今日は原爆の日。久しぶりに原爆ドームを訪問。

ひとりごと
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今年も恒例の季節ですが…かれこれ2ヶ月近くテレビ欄すら見ていないので相変わらず敗戦ネタ番組が放送されているのか存じませんが、久しぶりにラジオで8時15分の「黙祷」という言葉を聞きました。それにしても暑い!毎日体温越えは勘弁してほしいです。

 

急に戦争小噺を披露してくれた父親

両親共に戦中生まれではありますが母親は記憶がない年齢、父親でも小学校低学年です。且つどちらも学童疎開先よりも田舎育ちなので戦争の記憶は殆どないそうです。その父親が急に戦争体験を話し始めました。とは言っても残酷ネタは一切ありません。

ひとつは登下校中に飛行機の機銃に打たれて道端の側溝に飛び込んだネタ。おそらくグラマンに追いかけられていたことでしょう。もうひとつは「時折先生が白手袋をして(天皇陛下)の御真影に…..」というので「奉安殿のことでしょ?」というそ「おぅ、それそれ」と思い出した様子で「敗戦の翌年に学校の校舎の端っこから穴を掘って、そういうものや竹槍訓練の道具を埋めて、その上に植樹したのを覚えとる」とのこと。

あまり気にしたことは無かったのですが、歴史のある小中学校校庭の樹の下にはそういうものが埋まっている学校も多いことでしょうね。それにしても植樹というのは考えましたね。枯らさない限り2度と掘り起こすことも無いシステムです。

こういうことをボソッと話し始めると親子の別れが近いような気がしますね。

 

ということでちょっと原爆ドームまで出かけてみた

ここまで至近の現場再訪は約10年ぶりですかね。全く行く予定ではなかったのですが偶然近くを通ったので「ここまで来たら寄ってみるか」ということでプチ観光。こんな場所を歩くこと自体が久しぶりですがシャレオという地下街からアクセスが容易になっており最低限の汗かきで到達。歩く道すがら「シャレオって洒落男でエノケン?」とかくだらないことを考えながらテクテク。

広電と格闘して負けた県外ナンバー車

途中で交通事故を横目に原爆ドームを見ましたが、「8月6日の広島ってこんなに人が歩いてたっけ?え?ホントに?」というぐらい大勢の人ですね。ウロウロしていたのは11時頃なんですが反核の熱気がひしひしと伝わってくる雰囲気でした。

今も異彩を放つ産業奨励館(原爆ドーム)

今朝の8時15分は30度ぐらいだったそうで….それがお昼頃には35度でして…。

毎年思うことですが、この熱さだけで倒れそうなぐらいです。今更ですが原爆は相生橋上空で炸裂しこの辺りは木っ端微塵どころか物質が蒸発して消えたかと思うとゾッとするおぞましさです。

相生橋の真下を抜ける宮島からの遊覧船「さくら

「T時の形をした相生橋がリトルボーイの照準だった」というのは小学校でお勉強することですが、久しぶりに眺めました。この辺りの雁木周辺は炸裂直後こそ荒廃した姿ですが、数時間後には死体の山であったことはいうまでもありません。改めて原爆の凄まじさを思い知らされます。

73年前の広島は本当に壊滅。人すら蒸発して消えた。

 

平和というのはありがたいことですね

戦後70年の頃「先の大戦以降に戦争をしなかった国は8ヶ国」と言われていましたが、あれから変わりないですかね。それだけ世界は戦争に明け暮れているわけです。そして人類がプッツンしたらここまでやってしまうという悪例ですね。核による抑止とか言いますが、使ったら最後、一瞬で人が蒸発しますから正に「2度と繰り返してはダメ」ですね。この経験は広島と長崎だけで十分です。

ガイドさんの話を熱心に聞く学生さんたち

おそらく原爆ドームを見ただけでは核兵器の怖さが実感として伝わってきませんよね。こんな建物になってしまう戦争は海外では日常茶飯事。しかし広島平和記念資料館に入れば全員テンションが下がりますよね。それぐらいのインパクト。今日立ち寄ってもよかったのですがあまりの暑さに撤退しました。涼しい時期に改めて覗いて見たいと思います。

あまりの暑さにへたりこんで座った椅子に落ちていた一枚のメッセージカード。私も平和が大切であることを願う1人ですが、この文字を書いた方も平和を願う方のようです。こういう念いが連鎖することで平和は作られるんだろうと思います。

most peaceful country in world.

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