2021年6月の雑感 : いよいよ東京2020らしいですな

テーマなき雑感の束
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久しぶりに雑感の山を積みたいと思います。

今月は人生初の酷い頭痛に悩まされました。これがまぁ痛いのなんのって、久しぶりに真っ昼間から横にならないと血管が切れそうなぐらい。というかもう切れてるんじゃないかと思います。3月ごろから血痰は止まらないし、過去に痛みを感じた場所とは違うので、これはよからぬ大病の前兆と認識しておりますが、特に打つ手はありません。

更新が止まったら「あ、死んだな」ぐらいのことですが、老いた両親を見送るまではなんとか体が持ち堪えてくれることを願うばかりです。実は最近は酒も殆ど飲んでおりません。美味しい酒が視界の範囲にあるのですがなかなか手が出ません。そういう気持ちになれない。


ワクチンとブースター(追加免疫)

私は人生で1度インフルエンザワクチンを打ちました。確か36歳の頃でタミフルだのリレンザだのと大騒ぎしていた後でしたが、それ以前は「薬が無かった」という意味で今のコロナ騒動に似ています。まぁ似ているといっても今は1万倍ぐらい大騒ぎしてる感じですが。

その後ラピアクタとかイナビルとか種類も増えて「打つ手なし」という状況は脱しましたが、だからといってインフルエンザにかからないかというと、遺伝子の形が毎年変化するのでその時期になると「今年の風邪は熱がひどい、咳がひどい、鼻水がひどい、ダブルでくる」といった会話を繰り返しております。

私も人生で1度患っただけですからある程度免疫力をキープした人生を送れていたことになりますが、これからはどうなるか分かりません。ジジイになってますから免疫力は下がる一方です。

今回のコロナ騒動は検査体制も薬(ワクチン)も整っておらず大騒ぎしたわけですが、これが整ってくれば現代で大騒ぎすることはなくいずれ落ち着くはずですが作ってる製薬会社がブースター接種が必要になると言えばインフルエンザ同様毎年のことですので「毎年mRNA注射すんのかよ」ということなんでしょうね。

日経新聞の昭和食品工業さんの全面意見広告が話題でしたが、まぁ「その気持ちはよく分かる」ですね。これだけ飲食系が叩かれるのもおかしいですよね。

 

事業継承壊滅、小売全滅

先日久しぶりに業者同士で昼飯を食べました。食べたと言ってもうどんをすすってコーヒーを飲んだだけです。そこらじゅうの店舗が自粛。酒の提供もなく「こりゃー第5波来たら飲食は終わりだな」といいながらランチ。余談ですがあのテーブル上の卓上パテーションって意味ないですよね。たかだか50cm四方でコロナが防げたら誰も苦労しない。人が動くたびにテーブルを消毒液で拭いてますが、その飛沫がうどんに入るのが気になるぐらい過剰反応。

そんなことはさておき、この国は高齢者が多いわけですがコロナ禍で対面販売が(ほぼ)ゼロになってしまい、その余波がパパママ商店に直撃し、売上が垂直落下。高齢者同士ビジネスだとネット販売が伸びることもなく...まぁ、そういう方々は預貯金もあるので慌てないのだろうと察しますが、それにしてもこの経済状況はひどいですな。

 

来年もコロナ禍は続き、気がつけばロボットと共存の時代へ

アメリカではデリバリーロボとの遭遇回数が確実に上がってるそうで、ある意味ちょっと近未来的。ラジコンのちょっと大きいやつが街中をウロウロしてるだけともいえますが、いずれ色んなロボが人間と同じ歩道を行き来していることを想像すると、ちょっと不思議な感覚。

日本なんて寿司が回ってくるぐらいですから飲食店内にメカ要素は相性が良いように思いますがどーなんですかね。こういった動画を見てますと人間の導線もさることながらロボットの動きも予測した店舗設計、道路設計が求められると同時に「お2階へどうぞ」なロボットも生まれるんでしょうね。例えばロボット想定外設計のスタジアムとか勝ち負けが出てくるでしょうね。

デリバリーロボはペッパー系と異なりこれから伸びる分野なんでしょうね。

余談ですけどね、上の動画にホームレスを避けて通るロボット。単純に「避けて走るんだ」というよりも「生身の人間に仕事がない」というのがなんともやるせないですな。

 

仮想通貨価格下落に思うこと

よく下がりました。今も。

でもね、悪い大人はジェットコースターなボラティリティに味をしめていずれ再び上がるタイミングが来ると思います。今回は「しまった、乗り遅れた」という超有名企業がこぞって法人ポートフォリオに組み込み、目下こっそり地味に押し目買いしてるんじゃないかと思います。

前回の祭りから今回まで3年の冷却期間でしたが、次は少なくとも3年より早く上昇し始めるんじゃないですかね。たぶん次は今年の数字を上書きするんだと思います。

最近勉強してるのはオタクコイン。

 

オタクコインのNFTで未来の世界を体験

ちらっとメモってる通り絶賛介護中年なので仮想通貨で遊んでいられないというのが正直なところですが直感的嗅覚でオタク(コイン)扇動に便乗。何に対しての嗅覚かというと、情報伝搬の多様化で、まさしく「オタク」な域のニッチ情報までもが世界の隅々に行き渡る時代の先駆け的テストに感じたから。

オタクコイン協会|note

そのテストというのがザックリ言うと「オタクコインでNFT体験」というもの。

情報も料理と一緒で切り方と魅せ方でどうにでも様変わりしますが、コロナ禍で情報をじっくり眺められる時間が増えたせいか旧態手法(各種SNS)に飽きたというか内容の薄さがバレたところに空前の(もう弾けたけど)BTC暴騰劇でも「火葬通貨よーわからん」というところに地味なれど面白い試み。

超ざっくり書くと...

1. オタクコイン公式アプリをインストール
2. コンテンツ動画を片っぱしから見る
3. 1000XOC貯める
4. 運営が1000XOCを1オタクコインのレプリカ(擬似NFT体験)に交換

というキャンペーンがありました(過去形)。1円も出費せずにメタマスク、OpenSea、 BonusQuest、nanakusa辺りのNFTと連携したオタクコイン売買やオークションに参加できました。

こういった一連のテストに参加したことで私の手元に1円も出費せずオタクコインが到着しています。今ではオタクコインをペイパルやクレカ決済したり、クリエイター支援NFTなど続々と新企画でブロックチェーンの面白さをテスト中。

正直オタクコイン(XOC)自体には何の興味もありません。だってアニメに興味ないから。

もう一度言うけど「アニメには全く興味ない」んだけど、オタクコインのオフィシャルウォレットやAnimeAnimeというアプリを触ってると自ずと視界にアニメが飛び込んできます。そこで「今のアニメクオリティってこーなんだ。これで奴隷のような給与で戦ってる若者もいるんだ。オタクコインの試みはアリだな」とか思うわけです。

NFTを見てると「所有の意味」を考えさせられますな。

 

東京2020について...これ、ホンマに盛り上がるんやろか

一部の著名人が「始まったら盛り上がる」と言ってますが、本当にそーですかね。お酒もokとか言ってたわけですが、それだとテレビ局は絶対に客席を映せないですよね。何が映るか分かんないから。そんな報道規制で国民が騙せると思ってたら、それはジジババだけのことです。

本日のタイトル写真は5年前の開会式ですが、この時スマホやPCモニターを眺めて思っていたことを今でも覚えています。それは「もうテレビは要らんな」ということ。

さて、ワクチンありきの五輪に対してNOの選手もいるわけで、命よりスポーツが大事な選手が集まって世界一とかいっても「欠場した○○選手がいたら結果は違った」みたいなカキコは目に見えてるわけで、ヨボヨボの親が「この国の政治家の民度の低さはいかがなものか」と言ってました。

仮にこれで「オリンピック、始まってみれば盛り上がる」な結果だとしたら「腐っても鯛」ならぬ「腐ってもテレビ」ということですが未来から振り返ると「日本はこの時が線香花火の最後の一雫だったね」という時期じゃないかと感じます。

ホント、経済ボロボロですから。

変異株、東京2020型が生まれませんよーに。

 

蘋果(ひんか)日報の最期

私の余生から「香港観光」の文字は消えました。ちろん中国本土も。かつてはずいぶんいろんな場所へ出没しましたが完全に様子が変わってしまった感。

これが中国共産党の手法なんですが、その国で暮らす人のアイデンティティがこんなレベルで良いのか疑問に感じると同時に、再び言論の自由の尊さや、それをもって統率を試みる人間の浅ましさを垣間見ています。

紙面には「再會」の文字でしたから「魂は死なず」といった感じでしょうか。

それこそ深夜特急にあったような重慶大厦の類を経由して世界へ旅立った若者は多く、今回のことを機に今後は経由地としても選択肢から外す人が増えるんじゃないかと思います。少なくとも私は。まぁ喉元過ぎればナントカで休戦協定中でもソウル観光してますから分かりませんが、日々自由が奪われる感覚というのは開戦前の静かなる有事にも見えます。

資産凍結されて身動きが取れないという内容に資本主義の限界も見ました。「そーか、資本主義は口座凍結で一撃なのか。戦争なんてする必要ないな」と。しかし逆に「これだけ最終便が売れても資産凍結されてたら、その売上はお上の懐に入るだけで誰得なのさ。誰かマルチシグな仮想通貨口座を作って、世界からそこへ入金すれば再會は可能だろーに」なんて妄想していました。

香港の人々が今なにを感じているのか分かりませんが、ツイートを断片的に見る限り「CCPのテロ」という認識も多く感じました。かつてインド独立の父が「たとえ1人でも全世界に立ち向かえ」という言葉を残しましたが、これを当事者が対峙するのは至難。それを側で見て言葉の重みをかみしめております。

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