未来を食う都市化された社会に大切な「かけがえのないもの」

ありがたい一冊
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養老孟司さんの「かけがえのないもの」という本を読みました。

このぐらい(80歳以上)の年齢の方はインターネット出現の頃に現役を退かれたこともあって実に人間味のある話しをされます。養老さんはそれが得意な方でもありますが、解剖学をされていたこともあってか表層的ではなくリアルな内側を覗いてきた言葉の重みが違います。そんな方の仕事内容は東京大学とは言ってもマイノリティだったそうですが…内面を知る心強さは計り知れません。

養老さんの別の本を買った時についで購入したものですが、とても印象深い本になりました。

人間がしていることは不自然の極みで、それは究極的に言うと脳が判断して実行しているわけですが身体は正直で自然を求めているのに満たされないからありとあらゆる分野で不自然現象が起こっていることをアレコレと気づかせてくれる本でした。

このサイトの右サイドバーに私のプロフィールをちらりと載せていますが「時代のスピードが心地悪い」と書いております。その理由は自分でも納得しつつある分析結果に辿り着いていますが、その考えが間違っていないことへの自信にとゞめを刺してくれました。

印象深かった表現を幾つかメモしときたいと思います。

未来を食う社会

未来の予定を組むと現在の連続性が未来の領域を侵食してしまい現在至上主義のようになってしまう。「今を生きる」というコピーは今のご時世にぴったりだけど人間としては不自然なことに突き進む行為かもしれません。生活のいろんなシーンで「未来の領域を侵食」している事象は増えてますよね。スマホ依存症の理由はこれも関係ありそうです。手元にないと未来を食えない感覚に襲われる方が多いように感じます。

その昔、自分の上司で「営業中に次の営業日を決めてくるのがコツ」なんて教わったことを思い出していました。それは既に「今回の営業で数字は作れない」と言っているのと同じことですが、スマホがメジャーではない頃でもこんな調子でした。今だとカレンダーアプリで先の予定を幾らでも管理できるのでどんどん未来を先食いできちゃいます。

養老さんは未来の予定を決めてしまうと「都市化された社会では未来に予定している現在が膨張し未来を食っている」認識なので、あまりにも先の予定は組まないそうです。この大人の行為が子どもに負担であることも書かれていました。言い得て妙な考察でした。

 

手入れという思想

目的が曖昧でも「手入れしているといつの間にかできてくるものがある」。

ここでは女性の化粧過程の「お肌の手入れ」や「子育て」が書かれていましたが、この行為を現代社会で感じるのはかなり至難ですね。特に都会の独身男性は。

私はここ数年ヒゲを伸ばしています。

ヒゲを伸ばして分かることは毎朝出勤前にシェーバーで剃ってしまう方が楽で簡単ということです。ヒゲを伸ばしていても手入れしていない無精髭は本当にむさ苦しい状態になります。ただ、確かに「手入れしているといつの間にか(ヒゲの形が)整ってくるものがある」というやつです。

 

脳が現実を決める

脳は「現実とは何かということを決めてしまう性質」があるらしく、それを精神科の患者さんに例え「大多数の人が現実だと考えていることを現実だと認めないと、この社会では病院に入るしかないということです」とな。この部分の養老先生の文字表現は深いと感じました。唯脳論で有名な先生ですが、その仮説は一理あるような気がします。

この辺りから数ページに渡って脳が体制に迎合し、社会全体が現実逃避しまくっていることが書かれており、脳だけで答えを見いだすには限界がありそうな雰囲気ですが、アリの例え話が面白くて…人間以外の生物の社会を見るのは大切ですね。

アリの社会がアリの社会であるのは、アリの脳がアリの脳だからです。アリを一匹つかまえてきて、非常に難しいでしょうが脳の手術をして、そのアリを元の巣に返してやるとします。すると、もしアリの社会が精神病院をもっていたら、たぶんそこに入れられてしまうでしょう。それがじつは社会というものの定義です。

「常識が正しいか否か」で捉えると「考える」行為が欠落すると現実に流されます。

そこに承認欲求が重なると「認められないと異質」と現実を察知したりします。意識でも無意識でも全て自分の脳で決定していることですがビジネスの話しになると「常識を疑え」とか言います。

実にやっかい。

養老さんはゾウムシ大好きおじいちゃんで有名ですが昆虫の世界にもそれぞれの社会があって、そういうものを眺めていると人間の不自然さを感じられるのかもしれません。

 

かけがえのない自然の身体

「かけがえのない」という言葉の意味は「1つしかない」ことや「1回限り」。

いったん結婚すれば独身でいるわけにはいきません。

離婚すれば独身に戻れると思うかもしれないが、それは結婚して別れたという別の状態

お墓に持っていけるもの

きびしく激しい社会的な変化を受けた時代を生き抜いた人は「財産は身についたものだけ」と考えるが、若い人はお金、ポジションに目を奪われます。

物事の核心は極端な状況を通らないとなかなかわからないようです。

それにしてもやっかいですね。意識をフル回転していなければ社会の外側に位置し、ほんの少し目を離しただけで置いてけぼりになる感覚の時代。

無意識の世界に目を向けないと自然そのものである人間という動物が壊れそうなのに脳は現実把握の意識を止められない。脳は自己都合で帳尻を合わせても生身の身体が追いつけず「死」すら遠い存在というけったいな時代です。

「物事の核心は極端な状況を通らないとなかなかわからないようで…」という行が印象的でした。

ということで、自然で、生身で、かけがえのない存在である人間が脳だけで設計された社会に突き進んだところで、いつかは不自然な状況に太刀打ちできず病んでしまうことが分かっていても「物事の核心は極端な状況を通らないとわからない」のが今なんですかね。

かけがえのないもの = 人の手のはいっていないもの

確かに野遊びをしていると意味なく心地よい雰囲気を感じられます。なんていうか…そういうコトやモノは理屈ではない要素を脳が察知できるんですかね。そういうことに没頭して遊んでる時は未来なんて一切考えてないことは確かです。

そうやって現在と未來を無意識に整理できる自分が作られるのかもしれません。

今は野遊びの時間を意図的に作ることが重要な時代 – en1

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