最近は事件にしても事故にしても訃報にしてもびっくりすることが多いですがテレビがないので半歩遅れて知るわけですが、そう感じたので半年ぶりに速報が入るようにスマホ設定を戻した矢先に栗城史多さんが亡くなられたニュースが入り驚きました。
この方の評価は賛否両論でも生き様や死に様を見せたという意味では足元にも及びませんが、少し「動画共有」という視点でメモしてみようと思います。一番腑に落ちた記事は大蔵喜福さんが話された「彼はただの登山家ではなく、表現者の一人だったと思う」でした。
「冒険の共有を」というコピーは有名ですし個人的には登山家というよりは冒険家の方が似合う気がします。ネットでは凄まじい粘着力で「単独」と「無酸素」に対して一言意義申す記載が多く、それだけ愛されるキャラだったんでしょう。
それにしても今更ながら「35歳」という年齢と「冒険の共有を」というコピーがしっくり来なかったのでその理由を辿っていたのですが、調べているうちに栗城さんを最先端イノベーターと感じました。
若い方はネットでの動画史を理解できないと思うので書きますが、いまのようなネット動画が芽を出し始めたのは今から13年前の2005年頃だと思います。私も当時作った動画を探せば出てくると思いますが、今のスマホの半分ぐらいの画面サイズで1分ぐらいの動画編集に5-6時間要した記憶があります。今こんなことを書いても「へー」で終わることですが当時は画期的なことでした。
日本で最初にYouTubeにアップされた動画を見れば当時の画質レベルも想像できると思います。
動画の仕事に携わっていると、その時々でトレンドが激変するタイミングがありますが、ひとつのポイントは今から11年前の2007年、YouTubeの日本語サービス開始だと思います。
この日に変化したわけではなく振り返るとこの日だったというポイントで、そこから約3年は鳴かず飛ばずの動画SNSサイトでしたが、以前にもどこかでメモしたと思いますが2010年の尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件で一躍脚光を浴びました。
その結果2011年が日本のYouTube元年だったと思います。今から7年前のことです。もちろんこれらの時代感覚は私にとってそうだった話で生まれ育つ環境で受け止め方は違います。
ただ、たった7年で世の中の流れは激変していますからYouTuberで賑わっている期間というのはほんの4-5年の話しです。ものすごい数のYouTuberがいらっしゃいますが「第◯世代」と区切るほどの歴史はありません。あえて区切るとすればHIKAKINさんの前後だと思います。とは言ってもつい先日始まったばかりのブームです。
栗城さんをイノベーターと感じたのはアコンカグアの動画が2009年と記されていた点。
記録によると2005年に登頂されたそうですが、いずれにしてもその記録が2009年にネット公開されているのを見て感心しました。日本で動画サービスが賑やかになる前に始められた方なのでイノベーターと感じたわけです。
栗城さんも使われたUstreamはたった10年でIBMに買収されて消えました。
私も1度ぐらいは栗城さんの映像を目にしたかもしれませんが、あれだけ「ユースト」と大騒ぎしたものがたった10年で消えるのがデジタルの世界。私の記憶ですと2012年頃から「動画配信でマネタイズ」という流れに変わってしまい、その流れにいち早く誘導したYouTubeに人が押し寄せた感想です。なにせ無料ですから。
しかしこれだけ行動力のある方が残した動画再生回数が低いということは、その見せ方、表現の仕方がマズかったんだと思いますが、そういうスタイルなんだから他人がどうこう言うことでもありません。
登山家というくくりで見ると違和感を覚えるというのが大勢の雰囲気で、なんでこういうことになるのか考えておりましたが、おそらく「編集の暴力」「一人では成し得ない場所」「共有方法の変化」など一言で片付けられないデジタル表現の変化による違和感だろうと思います。
編集の暴力というのは動画の編集作業を揶揄する言葉で最近の事例で言えば芸能人が不祥事を起こすと編集でカットされて無かったことにするアレです。良い悪いではなく個人が編集で情報操作できる時代です。
一人では成し得ない場所というのは今回のようにデスゾーンに飛び込むと、撮影どころか、登るどころか、生きることが難しい場所を一人で成したような表現の伝搬を続けたからと妄想していました。これを称して「嘘」と言われてるみたいですね。
共有方法の変化というのは先に触れた通りほんの10年足らずで変化したことですが、別の視点に触れるとすれば2011年はテレビすらデジタルになりました。60年続いた概念や常識が終わったのもこの頃です。
そういう動画環境が大変革に差しかかるほんの少し手前の2010年にテレビ番組で相当担がれている記録を見ると考えさせられます。この時栗城さんは27歳。私のようなボンクラ経験からの失礼なる邪推とし、ものごとの全体を計算して行動できる年齢ではないと思います。
テレビ出演のきっかけはそれ以前の足跡に対する結果でしょうし、テレビ斜陽の始まりのタイミングですし、色んなことがピタリと当てはまるタイミングだったのかもしれません。それにしてもテレビ露出の量を見ると27歳の大人とはいっても空気を吸う人と飲む人がタッグを組んだ印象です。
いまは「登山常識」と「デジタル表現の多様化」が交差する過渡期
前者と後者の間に大きな溝があるので従来の登山概念だけで動画を見ると単なる登山ショーに見える人が多いと思います。しかしデジタル進化は止められず皆が便利と祭り上げ、あらゆる概念がひっくり返っている最中に起こった悲劇に感じました。
これまではマスコミが叩かれる傾向も気づけばフォロワー同士が叩き合う時代。
以前に「個人の会社化」でメモした「全員がクリエイター」化の時代。仕事の在り方が変わっても登山と動画を切り分けて見てしまう人が多勢による違和感。少なくともネイティブ世代は分けて捉えず1人の表現者として認識してますよね。たぶん。
下の動画も正統派とは言うものの「凄っ」という内容で、簡単ではないことをしているはずなんですが類似動画は山ほどあります。もちろんプロの登山家ではない表現者がわんさか出てきます。日本人も。
栗城さんの行動はスケールが大きすぎて理解されにくく、且つ山という局地的話題ですが、何世紀も続いた登山の在り方や常識に対し個人のメディア表現という切り口ではトップランナーであり、このスタイルは今後あらゆる分野で常識となり切り分けずに理解できる日も遠くないと思います。
栗城さんに対する風当たりの強さは地球上唯一無二の「エベレスト」というパワーワードにあり、これを登山の常識で見ると「舐めるな」という視点、映像の常識で見てもテレビ局が二の足を踏む場所へ個人で2009年から挑戦されてたんですね。このとき空気を飲める大人は見せ方や伝え方を教えてあげて少しずつ軌道修正し、その時々のテクノロジーで可能なスタイルへ誘導できたはずですが…昨今のテレビ媒体の有り様を見ると使い捨てにも感じますね。
栗城さん曰く「空気が変わった」ということですが…まあご本人が一番理解されていたことだと思います。このインタビュー動画を見ますと「嘘つき」ではなく純粋に壁を突破するためにもがき苦しんでいたように見えました。
最も印象深かったのは2分50秒ぐらいからの「表面しか見てないんだな」という言葉。
登山に限りませんが上の動画のように表面しか見えない表現が今なんですね。最近のネット表現は殆どがコレで、もはや生命維持が無理な場所で挑戦されています。結果として年々共有表現が荒っぽく見えてしまいます。
たぶん本人が求めていた(共有したかった)ことは、登山だけではなく表現方法や伝え方ではないかと感じました。登山のアドバイスは出来ても表現のアドバイスが出来る登山家がいない感じです。だから山登りのプロから見ると彼を登山家と認められない感じ。
珍しい情報発信行為も今は昔。
若い方にとってはネイティブなことですが10年前はこうして他人が作った動画をサイトに貼り付ける行為が新鮮だった頃から挑戦していれば色々と感じておられたことでしょう。
なんか…寂しいですね。
今は応援する側もネット表現の在り方に無頓着や無関心なせいか乱暴な表現を許容する傾向が止まらない感じなので別分野での類似事故が増えると思います。なにせ中身に関係なく「再生=広告収入」ですから。ただ「エベレスト」を背景に1人で表現に挑む個人メディアは彼が最初で最後だと思います。もし次が現れたらAIを駆使して自動化された状況での記録ですかね。
今は無駄にブレーキを踏む世代、踏まずにノロノロ運転する世代、ブレーキが効かない世代など様々なプレイヤーの動画が雨後の筍状態です。栗城さんは時代を読めたにも関わらず軌道修正するにはあまりにもカオスな自己表現時代に登山という組合せが災いしたのかもしれません。まあ冒険者というのは荒唐無稽と一笑に付されるものですし「35歳でも心から好きなことで生きたのであれば良いけどなぁ」と感じるニュースでした。
このニュースは登山家というよりも表現者という面で教訓にすべき事故だと感じました。数年後には常識となり誰もが表現者としては埋もれることで苦悩する文字が増えると思います。
最近35-37歳ぐらいで世代間の断絶があるなんて言われてますが世の中の変化スピードが増すばかりで「辛く感じる人が増えてるんじゃないかなー」なんて思います。偶然ではありますが35歳というと開高健の「いろんなことが見えてくるのは35歳ぐらいからじゃないかな」という言葉を思い出しておりました。それにしても若すぎる死で残念です。
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