Global age

グローバル化
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殆ど興味が無かったソチオリンピックも後半戦ですが、地味に楽しんでおります。記憶よりも記録と思って頑張り続けた葛西氏のジャンプ姿は本当に美しいと感じます。結果は記録よりも記憶という展開。もちろん各国の選手も美しい。

そもそも飛べない人間がちょっとだけ勢いをつけて飛ぼうとしているのですから不自然なわけですが、極僅かに感じられる(触覚)であろう手のひらを前に向け、風を感じながら?止まっているかのように体が動かない様が鳥人に見えた人も多いかと思います。おそらく理にかなった体勢なんだと思います。

ジャンプよりも風向きが予測不明な空を飛んでいる鳥がガタガタとバランスをとっている姿を見ないと同様、見ていて安心感がありました。よく「良いデザインは、細部に宿る」とか言われますが、見ているこちら側が「美しい」と感じるのですから、何かが宿っているんだろうな、とか思う今日この頃です。

さてと...

この商業化された祭典が世界経済の縮図と感じておりました。私が若い頃はインターナショナルという言葉が流行っておりましたが、今はグローバル。この違いは国境を意識するか否かの違いかと思います。

参加には準備だけでお金と時間が必要ですが、夏でも冬でも参加することは出来ます。しかし、雪の降らないジャマイカのチームが冬の競技で結果を出すのが容易ではないことは想像できます。

そこに国としての支援が加われば「結果を出す」というプレッシャーも強くなります。しかし支援の中身は国毎に異なります。ビジネスもスポーツも才覚は大事ですが、十代という経験の浅い若者にとっては得体の知れないストレスかもしれません。

なんとか大会に参加し本番でミスや事故がなく競技を終えても自己満足の世界。少しでも明るい結果を得たいと思って参加しても、実力すら出せなかったという話しは枚挙にいとまがない。夏でも冬でもメダルを手にせず帰る人が半数以上です。目に見える投資回収ゼロ。

冬の競技は用具規制も厳しいようで協定交渉などはありません。決められたルールに合わせた準備をしないと参加していても現場で失格となり外されます。努力してもルールが変ると水の泡。

そんなこんなで...

「良くも悪くもグローバル化」という規格により売り先を求めて彷徨う日本企業を想像しておりました。規格が整備中の国に出かけるというのもよく聞く話し。結果としてのメダル数で各国の本気度が伺えるというものですが、自分の稚拙なリソース故に「メダル数」という尺度で見ている自分に苦笑いです。

そんなことを考えていると、40歳を越えたメダリストは変化に適応した人であり、その苦節は表情に現れており、少しの才能と多大な努力を信じて諦めなかった方ということを感じられるので共感が生まれたのかな?とか思っていました。その生き様が人の心を動かしますね。

「老化=規格外=常識」を規格内で魅せたというのが気持ちいい。

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