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人生の最期を不安に過ごす人が爆増する日本

今日は福祉や介護についてメモしてみようと思います。近年「老人社会」というカテゴリーも作ったのでその手のお手軽エントリーもしておりますが、こればっかりはそういう年齢、環境に置かれてみないと分からないものがありますね。一般的に30代までは無縁の確率が高いことですが40代だとご縁が高まる内容です。ご縁が深まると、この国に巣食う問題もよく見えてきます。

介護に関するネット記事だけは文章の真偽がすぐに分かりますよね。

 

経済損失6500億円、受け皿整備費の13倍…経産省試算

ヨミドクター 10/15(月) 10:19配信のタイトルですが...

この問題は...例えば親の介護が必要になった人が仕事を諦めないと親の介護が成り立たない状況を指しています。それを経済として見た損失が6500億円という話しなんですが、仕事を辞める原因を追うと概ね以下の流れというのはよく知られたことです。

  1. 介護の仕事をしている人の社会的処遇が改善されていない
  2. よって介護を仕事にする人の離職サイクルが止まらない
  3. その結果介護施設の人不足が深刻化
  4. しかし今後数十年に渡って要介護者は増える一方
  5. そこで家族の介護と同時に離職する中年層が増加中

介護職の低いお給金を増やしたり優遇制度を考えないと負の連鎖が止まらないわけです。そういう情報交換サイトは山ほどあり介護職の方々の悲痛な叫びが伝わってきます。離職率について細かく調べませんでしたが、職種によって上下幅があるものの、概ね12-20%が代謝しているようです。

まぁ...色々と思うところがありますが...

介護が身近に感じ始めて思うことは、介護と経済を一緒に語れないですし語ってはダメな気がしてきました。というのも誰だって老いて死ぬわけです。誰にでも訪れることに対してお金と格差で処理すると世知辛い行動が増えざるを得ません。

約1ヶ月間開催される2020オリンピック& パラリンピックの東京都予算は2兆円を超えるそうです。国と合わせると3兆を超す試算も。介護離職の経済損失が1兆円を超す日はすぐに来ると思います。

税制をシンプルで透明化し、税率を爆上げしても教育と医療を手厚くし、人生設計の不安を取り除くべきだと思います。それは人生の最初と最期を国単位で責任を持つことであり、それが国家の体だと感じます。複雑な税制や会計の維持コストが無駄であり、そのシステムコストをお守り出来るほど人は余っていません。一番働き盛りの時期は世界市場で揉まれてでも頑張り、それを終えたら次の世代にバトンタッチ。それを年金支給額のスライド茶番で凌ごうとする厚生省新喜劇にウンザリです。

とまぁ...好き勝手書いておりますが...簡単な話しではないですね。いざそういう立場になれば何とかしなければどうにもならないですから。

 

介護問題は人生の終盤を家族処理に偏らせる構造にアリ

「処理させる」という言葉は荒っぽい表現ですが簡単に言えばそういうことです。問題の根幹は「人生の最期(介護)は家族内の自助で乗り越えろ」というシステムで社会は動いております。健康で長生きし、超高齢になってもこの仕組みが死ぬまで機能します。

問題は「人間は誰もが等しく永遠に健康ではなく、いつかは弱り、そして死ぬ」ということ。

仮に健康に恵まれた100歳同士の夫婦がいたとし、夫が101歳で病に倒れた場合、今のシステムでは妻が面倒を見るわけですが、101歳の妻が介護できるわけもありません。妻の身体は「走れない、握れない、見えにくい、時間がかかる。だけど健康。」というだけの話し。ものすごく頑張れば料理、洗濯もできるでしょうが...一般的には朝のゴミ捨ても「面倒臭いから来週でいいや」という歳です。100歳は大げさですが70歳を超えてウンウンと頷く高齢者は多いはずです。世に言う老老介護です。

そこで家族がサポートすることになりますが一般的には子どもが面倒をみることでしょう。子どもで無理なら孫へ。どこまでもこれが血族や姻族で続きます。死ぬときに看取ってもらいたかったら「子作りしろ」ということですが、誰だって想像できる事なのに出生率は上がらないわけです。「生きることに精一杯で死ぬことまで考えてられるか!」といった感じでしょうかね。

死ぬ日が分かれば対応は簡単ですが病に伏せるタイミングは全員違います。それでも国は平均値を弾き出し、将来重荷となりそうな世代を切り捨てることばかり考えて年金で賄う仕組みを止めないわけです。国家が「年金はなくなりません」とアナウンスしたところで生活できないレベルの減給が続けば年金は無いのと同じことで詭弁です。誰もが欲しいのは(年)金ではなく安心と安全じゃないですかね。だって最期に金を残しても残さなくても自分という存在自体がこの世から消えるわけですから。最期ぐらい不安なく逝かしてよ、と。

これからは「自分で頑張れるところまで頑張って、無理になったらセーフティーネット」というシンプルな対応でよいと思います。今までに厚生省のザル管理の年金システム維持コストにどれだけのお金を注ぎ込んだことか。2007年に5,095万件の記録不備で大揉めしました。その処理コストだけで多くの人が救われる額になっていると思います。シンプルなことでも効率化のために別の方法に置き換えるだけなら良いのですが、隙間の仕組みと仕掛けで儲けを考える資本主義なのでシンプルなことが複雑化するわけです。

いずれにしても、まずは家族や親類の介護が当然とは思いますが、それらが破綻する前のサポート体制が構築できないとこの国の人口はどこまでも減るでしょうし、仮に人口が増えても人生の最期に不安が尽きません。既に国家対応は後手です。それは施設入居の待機者数を見れば明らかで、今後も増え続けます。

介護保険も大事なことですが、国としてこれ以上のお世話が無理であれば、家族でも専門職でも在宅介護従事者へは何らかの支援金を配るか、免除制度を機能させないと超氷河期世代がこの問題に直面したと同時に家系全員の息の根が止まりかねません。この問題は人が増えようが減ろうが「人はいつか死ぬ」ことを理解する人が一定数いれば偏った考えにはならないと感じます。それだけ死生観を微塵も感じない時代に生きている気がします。やはり多くの方は「それは意味ないよね」という合理的判断を下しちゃいますかね。

今は野遊びの時間を意図的に作ることが重要な時代 - en1

 

介護ビジネスに巣食う人たちの浅ましさ

百人百様の介護は一言で括れないことですが、軽度であればあらゆる問題が気になりません。それだけ健康のありがた味が享受できる状態ということです。でも病状が重度になるほど問題の本質が気になり始めます。

杖を利用する方が車イスを利用した際のホルダーカップ...

これは介護ではよく目にする雑誌の一部です。別にこのサービスを展開している会社を非難しているわけではございません。これとて必要な方がいらっしゃいます。買わなくてもレンタルで済ませられる良い仕組みです。ただね、これは創意工夫で乗り越えられる内容。もっと介護に重要度の高いアイテムは幾らでもあるはずで、本質的解決を求める人であるほど介護保険のポイント消化アイテムのように映るはずです。そういう風に見えてくると介護保険の仕組み自体が破綻しているようにも感じてくるわけです。

介護保険に絡む事例は他の方も山ほど指摘されている通り問題で、市場価格ではなく、全てが利益を生む枠組みなので全アイテムで有り得ない定価とお得なレンタル料が設定されるわけですが、それを安くレンタル出来るのは給料から引かれている「40歳になったら介護保険」のお陰です。今現在1人平均5,723円を負担しています。会社と折半する前の額ですので給料からは半額が引かれることになっています。

介護保険制度と介護保険料 : 介護保険制度は、介護が必要な高齢者を社会全体で支える仕組みであり、公費(税金)や高齢者の介護保険料のほか、40歳から64歳までの健康保険の加入者(介護保険第2号被保険者)の介護保険料(労使折半)等により支えられています。40歳から64歳までの健康保険の加入者は、健康保険料と一緒に介護保険料を納めます。

ただね...

これから先は介護保険を必要とする人が爆増します。

人口が減っているのに今のような介護保険制度を続けるといずれ原資が不足して介護保険を払う人の年齢はどこまでも低年齢化します。そのうち介護保険を使う人も高負担化し、利幅を維持するミドルマンだけがニコニコしたところで世間には世知辛い木枯らしが吹くばかり。20-30代の若い方も声を上げたほうが良いことです。いずれ死にますから。

ジュリアナ大阪なんてやっとる場合では無いわけですが、その世代は今もって茹でガエル環境を好まれる様子です。

9月から10月にかけての雑感...今年もいろいろあったな... - en1

 

人生の最期を1人でも終えられる社会構造へ

オジサンがガキの頃から「核家族化へ」と言われております。最近の話しではなく30年前からそう言っていました。それが今だに総務省統計局では「(二人以上の世帯)」というキーワードが踊っております。「バッカじゃなかろか?(トニー谷風)」と疑ってしまうほどです。それだけ日本を牽引された政治家に百年の計を修正する変人がいなかったわけですが...まだ続きそうです。憲法改正も大切な議論だと思いますが、その国に住む人が異常なスピードで減る時代に防衛を盾に政治を語るのもナンセンスに感じます。

多方面で話題ですが2035年の日本は半分が独身の高齢者です。これを書いているオジサンが65歳を過ぎてオジイサンになっている頃。あと17年したらそういう景色になってしまう国なのに、未だに「(二人以上の世帯)」という分析に不十分な統計を続ける意図って何でしょうね。正直言って今の段階でそんな数値を弾き出しても参考にできる旬は短いのに止めないんですね。それについて自分で考えずにウンウンと行動する公務員が山ほどいらっしゃるわけです。

どんな人でも最期は1人です。

ちなみに独身で介護が必要になったことを考えたことがある方は少ないと思いますが...家族であれば誰かが役所に出向いて介護保険や障害者手帳の申請をするわけです。場合によっては生命保険の支払い手続きもあるでしょう。独身の場合?基本的には誰も何もしませんよ。介護が必要な当人が自助努力で行動するわけです。既にそういう時代に入っており、これから爆増する時代に「(二人以上の世帯)」とかね...。ホントにバッカじゃなかろか。

なんで変化できないのか考えていたのですが...そもそも「高齢化社会の入口っていつだったの?」という問いに答えられない高齢者が多いことが問題の本質かもしれません。たぶん今の50歳から上の団塊世代の殆どが即答できないと思います。日本の高齢化は私が生まれた頃(1970年前後)を境に出生率が一息つく段からジワジワと始まっており、1995年頃時点で高齢化へ確変済です。それではマズイということになり確変から約5年後の2000年に現在の介護保険が登場します。これからは先は超高齢社会です。

2035年、日本人の半分が独身に。「独身社会」をどう生きる?

最近は「墓じまい」なんてキーワードも目にするようになりました。火葬後の骨も家族の持ち帰りすら望まず「その辺に撒いてくれてりゃ土に帰る」なんて人も増えているようです。そういう時代なんですね。

 

ロボットが介護?有り得ない。少なくとも半世紀先の話しじゃないかな

「ロボットでは介護できない」とは言いませんが介護できたとしても先の話しだと思いますし、人間側が介護と感じられるレベルの扱いを受けられるのは部分的だと思います。なぜなら介護は十人十色。同じ症状は一つとしてありません。似た病気であったとしても介護をした際にAさんは「首が痛い」、Bさんは「背中が痛い」、Cさんは「手が痺れる」と別々の症状を訴えます。病名は一緒でも症状が全て違うのが介護です。

外見がヒューマノイドに見えれば助けてくれそうに感じますが事はそう単純じゃなさそうです。実際この分野のIoT化は目覚ましいですが、肌に触れる分野の話題は小さいものですし、そもそも要介護者が「どの介護レベルであれば生きる楽しさを感じられるか?」というのも十人十色。一つとして同じ症状ではない難しさがあります。よく「人がやったほうが早い」なんてカキコも見ますが、その介助者すら減る時代にどう対応するかが問われております。それだけ人間の動きは超複雑なことを簡単にしているわけです。

独身で介護が必要になった時のことを考えると...

ある動作(例えばベッドからトイレへの移乗)を助けてくれる介助ロボットが別の動作(例えばオムツ交換の全自動排泄処理)も出来、更に別の動作(例えば食事や入浴補助)をしてくれるようになるのはずっと先の話しか永遠に無いかもしれません。それだけ人間は複雑な動作を繰り返して生活を営む生き物です。1つの動作はサポート出来ても全ての動作はカバーできません。全てを可能にすると部屋中ロボットアームだらけになります。

さりとて人間の方が要介護者に対してロボットの如く接していないとストレスが溜まって対応が刺々しくなる様子はあちこちで散見されます。私でもサクっと片手ぐらいの看護婦さんの顔が思い浮かびます。気がつけば「あれ、あの看護婦さん見なくなった」ということも多々です。離職ですかね。

まぁ介護従事者も色々ですが総じて皆さん親切で神経を使って働いておられます。

とても有難いことです。

皆さん毎日毎日、来る日も来る日も他人の排便と排尿の処理をしつづけられます?それを平然と対応される姿に脱帽です。安楽死の議論も必要でしょうが、頑張った人には給与で応えるのが資本主義です。それが機能していないのですから従事者は最低でも税制などの優遇があって然るべきでしょうね。

色々な療法士の方とお話ししますが...概ね「人間力が鍛えられてるなぁ」と感じます。その自然な行動と気遣い、触れ方などの所作には恐れ入ります。もっと社会的地位向上、決定権、待遇改善があって然るべきだと感じます。

 

ゴールなき介護マラソン時代

なんと申しましょうか...もう少し緩やかに、穏やかに、「介護!」なんてキーワードで括らなくてもよい空気になればよいのですがモノもサービスも売上が伸びないので「猫も杓子も介護事業」みたいな空気ですが、いざ自分がそういう立場になったつもりで福祉施設をネット検索すると「傷害・暴行で逮捕」みたいな事件の見出しに辿り着き「とてもこんな施設に親類を預けられないなぁ」と思いつつ、どの施設も入所待ち状態という...地獄絵図ですね。

介護離職を語るにも「いずれ親は死ぬのにその後の自分の人生どーすんの?」なんて文字は山ほど目にします。ごもっともな意見ではありますが自分の目の前で起こった時に冷静に対処できる人は皆無だと思いますよ。他人が面倒を見てくれるシステムが機能不全状態ならば家族が頑張るしか打つ手なし。看取りに至る過程は...これもまた因果応報ですかね。

でもね、どんな時代でも人それぞれ生きる苦労があり、人生の最期ぐらいは少しでも要介護者の負担を減らしてやりたいと思うものです。「結局はお金だしプロに任せた方がいい」と言うのは簡単ですが、介護離職は減らせても要介護者は爆増しますから本質的な手助け策が必要です。死という必然を経済損失で語ることに無理がありますかね。

「金銭で他人のプロ介護」でも「細々と子が親を介護」でも、どちらの選択肢でもよいと思います。現実には社会整備が後手故に後者を選ばざるを得ない状況が増えています。問題は後者選択だと収入が止まるため即人生破綻することが既に起こっており、ますます爆増中でも無策というのが問題です。

特に現在の介護制度には老々介護と認々介護の2つ視点が欠落しているので介護離職は危険なんて言っても状況が許さず、他に手がないわけです。人の気持ちも様々ですから親によっては「最後まで老々&認々介護で突っ走る」と言い張る親もいれば「側にいてくれないと心配でたまらない」という方もいらっしゃるわけです。認々介護は金銭的にプロをもってしても難題ですよ。そんなとてつもなく神経をすり減らす状況がいつまでも続くゴールなきマラソンが介護です。そういう高齢者が爆増中です。

介護と経済を天秤にかけるならば現在の在宅介護は方針転換しないとマズイわけですが認知症併発なんてことが片親ではなく両親で発生すると...頭が痛い話しです。そうなりたくないと思っていてもなっちゃうのが人間ですから。先にも触れましたが在宅介護で看取る覚悟の方へは国としての支援金や各種減免除制度を急ぐべきだと思います。何せ全ての民間企業が介護者に優しいわけでは無いですから。

今から箱モノ施設を作ったところで働き手は減るので高齢者医療の在り方や在宅療養・在宅介護の改善は急務です。でもこの国は少子化も見て見ぬ振りだったので介護も同様かもしれませんね。全てを自然調整で済ますつもりですかね。老害の妄想で済めばよいですが、たぶん済まないですよね。たぶん。

独身とliving will(リビング・ウィル)は人生に必須となる - en1

 

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