笠戸丸から見た日本 – したたかに生きた船の物語

ありがたい一冊
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今日はちょっとマニアックな本のメモ。簡単に言えば船の職務経歴書。

私のことをよくご存知の方でもお付き合いした時期によって印象が異なると同じことですが、現代の船事情だと、たとえば「あの船、元はカーフェリーが客船になってるらしいよ」ぐらいの知識で事足りるかと思いきや、100年前の話になると…この笠戸丸の職務経歴書は凄まじいです。

395ページに及ぶ本になるほどの職務経歴書です。

(ホントに。マジです。)

笠戸丸(かさとまる)といえば…

とりあえず「ブラジル移民船」というイメージのみでした。一般的にはこれが全情報というぐらい有名な話ですが、実際はというと…

  1. 1900年、イギリスで貨客船「ポトシ」として誕生
  2. ロシア軍に売却され「カザン」に改名
  3. 日露戦争で日本海軍が入手し「笠戸丸」に改名
  4. 東洋汽船がレンタルし「ブラジルへの第1回契約移民を乗せた笠戸丸」として知られる
  5. 大阪商船がレンタルし台湾航路へ投入
  6. 大阪商船が再び南米航路へ投入
  7. 再び日本海軍に戻り海軍病院船へ
  8. 大阪商船が購入しインド航路へ投入
  9. 鹽崎與吉に売却されイワシ工船へ
  10. 東洋興行に売却されミール工船へ
  11. 日本水産で蟹工船も経験
  12. 太平洋戦争で貨物船として従事
  13. 1945年、ウトカ港で沈没

45歳で役目を終えたわけですが戦争をはさむと、たかが船の話でも歴史が壮絶。

移民ネタでは必ず登場する移民船「笠戸丸」ですが、実際はここまで使い倒されたわけで「船冥利に尽きる」というわけのわからない言葉を思い浮かべてみたり。

国立国会図書館デジタルコレクション

 

(貨)客船って独特の空気を醸し出すよね

やはりブラジル移民にとってこの船は「ブラジル移民を乗せて最初に到着した船」としてダントツにシンボリックなんだそうですが、この船に限らず客船が醸し出す独特の空気は利用者に特別な印象を与えますよね。なんなんですかね、あれって。

コラム「笠戸丸」 | ブラジル移民の100年

飛行機の旅とはまったく異なる、一種独特な空気。

かくいう私は客船に乗ったことはあっても貨客船は(たぶん)未経験。以前チチャレンガ号について調べたときも不思議な感覚を覚えました。

やはり昔は海の男がモテた時代があったんですな。

まぁ私が社会に出た頃は「スチュワーデス物語」というテレビドラマが流行り、機上の仕事が花形のお仕事でしたが今はLCC台頭でパートタイムCAも普通。その実情を暴く動画もネットに山ほど散乱しています。中東の航空会社だと安泰なのかもしれませんが、いずれにしても時代と共に花形も変わり、栄華はいつまでも続かない。せいぜい半世紀。

コロナ禍で常識が変化し、海と空の次は…やっぱ宇宙ですかね。

1908年(明治41)6月18日に781名の日本人がサントス港で下船して今で113年が経過しておりますが、今やその末裔が200万人になっていることを考えると、まさに道を切り開いた船ですから象徴的というのも分かる気がします。

 

この本でも触れられている「ペルー下り日本移民」

にわか仕込みですがこのキーワードに触れるのもこれで3冊目。さすがに高揚感はないですが、そうはいっても何度見ても刺激的な移動ルート。このデータ出所が「明治海外ニッポン人」らしく、そのうち入手して読みたいと思います。

いまクスコへ向かう観光列車に乗る日本人のほとんどが知らない事実でしょうね。

まさか1世紀前に日本人が何人もティラパタで途中下車し、とぼとぼと歩いてアンデス山脈を越えてアマゾン奥地へ向かったなんて想像できない。やはりこのルートは気になります。

日本人海外発展史厳書 - 明治海外ニッポン人
いやぁ...凄い本と出会ってしまった。かなりヤバい。介護が落ち着いて自分の体が元気だったら行きたい地域「南米」について知りたくていろいろな本を読み漁っており、パラグアイ、奥アマゾン、コロンビア、キューバ、アルゼンチン、笠戸丸、ぶらじる丸と制覇したのですが、それらのどの本よりも衝撃的...

 

ブラジル移民の栄枯盛衰 (余談 : 移民少年だったアントニオ猪木氏)

明治時代の日本は乱暴な言い方をするとまともな仕事は一切なく、それと比較してヨーロッパの列強支配下にあった南米は仕事の概念も進んでおり、こぞって別の大陸から奴隷や移民を移動させて商売してたわけですが、今回日系ブラジル人に関する資料を読み漁っていると、日系コロニーとしては南米最大な国だけあって資料が豊富。

1代で財を築いた資料を目にして「すげーな」と思って企業名を検索すると数年後の資料に「破産」の文字。皆様ワイルドな人生だこと。

《ブラジル》アントニオ猪木「元気があれば何でもできる!」=(上)=少年移民の夢はプロレスラー=力道山と運命の出会い – ブラジル知るならニッケイ新聞WEB
「元気ですか! 元気があれば、何でもできる。元気があれば、ブラジルにも来れる!」――。お馴染みのテーマ曲「炎のファイター」に合わせて手拍子が高鳴るなか、颯爽と入場したアントニオ猪木氏(74、神奈川)。...

余談ですが私が勝手に親近感をもってみる日系移民といえばアントニオ猪木さん。

時代としてはおそらく2代目サントス丸でのブラジル移民。ご存知力道山に拾われたことで移民生活は約3年程度と記憶しておりますが、猪木寛至さんも私の親と近い年齢ですので残る人生は短いわけです。

団塊ジュニアの私はまったくプロレスに興味を持ちませんでしたが、誰だって名前ぐらいは知ってる有名人。今の若い方はアントニオ猪木が何者かご存知ないと思いますが、改めて足跡を知ると、その時代、生き様、人柄、優しさ、強さなど学ぶ点は多く、今は正に死に様を見せつけている最中です。

この方の座右の銘「道」はプロレスファンとして見るよりも移民2世として見た方がしっくりきます。波乱に満ちた生涯であることがよくわかります。かの有名な引退スピーチ。

私は今、感動と感激、そして素晴らしい空間の中に立っています。心の奥底から湧き上がる皆様に対する感謝と熱い思いを止めることができません。カウントダウンが始まってからかなりの時間が経ちました。いよいよ今日が、このガウンの姿が最後となります。思えば、右も左もわからない一人の青年が力道山の手によってブラジルから連れ戻されました。それから38年の月日が流れてしまいました。最初にこのリングに立った時は興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが、今日はこのような大勢の皆様の前で最後の挨拶ができるということは本当に熱い思いで言葉になりません。

私は、色紙にいつの日か「闘魂」と文字を書くようになりました。それを称して、ある人が「燃える闘魂」と名付けてくれました。「闘魂」とは「己に打ち克つこと」。そして、「戦いを通じて己の魂を磨いていくこと」だと思います。最後に、私から皆様にメッセージを送りたいと思います。

人は歩みを止めた時に、そして、挑戦を諦めた時に、年老いていく」のだと思います。「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ!行けば、分かるさ!」ありがとうー!!

プロレスラーが戦いを通じて己の魂を磨いていくと言えば文字通りの戦いを想像しますが、これを青年時代に移民船に乗って南米に行き、朝から晩まで奴隷のように働かされた時代を経験した人の言葉として見ると行間を読む必要がありますな。

この方の仕事がプロレスという一般的には馴染まない、いわば殴り合いのケンカをする大人にも関わらず惹かれる人が多い理由は短期間であっても多感な時期の移民経験によるところが大きいと感じます。「魂を磨く」なんて表現は並の体験で生まれない。

(経験に勝るものなし!)

今「最後の闘魂」というYouTubeチャンネルを開設されており、日ごとに痩せゆく姿に哀しさを覚えますが、死ぬその日まで「己に打ち克つ」、まさに「燃える闘魂」のお方。

とまぁ、ちょっと持ち上げたメモですがプロレスもショービジネス。真剣にやりあっていたら命がいくつあっても足りません。八百長演出暴露本は山ほどあるのでご興味あれば読まれるのも一考ですが、別の表現だと(セルフ)プロデュース力に長けた人とも言えそうです。

 

余談ついでに面白かったポイントあれこれ

すっかり横道にそれた猪木さんの話は横に置き記憶に残った余談。

余談だが、英語でブロードキャストという言葉を「放送」と翻訳したのは日本郵船三島丸の無線電信局長「葛原顕」であった。… 「送りっぱなしの通信」という意味で「放送を受信」と日誌に書いて逓信省に提出した。これが放送という語が公文書に用いられた起源だ。

今では「放送」が1つの単語としてインプットされて疑問すら湧きませんが、これを「送りっぱなしの通信」と紐解く面白さ。およそ今から100年前に「放送」という単語が産まれたわけですが、テレビに関しては衰退の真っ最中。

(100年後この言葉は消えるかもね)

今では「放送」より「配信」の方がメジャーなイメージです。

 

笠戸丸なら、まず南米移民船と思っていたが、ハワイとはいえ最後の北米関連の移民船だった。それも「排日(移民)法案」の実施という日本移民史上の大事件とかかわっていた。

1924年(大正13年)のお話だそうです。この船はかなり優秀な設計だったようです。

45年間に何度も改装されいますが、おそらく基本ボディ(骨格)は一緒でしょうから使い勝手のよい設計だったんでしょうね。

 

通訳五人男 – 一生懸命、翻訳しても、訳語は原語の意味や含蓄を伝え得ない。元の表現者の意図を翻訳者は「裏切る」結果になる。また、通訳者は両方の立場が判るだけに、それぞれの主張を忠実に表現すればするほど、双方から「お前は、あいつの味方なのか」と睨まれてしまう。

通訳者は私のような「てにをは」が下手な原文を脳内でリアルタイム修正しながら訳すので、いつもより余計に精神的に疲れると聞きますが、通訳者のフィルター次第で国家が動くこともあり…。

 

結局のところ「時代を察知する嗅覚」と「行けばわかるさ」の繰り返し

たった100年前の話ですが文明開化と共に日本人が国内外でやらかす行動には「ノリしろ」がまったく感じられません。ゆとりゼロ。常にギリギリで勝負してる感じ。いつの時代も変化してる最中はスピードが求められるんでしょうな。これというのは人間の話ですが、これが笠戸丸にも当てはまるような気がしながら一気に読み終えました。

いまでこそベーシックインカムとか言ってますが、なにせ明治時代ですから。

笠戸丸は45年の船齢で沈没しましたが人間だと最低でも12回転職し、たぶん(私もそうだけど)履歴書に載らないような仕事をしていた時期もあり、時には海軍から離れて雇われ社長のような微妙な位置で航海し、その時代の花形ルートに就航してた時期もあり、晩年は(たぶん本意ではないけど)漁工船で終了。

でもすべては「行けばわかるさ」なんですね。

しかも迷わず。

笠戸丸45年の生涯を克明に記録した本ですが評判通り相当な読み応えでした。なにかしら船のことが好きじゃないとここまでのデータを掘り起こせないですね。かなりマニアック。

船好き、移民史好きにはたまらない、おすすめの一冊です。

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