奇跡の2000マイル(Tracks)

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先日著名な方が若くして亡くなられたわけですが、そのお子様は自宅で母を看取ったというニュースに涙した人も多かったことと思います。素晴らしいことですよね。

子供の感性が自ずと豊かにならないわけがないですよね。

ご本人が望んだことだそうですが人はいつか死ぬということを理屈ではなく自宅で看取る環境を整えたということに頭が下がります。たぶん殆どの人は「人が死ぬのは病院」ということが当たり前という認識で、どこか「死」を遠くの、「生」と切り離した、自分から遠いことに追いやっていますが実は身近な当たり前のことだということを生き様で見せた死に様というのが胸を打ちます。

どうなんでしょうね。産まれる人を見る機会も安定的に減り、死を身近なことから切り離す環境。多死社会に突入しても家族や親族が支えきれない労働環境や給料。

三世代家族は殆どなくなり核家族を過ぎ個人化する社会。

さてと…

人生にモヤモヤした生活の方に送る刺激的映画を見ました。1977年の春に1匹の犬と4頭のラクダを引き連れてオーストラリアのアウトバック(殆ど人のいない砂漠地帯)を歩いて冒険した女性の実話。日本語タイトルは2,000マイルですが距離はどうでもよいことでしょうね。

11歳の時にお母さんが自殺し、そこから少々愛に乏しい生活を送っていたことと思います。そのせいかどうかは知りませんが、悶々とした日々にボヘミアニズムな生活スタイルが爆発する形で9ヶ月間リアルノマドな旅をしてしまったのかどうか…。

それでも旅の前にはラクダを知るために随分の時間を費やしたようで目標設定型ノマドです。

弱冠24歳。

旅の資金をナショジオ取材で捻出するスタイルは昔も今も一緒。

スポンサー探しには苦労します。それにしても相棒がラクダとは。今でこそ大陸横断鉄道がありますが約100年前まではラクダが主流だったそうで日本だと牛車で移動といった感じ。

(ラクダでも生き残るのが厳しいような場所を歩いて移動したわけで恐れ入ります)

金があろうがなかろうが「足」があれば移動はできますが、生きること・食べること・寝ることの基本的意味を体で理解していないとこの旅は難しそうです。

人工環境の生活に麻痺すると「住所は?」「仕事は?」「家庭は?」「収入は?」「食事は?」という常識や経験が変化の邪魔をします。出発数日後には(アーモンド味と言われている)芋虫がディナーということもあったようですが命を食べて生きることに変わりはなく…。

たまには身の危険、家畜の危険を回避するために別の命を殺したり。

赤い点線がそのルート。ゴールするには時に遠回りも必要というお手本。

ラクダって普段は大人しいですよね。昔お肉を食べましたが脂っぽく臭いもキツかった思い出。

この映画を観終わってから「今から冒険するならどこで何するかなー」なんて考えましたが具体性のあるものは一切思い浮かびませんでした。人間は長距離移動には向いていない?せいか動物が相棒というところまでは考えたのですが…それにしても人生に一度ぐらいは自分の足で2-3,000kmぐらい歩く旅というのも楽しそうです。

これがほんの40年前のことなんですね。毎夜星空を眺め、住所不定で野営し、貯水タンクや井戸水の跡地を頼り、清潔な砂漠を西へ。人生は1度しかないことを知っていても「安定」とか「皆と一緒」の呪縛に麻痺し、逸脱すると「変人」と言われるご時世。

でも考えてみると疑問や問題を感じた時こそ旅に出るべきですよね。

歳を取ってからでも遅すぎるということは無いですが「若さ」という特権を使えないのは痛い。まだ40代で痛切に感じます。

旅は若い時こそしないと損。個人的経験で言えば20代はひたすら旅に明け暮れても問題ないと思います。その後の人生の時間はたっぷりありますから。『冒険は最大の報酬なり』。

さすがのナショジオ。どの写真も素敵。

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