有用なものは国や場所に関係なく売れる

ひとりごと
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一般的な「春」を感じられる気候が続いているようで、葉桜もあり、残り桜もみられ、少し春らしさをかんじます。耳の調子が悪く病院に通っておりますが、その患者数の多い事。耳鼻咽喉科でアレルギー系も看てくれる病院ですが、次回予約はありません。患者が途切れることが無い。新しく有益なことを考えるよりも、新しく有害なことを考えた方が新しい産業が興るのか?とブラックなことを連想していた今日この頃です。

さてと…

先日昔の仕事仲間と深夜の長電話をしておりました。

街のコストを支えている地方が疲弊していること。それを支えようと中央ががんばっていること。それでもマーケットの縮小加速が止まらないこと。止まらない余波が幾つもの小波で発生し、地方に届いた時には津波の状態であること。それでも地方は新しいモデルを試行錯誤しているということ。しかし中期的な計画をたてられるほどの余力がないこと。目先の運営も大切故に売れそうなアイテムを誰もが狙っていること。

しかし、誰もが狙うと売れそうなアイテムの価値が一気に下がり売れなくなるほど価格情報の流通が早いことなどなど。

別段珍しい話しではなく、誰もが「あるある」と予想を超えた実体験の話し。この話しをしながら行き着く所「コルホーズ(ソフホーズ)やで」なんて冗談を言っておりましたが、個人的には半分本気の理解。

いくら「価値が大事だ」と唱えても、社会のスキームが「グローバルな価格」中心ですと、そこから外れた営みは小さくなければ難しく、小さいとビジネスにならないというジレンマです。それでも「急がば回れ」ですかね。

 

最近覚えたことは、有用なものは場所に関係なく売れるということ。海外に出しても必要なければ売れないということ。当たり前の話しですかね。

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