、戦前はいわゆるペルー下りの人が圧倒的。その情報を昭和40年代にかき集めてこれっぽっちの内容というのがね。

ぶっちゃけ戦前の初期移民の足取りはほとんど不明。

序文からよからぬ空気を感じます。

実際ボリヴィアに長く住んで身をもってボリヴィアの移住史の一部を体験した人はいずれも先約その他の事情から筆を執って頂けなかった。

戦前のボリビア移民史は当時のデータからの推測やが多く、そのデータとて文脈と関係ないが「唯一残っているので載せた」感ばかり。多少憶測も混ざっているように感じます。

これというのは「ペルー流れ」の過酷さもあるでしょうが、ボリビア国内の経済環境、教育レベル、物資不足など色々な要因で記録が残らなかったのだろうと思いたいところですが「筆を執って頂けなかった」という文字を見るに当事者の心情として「お断り」というのも薄ら感じます。

でも人生というのは面白いですな。

トマ・ピケティのそれじゃないですが、産まれた時からレールに乗った生き方をする人もいれば、あえてそこから外れる人もいれば、初めから地図のない旅を好む人も。

そしていつの時代も男をダメにする二大名物がボリビアでも登場します。

酒と博打。特に戦前移民で目にすることが多いのが博打。

まぁその当時の移民の大多数は独身男性ですから嫁というストッパー役がいなければ暴走するのも分かる気がしますが、現代の日本人感覚で「横浜のカジノ誘致」を聞いても今ひとつピンと来ないと申しましょうか、賭け事に対して距離を置くスタンスがフツー感覚で読み進めますと、100年前の移民日本人は「娯楽の無い日常で賭け事ぐらいが唯一盛り上がった社交とはいえ、人間としての基本スペックは一緒だし、当時の日本人もパチンコのそれと一緒でドーパミンが出たら止められなかったんだろーなー」なんて思いながら読み進めました。

てなことでいつもの如く「へー」と感じたネタバレメモ。

本の後半は資料としての対談が口語体文字起こしで載っています。たぶんテープを回しながら聞き取り調査したんでしょう。以前読んだ「アンデスを超えた日本人」の冒険ルートでもある「マドレ・デ・ディオス川」「タンボバタ」「マルドナド」なんて地名がバンバン飛び出します。

全てが実話というのがウソのようなホントの話。

今日はとんでもないひどいめにおうた、たずねたら、今日は朝の8時から虎におうた、手を上げてきたので、僕も手を上げたら、虎の手をつかんだ、虎は僕を倒そうとする、僕も虎を倒そうとする… 沖縄出身の赤嶺さん

ボリビアの山奥で虎退治する日本人って凄いよね。虎ですよ。てか、ボリビアに虎って存在してませんよね。基本的にアジア分布ですから南米で虎とか言われてもピンとこないのは当然で、たぶんピューマ、ジャガー、ヤマネコ辺りだと思いますが、どのタイプの虎も目の前にしたらムリ。

 

私らはペルーの第三航海よ。厳島丸って3,800トンの船だったけど、そりゃもうボロ船で、途中であっち直したりこっち直したりしながら来たわけよ。だからみんな「厳島丸」じゃなくて、「イツツクカ丸」って言ってたよ。…その会社は英国系の会社だったんだけど…日本の労働者はみんな怒っちゃって、支配人殺すって追いかけたよ。それで支配人逃げちゃって、終わりよ。 愛知出身の大崎さん

今風に言えば「海外で外資系企業に就職」です。このタイプのYouTuberも群雄割拠ですが、もし100年前にYouTubeがあったら日本人は世界オモシロ人種として話題になったような気も。

 

その河村さんというのは?
さよう。あの人と来たのです。あの人は、殺されちゃったんです。
ああ殺されたんですか。あの方。
滋賀出身の前田さん

殺された話を淡々と。そーゆー感覚に馴染めませんが、そうなんでしょうな。てか、この前田さんは明治16年8月6日生まれ。この時のハチロクに未だ原爆はなく、日本は平和です。

 

今まで会った方で一番お古いですが。それでペルーにいかれたわけですね。…それで祝原さんは、第一航海の人なんかにお会いになったことはありますか?ペルーで。
ありましたよ。 福岡出身の祝原さん

この聞き取りは貴重だと思いますが、内容が薄く、「何か覚えておることございますか、記録に残しておいた方がいいというような。」という質問に対し「あまりないね」という返事が記録されてるだけ。インタビュアーもっと食い下がれよ、とか思います。

 

大正7年の正月に出まして、チリについたのが大正8年の正月。まる1年でした。…いろんないきさつがありますが、ボリヴィアへ、チリよりもしらないボリヴィアにまたあこがれまして、そしてボリヴィアに入ってきたわけです。 京都出身の山本さん

この方は超イレギュラーなルートでチリからボリビアへたどり着いたお方。これもまた人生。

〜・〜

いろんな地域の移民本を読んでいますが「ペルー経由(ブラジルやボリビアの)ゴム農園行き」が一番興味深く感じます。大勢の討ち死にをもって日本の地名を冠する地域、日本人DNA子孫が山ほど存在したわけですが、今となっては全てがうやむやになって闇の中。

本書の後半に「リベルタ市長の推算による日本人の名を名乗り日本人の顔をした混血児は1960年代後半で2000名に上ると言われる」なんて書いてあります。そこから更に半世紀が過ぎ、今のリベルタを歩いてみたい衝動に駆られるのは私だけか…。

産んだものを育てることに目を向けていれば歴史は大きく変わっていたような気もします。

日本は令和になっても政治からコロナまでお得意の員数主義で、ヤバいとなったら臭いものにフタをして世間を煙に巻くわけですが、賢い大学を出ると脳ミソが合理的に解決できないことに対する疑問が湧かなくなるのかもしれんですな。

奥アマゾンの秘境に根を下ろした明治移住者「アンデスを越えた日本人」
この本は「奥アマゾン探検隊第一次隊(1973-76)」がペルーのアマゾン地域をスタートし、カヌーやボートで16,000キロを川下りした記録が2部構成で書かれており、前半は探検隊のアドベンチャーそのもの、後半は明治期移民によるアドベンチャーという内容です。

余談ですが日本も「原爆体験者が鬼籍に。語り部も3世へ」なんてニュースを見ただけではその重要性がピンとこないのですが、こういった南米移民資料に目を通すと「なんでもっと突っ込んで生の声を拾わなかったのかなー」なんて感じます。広い南米各国を歩き回ることに比べれば国内戦争体験者の声なんて最も回収しやすいように感じます。

少し特殊な資料本ですので「おすすめの本」とは言いませんが、ボリビア移民資料としては必ず辿り着きますし、座談会が収められたページはノンフィクションとしてあなたの記憶に残り続けると思いますが、これとて歴史の表層にほんの少し触れられる程度のことでしょうな。

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